インタビュー | 2025.4.8 Wed
『大事なのは、何をやるかではなく、どう在るか。』
そう語るのは、先日引退を発表した異色のボクサー、キンノスケ選手。
元々は野村證券で証券マンとして活躍し、自ら会社も経営していたビジネスマンだった彼が、ボクサーとして本気で世界を目指した3年間。
その道のりには、戦績だけでは語れない数々の経験と想いが詰まっています。
今回は、引退を決断した背景、この3年間の活動や心の内、そして今後のキャリアについて、お話を伺いました

キンノスケ
所属:一力ジム
生年月日: 1988年7月30日
身長:185 cm
出身地: 福岡県福岡市
経歴:明治大学卒業後、22ヵ国を巡る一人旅を経験。その後、野村證券に入社し、株式会社イコールワンHDを創業。2022年5月から本格的にボクサーとして活動を開始し、2025年3月に引退を決意。スポンサー集めやSNS運用など、自己プロデュースを駆使し成績だけでは表せない多彩な活動を行い、異色のボクサーとして知られる。
命の危険を感じた減量が引き起こした転機
─前回のインタビューから1年半が経ちましたが、引退を決意されたと聞いたとき、正直驚きました。決断は前回の試合後(2025年3月24日)にされたのでしょうか?
キンノスケ)いえ、実は試合の前に決めていました。今回の減量があまりにも過酷で、自分の中で限界を感じたんです。普段なら65kgあたりから体重が落ちにくくなるんですけど、今回は70kgからまったく動かなくなって…まだここから9kg落とさなきゃいけない。
今まで体と向き合ってきたので、これ以上落とすものがないことは分かっていましたし、そのため、筋肉を落とすしかないと腹をくくりました。でも食事を極限まで抑え、タンパク質の摂取をやめても、筋肉が落ちないことに危機感を覚えました。最終的には水抜きで9kg落とすしかないという結論に至ったときに、本当に命の危険を感じました。水抜きって落とせても5㎏ぐらいなので、搬送は100%されるなと思ったので救急車の呼び方を調べてましたね(笑)
ー相当追い詰められた、命の危険を感じるような減量だったんですね。
キンノスケ) その時にライト級ではもう戦えないという現実を突きつけられましたね。スタミナの課題を埋めるためにフィジカルを強化したものの結果的に世界チャンピオンになるという僕のキャリアプランがそこで崩れてしまったんです。

ーこのままでは世界チャンピオンにはなれないと確信してしまったんですね。
キンノスケ) そうです。ちょうどスポンサー契約の更新が3月1日だったんですが、自分の中で世界を目指すという言葉が心から言えなくなってしまっていた。その状態で夢を語ることはできないと思いましたし、自信をもってスポンサーの方にお願いしますと言えなくなってしまいました。僕が信じられていない夢を語ることは、応援してくれる人に対しても誠実ではないと思いました。このままだとビジネスボクサーになってしまうなと思って、その時に初めて引退という二文字が頭に浮かびました。
ー引退に関して決断される前にどなたかに相談されたんですか?
キンノスケ) 同僚の帝尊 康輝(たいそん こうき)というチャンピオンの選手に相談したところ、『ウェルター級であれば、日本チャンピオンを目指せる』と言ってくれました。確かに世界チャンピオンは難しいかもしれませんが、日本チャンピオンなら十分目指せると、同じボクサーとしてアドバイスしてくれました。しかし、僕の中では、スポンサーに対して100%の気持ちを伝えることができない自分がいて、その気持ちを一旦胸にしまうことにしました。
ー減量期間中は、いろんなことを考えながら頭の中で様々な思いが巡っていたんですね。
キンノスケ) 減量の極致に達したとき、気づいたことがあって、それは目標を設定して達成することが重要だと思っていたけれど、実際には『どうあるか』が一番大事だということです。これに気づいたのは、経営者時代から上場を目指したり、ボクシングでチャンピオンを目指したりして、常に自分でゴールを設定し、そこに向かって走り続けてきたからです。
多くの挑戦をして、周りからは『すごいね』と言われることも多かったですが、その過程で気づいたことがあります。それは、目標に向かって走り続ける中で、自分が通り過ぎてきた景色や、共に過ごしてきた人々をほとんど見ることができていなかった自分に気づいたんです。それまで僕はずっと未来ばかり見てきましたし、成功のために今を犠牲にする、みたいな生き方をしていた。だから減量の最後の4日間は“今日”に集中することに決めたんです。
未来のことも過去のことも考えず、ただ1日1日を大切にする。その感覚が本当に新鮮で、減量中にも関わらず、楽しいって思えたんですよ。減量という行為が、ただの苦行じゃなく、日常そのものになった感覚でしたね。
ーその感覚を持ちながら試合当日を迎えたわけですが、試合当日にもご自身の考えや体に変化はありましたか?
キンノスケ) ウォーミングアップのときも『あと3試合、あと2試合、次が自分の出番だ…』みたいな焦りがなくなっていて、すべてを味わおうとしていました。普段入場の時は周りを見ずにリングだけ見て入場していたのですが、今回は入場のときに、人生で初めて“ゾーン”に入ったんです。観客全員の顔がはっきり見える。遠くの席の知り合いの顔まで識別できるんです。まるで映像の中に自分がいるような感覚でした。
ー試合中もその状態が続いたんですか?
キンノスケ) 前半は続いてましたね。でも後半、勝ちたいという欲が出てきた瞬間にゾーンが解けたんです(笑)そのときに倒されてしまった。でも、あの時間は一生忘れられない。目の前のことに集中することの大切さを、本当の意味で体感できました。

