ブラジリアン柔術の礎を築いた日本柔術界の父、日本ブラジリアン柔術連盟会長 中井 祐樹さんの独占インタビュー記事公開!

プロに特化したインタビューメディア「GLORY BEYOND DREAMS」に、日本ブラジリアン柔術連盟会長 中井 祐樹さんが初登場!

伝説の興行『VALE TUDO JAPAN ’95』での死闘を経て、日本におけるブラジリアン柔術(BJJ)の礎を築いた日本柔術界の父、中井 祐樹さん。現在は日本ブラジリアン柔術連盟の会長として、競技の普及と発展に尽力されています。「寝技」という地味でマニアックだった技術が、なぜ今、芸能人や経営者、そして子どもたちまでをも虜にするスポーツとなったのか。日本におけるブラジリアン柔術の歩みと、柔術が持つ「プレイヤーファースト」の哲学を伺ったインタビューの一部を紹介します。

ブラジリアン柔術の普及は「劇的」〜今後のさらなる広がりへ〜

ブラジリアン柔術の普及・発展を一番の目的に、ブラジリアン柔術連盟の会長として活動されている中井さん。ブラジリアン柔術連盟設立当初を振り返ると、競技そのものの認知拡大には課題があったと語ります。当時は「寝技の多い柔道」「組み技の何でもあり」といった説明をしても、競技の魅力が十分に伝わらず、イメージしづらい競技として認識されることが多かったが、実際に体験すれば競技の面白さを実感できるのがブラジリアン柔術の特徴であり、現在では競技として広がりを見せていると中井さんは語ります。
この十数年での普及については、「劇的と言ってもいいほど増えてきている」と評価する一方で、地域によってはまだ道場数が少ないエリアもあり、さらなる拡大の余地があるとのこと。特別な設備を必要とせず、道場ひとつで始められる手軽さも、これから普及していく要因だと分析しています。

寝技で勝敗を決めるという思想を生んだ日本

ブラジリアン柔術と日本人の資質について、中井さんは「実は、寝技で勝敗を決めるという概念を生み出したのは日本人」と語ります。欧米の多くの格闘技では、仰向けになり背中や肩が地面につくことは「負け」というのが普通の概念であるなか、日本では、投げられた後も戦い続ける思想が発展し、自ら下になっても攻める技術が磨かれてきました。特に「高専柔道」の流れの中で培われた実戦的な寝技の技術が、その源流にあるといいます。その技術がブラジルへ渡り、グレイシー一族による他流試合を通じて実戦性が高められ、現在のブラジリアン柔術へと発展しました。中井さんは、ブラジリアン柔術を「柔道の昔の形が色濃く残った競技」と位置づけ、「地球の裏側で保存されていた実戦的技術を、日本が再発見し、現代に提示している」と語ります。
また、かつては「喧嘩のための格闘技」といった先入観を持たれることもあったが、現在では競技としての安全性と洗練されたイメージが広がっているとのこと。芸能人など著名人の実践も公表されるようになり、社会的な認知は大きく変化しているといいます。
ブラジリアン柔術は単なる格闘技ではなく、「技術の使い方を磨き上げていくアート(芸術)」と表現しました。

インタビュー記事ではその他にも、連盟の沿革や今後の柔術についての考え等を紹介しています。

日本ブラジリアン柔術連盟会長 中井 祐樹さん

北海道浜益郡浜益村出身。日本ブラジリアン柔術連盟会長。武道/格闘技道場パラエストラ代表。元プロ修斗ウェルター級王者。伝説の「バーリトゥード・ジャパン・オープン1995」で、体格差のある相手を撃破し準優勝。その際の負傷により右目を失明するも、その後ブラジリアン柔術の普及に尽力し、日本柔術界の父と呼ばれる。