インタビュー | 2024.7.16 Tue
『専門分野で最高に強い人がプロフェッショナルだと思います』
この信念を持って戦い続けるのが、全日本レスリング選手権大会フリースタイル79㎏級で優勝経験を持つ山﨑弥十朗選手。
彼は日本のレスリング界で確かな実績を積み続けています。
『企業アスリートだからこそ、僕はレスリングに集中出来てるんです』
今回は山﨑選手の過去を振り返りつつ、企業アスリートとは何かについてもお伺いしました。
山﨑 弥十朗 (やまさき やじゅうろう)
生年月日:1997年5月7日
出身地:埼玉県
身長:172cm
所属: 株式会社サイサン
経歴:天皇杯 令和4年度 全日本レスリング選手権大会 FS79 優勝
全日本での優勝が見えた大会でした
ー今回は総合格闘家の武田光司 選手からご縁をいただき、山﨑 選手にインタビューをさせていただくこととなりました。武田 選手もレスリング出身の格闘家ですが、まずは武田 選手とのご関係からお聞かせください。
山﨑)埼玉栄高校の先輩で、僕が高校1年生の時、武田光司 選手が高校3年生で、主将をされていました。練習自体は中学生の頃から一緒にしていたのですが、高校時代は特にお世話になりました。武田 選手は高校4冠を取った圧倒的なスーパースターで、強さだけでなく、練習量が圧倒的に多いこともリスペクトの対象でした。
ー最近でも一緒に練習している様子をSNSにも投稿されていますよね。直近の大会についてもお聞きしたいのですが、6月29日から30日に開催されたレスリング全日本社会人選手権では79キロ級フリーで準優勝。77キロ級のグレコローマンで3位と、あと一歩、優勝には届きませんでした。改めて大会を振り返って頂けますか。
山﨑)フリースタイルでは決勝の相手が高校の後輩で、世界で活躍しているような選手なので胸を借りるような気持ちで全力で当たりに行きましたが、相手の方が1枚も2枚も上手で負けてしまいました。グレコローマンも、動きは良かったのですが、自分の良いポジションが取れなくて3位という結果になってしまいました。ただ、気持ちは前に出て、動けていたので、このままもっと練習していけば、必ず優勝できるようになると思っています。
※グレコローマン:相手の腰から下を掴むことを禁じられたルール内での競技
ー今大会の会場の雰囲気などはいかがでしたか。
山﨑)今回のような大会では、現役選手はもちろん、引退したけどレスリングを趣味で続けている人が応援に来てくれたり、見に来てくれたりする方も多いので同窓会のような雰囲気もありました。久しぶりに会える人と試合もできるので、真剣勝負の場ではありますが、楽しみながら大会を行う事ができました。
ー現在は株式会社サイサンの所属選手として活動されていますが、企業に所属するとどのようなサポートを受けられるのでしょうか。
山﨑)社員アスリートとして入社して、柔軟な勤務体系で対応してもらい、レスリングに専念して競技活動をしています。毎月のお給料と競技活動費をいただきながら、レスリングに専念できる場所を整えてもらっているので、ありがたいです。あとは保険にもしっかり入れますし、社員さんが応援に来てくださることもあるので、企業に入っていて良かったなと思います。
ーレスリングをやる中でやりがいをどのように感じていますか。
山﨑)まずはレスリングはスポーツとしての魅力が高いスポーツだと思ってます。全身を使って相手を倒すだけでなく、ポイントゲームでもあるので、様々な戦略も立てられる総合的なスポーツだと思っています。ただ難しいと感じる点もあって、競技ができる場所が少なく、競技人口もまだ少ないところです。練習環境の確保が難しく、趣味としてやるには難しいスポーツでもあるので、今後、練習環境が少しでも整えられればいいなと思います。
年齢を重ねるにつれて謙虚になってます
ーもう少しレスリングが出来る環境が増えればやってみたいと思う人が増えていきますよね。ではここから山﨑 選手の過去を振り返っていただきたいのですが、いつ頃からレスリングを始められたんですか。
山﨑)小学1年生の時から本格的にレスリングを始めました。誰1人格闘技をしていなかった家系なので、僕だけ格闘技を始めた珍しいタイプだと思います。当時はサッカーと水泳もしていて、毎日何かしらスポーツをしていました。その中で一番結果が出たのがレスリングで、全国小学校選手権で優勝したことで自信に繋がっていきました。勝てば楽しい気持ちもあったので、埼玉栄中学校、埼玉栄高校でもレスリングを続けました。
ーレスリングをすることで、性格や私生活に何か影響は出ましたか。