リングの上の強さだけでは応援は得られない
ーボクシングを始めてからの3年間、ご自身の中で一番変わったと思うところはなんでしょうか?
キンノスケ) 頭の中ですね。思考も生き方も、全部ボクシングに変えてもらった。食生活も、生活習慣も、全部です。特に最後の減量で“どうあるか”という生き方に向き合うことができた。これは本当に大きかったです。ボクシングがなければ、自分の人生のペースを見つけることもできなかったと思います。
ーSNSでの発信やスポンサーを獲得するための活動にも力をいれていましたよね。スポーツ選手の自己プロデュースの重要性について、どのように考えていますか?
キンノスケ) 自己プロデュースはすごく大事です。選手として活動していて思ったのはリングの上で強いだけじゃ誰も感動しないんです。人を巻き込んで、誰かにとって大切な存在になれるかが重要だと思っています。自己プロデュースって、単なるテクニックじゃなくて、“自分がどう在るか”なんです。日々の挨拶や、周囲への気遣い、そういった小さな積み重ねが人の心を動かすと思うんです。
東京に来て住み始めた頃は、知り合いが誰もいなかったんです。でも、近所のお店の人たちと交流を持つようになったら応援に来てくれたりしました。そういうのって、すごく温かいなと思いました。でも、よく考えてみると、それは僕が“他人”じゃなくなったからなんですよね。やっぱり『他人事じゃなくなる』っていうのが、すごく大事なんだなと思いました。
ー元々は証券会社に務め、ご自身でも会社の代表を務められていました。経営者の視点を持った希少なアスリートでもありました。
キンノスケ) 経営者の経験があったからこそ、ボクサーになっても『自分をどう見せるか』を常に意識していました。例えばスポンサー資料も、ただ数字を並べるんじゃなくて、自分が社会にどんな価値を与えられるかを考えて作ってました。試合のたびにパフォーマンスも意識してましたし、音楽や照明などの演出にも関わってました。自分をコンテンツとして捉える、という視点があったんです。