山﨑)一番は年齢を重ねるにつれて謙虚になっていきましたね。もともと体つきも良いし、腕っぷしも普通の人以上にある上に、レスリングをしていて強いから怖いもの知らずの時期もありました。ただ中学、高校、大学と上がるにつれてどんどん謙虚になっていきました。ただそれは私に限らずレスリング関係者の方々は謙虚で武道の精神を持っている方が多いと思います。
ー子供の頃からレスリングの世界で結果を残していた中で、いつ頃からプロを目指すことを意識されましたか。
山﨑)高校3年生の時です。2016年のリオオリンピックの最終選考に同行し、海外ではプロの方が多く、レスリングだけで生計を立てている人が多いので、海外選手のハングリー精神を目の当たりにしました。また、日本人のトップの選手を見て、「レスリングで飯が食いたい!」と思い大学では遊ばないで必死に練習をして、本気でレスリングに取り組みました。
ー日本だとレスリングのプロになるためは、会社に所属することがオーソドックスなのでしょうか。
山﨑)競技に安定して集中するためにも、会社に所属するのがセオリーです。レスリング自体があまりメディアに取り上げられないので、スポンサーがつきにくいのもありますし、何よりレスリングは規定でウェアにスポンサーを1社しかつけられません。なのでビッグスポンサーを見つけることが競技をやるうえで重要になります。
ー企業への所属はいつ頃決まるのでしょうか。
山﨑)JOC主催のアスナビという企業と選手をマッチングする制度を活用し、大学4年で決まりました。東京オリンピック前だったので、企業も東京オリンピックに出れる選手を取りたいという思惑があったようです。
ー少し話しは戻りますが大学は早稲田大学に進学されましたが、早稲田大学を選んだ理由は何だったのでしょうか。
山﨑)様々な理由がありますが、まずは知名度があり学歴としての価値が高い部分に魅かれました。レスリングを社会人でも続けていきたかったので、学歴が高い方が就職活動に有利になると思いました。また、その時は早稲田大学レスリング部が強かったという理由もあります。さらにトップアスリート枠という学費が無料になる制度で入学できたので、親にも負担をかけないで済むので、親孝行にもなるし良いなと思い早稲田を選びました。
ー今の理由を聞くと行かない理由が見つからないぐらい理由付けがしっかりとありますね(笑) 実際、レスリング部に入った時の印象はいかがでしたか。
山﨑)和気藹々として仲が良い印象を受けました。体育会の生徒は寮生活なので、様々な部活がある中の一つがレスリング部でした。皆で仲良く喋りながら、縦と横の繋がりができ、先輩後輩の教育システムもしっかりできていたので早稲田の伝統を感じました。
ー高校に続き大学でも主将をされて、悩んだことなどはありましたか。
山﨑)主将として、高校と大学では部員の引っ張り方が全く違うと感じました。高校時代は、俺の練習を見て皆も一緒に頑張れよ、と背中で引っ張るイメージでしたしそれでやれていました。しかし大学生は、プロを目指す人と部活として取り組む人で練習への温度感も異なります。就活や授業の疲れも個人差があるので、休息も人それぞれ必要だし、自分達でメニューを考えたい、という声もありました。大学生になってもこんなハードワークをするのかという意見もありました。なので、練習を休む時は理由と、代わりに個人でウエイト等の練習をすることをしっかりと言ってくれれば良いことにして管理をしていました。
ー報連相さえしっかりしていればすれ違いを減らすことは出来ますよね。ただ、山﨑 選手も人ですから、ずっとレスリングをされていて疲れたなとか、今日は気が乗らないなという時があるかと思うのですが、そういうときはどのようにモチベーションをコントロールしていますか。
山﨑)そういうのは正直あります。体が疲れてなかなか動けないなという時もありますし。年を取ってくると風邪を引いた時に1週間くらい長引いたりと、体力や免疫の低下を顕著に感じるようになりました。そういった時に練習はしたくないけど、練習をしないと不安になって心と体が整わず悪循環が生まれるので、体力を使わないストレッチなどの練習をしたり、体のメンテナンスや、動画で自分に足りない技術の習得をしたり、意識を転換して自分と向き合っています。オンオフをしっかり切り替えて、焦る必要はないと自分のメンタルを整えることは大切です。
専門分野で最高に強い人がプロッショナル
ー年齢と共に変わってくると仰られましたが、トレーニング内容やコンディションを整える方法の変化についても詳しくお聞かせください。
山﨑)25-6歳くらいまではウエイトの重量を重視し、練習時間も長時間するようにしていました。今、27歳になり、ウエイトの重量を上げるより、柔軟性を高め可動域を広げた方が強くなると考え方が変わりました。上げられる重量には限界があり、いつか頭打ちになってしまいます。ただ、柔軟性では180度開脚が目標だとして、100度だった場合、まだ80度も残っています。その部分を大きくした方が体もしなやかになり、違う技ができるようになるなと気づきました。今まで僕はパワーで戦ってきたタイプで、パワーには自信がありますが、そこばかり特化してきて頭打ちになってきているので、違うところを強化しようと思い、パワーからしなやかさに変えている転換期です。ウエイトと違って柔軟はすぐに成果が出ることではないので、1日最低1時間ストレッチをしています。多い時は2時間くらい行っています。
ー過去に山本KID 選手の動画で体の柔らかさ、しなやかさの大切さを語っている動画を見たことがあるのですが、ストレッチってスポーツをする上でとても大事なんですね。
山﨑)大事だと思います。若い頃、高校や大学は勢いとノリで行けるのですが、勢いだけではできなくなる年齢になってくると、長く競技を続けたいならストレッチは必要です。普段スポーツをしない人にもウエイトトレーニングよりもストレッチをおすすめしたいです。楽ですし、痩せますし。体を鍛えるよりも柔らかくした方が、デスクワークの肩こりもなくなって良いですよね。
ー現在は企業アスリートとして活動されていますが学生スポーツの時との大きな違いはどんなところでしょうか。
山﨑)練習施設を自分で確保しなくてはいけないことが最大の違いです。大学生は部活で設備がありますが、社会人だと、僕の場合は会社にレスリング部がないので、大学にお世話になります。他にも民間のトレーニング施設を使ってウエイトトレーニングをします。これらのアポイントは自分で取らなくてはいけませんが、経費は会社に払っていただいているので、企業に属する恩恵を受けています。
―今日の話を聞いていると企業アスリートのメリットはたくさんあるなと感じました。山﨑選手から見て企業に属するアスリートと、属していないアスリートの違いはどの辺にあると感じておりますか。
山﨑)最大の違いは保険加入に対してです。僕の肩書きは会社員なので、都民共済などの保険にも入れます。スポーツは怪我と隣り合わせですが、高額な医療費の負担を考えず、安心して競技に取り組めることも大きいですね。余裕が生まれることで、次に向けてのステップアップの勉強だったり、自分は何になりたいのかという、レスリングを通してさらにしたいことを考えることもできています。
ー企業アスリートは社会との接点も多いですから、社会性も身についていきますよね。今後の目標はどこに設定していますか。
山﨑)まずは今年、全日本選手権優勝を目指して頑張っています。また、動けるうちはずっとレスリングを続け、トップ選手としていたいです。本格的にまだ決まってはいないですが、今、武田選手と一緒にグラップリングや打撃の練習をしているので、今後、違う競技でもトップ選手を目指していけたらと思っています。レスリング以外の格闘技もどんどん強くなっていって、レスリングはバックボーンが強いということを皆に見せたいですし、レスリングはこんなに強くなれる、魅力がある競技だと伝えていきたいです。
ーレスリング代表として他の団体に出場するのは見ている側としては楽しみです。最後にお聞きしますが、山﨑 選手にとってプロとは何でしょうか。
山﨑)僕はその競技専門分野を続けられている人がプロッショナルだと思っています。また、それで飯を食えていて、なおかつその中でトップにいる人がプロだと思っています。ネットで検索して最初にその人の名前が出てくるくらいの選手です。専門的なもので飯を食えてないと、僕はプロとしては言えないのかなと思います。
ー今日のインタビューでレスリング、そして企業アスリートの事を学ばせていただきました。今後も応援しております!
編集後記:インタビューを通じて、山﨑選手はその時々で何が自分の人生に必要かを冷静に判断できる方だと感じました。企業アスリートになることで、最初から応援してくれる人が身近にいることの心強さについても語っておりましたが、それは誰でもそうなるわけではなく、山﨑選手の人間性が周りをそうさせているのではないでしょうか。山﨑選手の挑戦をこれからも見届けたいと思わせてくれるインタビューでした!(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介