“抜きどころ”を見つけた海外修行の成果
ーキンノスケ選手の行動力には、いつも本当に感心させられます。ヨーロッパにも修行に行かれていましたよね。どういった経緯で行かれたんですか?
キンノスケ) 僕の場合、日本で普通にやっていても夢には届かないと思ったんです。だから、世界を目指す以上は、早く世界を見に行こうと決めて、ヨーロッパに行きました。
国を選んだ理由としては、アメリカよりイギリスのほうが合ってるかなと。なんとなく骨格的な相性の問題もあって。アメリカには、背が小さくてガッチリした選手が多いんですが、ヨーロッパには比較的スラッとした体型の選手が多い印象があって、それが自分に合っていると思ったんですね。
なので、まずはロンドンに行こうと考えていたんですが、その前にちょっとバルセロナにも行ってみようと、軽い気持ちで立ち寄ったんです。そしたら、そのバルセロナが想像以上に良くて、結果的にそっちがメインになりました(笑) ただ現地のジムにDMしても全然返事がもらえなかったのでTikTokで『ボクシングの武者修行に来てるからジムを教えてください』と投稿したら、現地の人たちがコメントで教えてくれて。それをスクショして教えてもらったジムにDMを送って、やっと練習場所が見つかったんです。スペインの選手たちは、とにかく楽しそうにボクシングしてました。練習量はものすごいのに、全く歯を食いしばらないんです。そこが衝撃でした。

(写真左:ラファ・マーティン会長 写真右:サンドラ・マーティン選手)
ー歯を食いしばらないというのはいい意味で手を抜くってことですか?
キンノスケ) まさにそれですね。体の使い方も、人生観も、彼らには『歯を食いしばる』という概念がないんです。毎日、ものすごい量の腹筋をやらされるんですが朝にやって、夕方にもまたやるんです。『えっ?朝やったじゃん』と思うのですが、彼らは淡々と、ヘラヘラとこなすんです。どうしてこんなに出来るんだろうと思ったら、実は結構手を抜いているんです。でも、手抜きというよりは、ちゃんと義務はこなしているんですよ。要は、力の抜き方が非常に上手で、与えられた宿題をニコニコしながらこなしているんです。
結果、効率も良い。自分も途中から力を抜いて取り組むようにしたら、パンチの打ち方も変わりましたし、体の使い方が急激に良くなりました。日本だと『頑張ること』が美徳ですが、海外では『楽しむこと』が前提なんですよね。ロンドンのジムなんかは、基本に忠実でフォームが美しい選手が多く、逆にスペインは型破りで自由なスタイル。両方を経験できたのは大きかったです。
ー日本とのスタイルの違いを心から楽しめて吸収出来たんですね。
キンノスケ) それまでは、食事も含めてすごくストイックに自己管理していたんですけど、向こうに行って初めてワインを飲むようになったんです。それは、『歯を食いしばらない』っていう感覚とちょっと似ていて、力を抜くというか、うまく“抜きどころ”をつくることを覚えたんですよね。そういうバランス感覚も、現地での経験を通じて身につけられたと思います。
揺らぎに従って進む先に、料理人としての道が見えた
ー『食』に関しては、本当に徹底されていましたよね。以前拝見したキンノスケ選手のスポンサー資料にも、1か月にかかる費用が記載されていましたが、中でも食費が一番高かったのが印象的でした。それだけ“身体をつくる”という意識が強かったんだなと感じました。
キンノスケ) そうですね。自分の体を細胞レベルで理解しようとする中で、食事がいかに大切かを痛感しました。どんな環境で育った鶏の卵なのか、どんな餌を食べて育ったのか。そんなことまでこだわるようになって。今は料理人としてのキャリアをスタートさせる準備中です。最近では、自分で農園を訪れたり、生産者と話したりすることも増えてきました。
ーボクサーとして食事を真剣に考えてきた経験があったからこそ、『料理人になりたい』という思いに自然と繋がっていったんですね。身体づくりのために何をどう食べるかを突き詰めてきたからこそ、食への探究心やこだわりが深まっていって、それが新たな目標に結びついているのはとても納得感があります。
キンノスケ) 食を通じて人の人生を喜ばせたいという気持ちが、今の自分の中で一番強くあります。これまでボクシングや経営を通じて、人と向き合い、周囲を支えてきた経験がありますが、今度はその役割を『食』を通して果たしていきたいと思うようになりました。
もともとアスリートとして食事には強いこだわりがありましたし、ストイックに管理していた時期もありました。そうした日々の積み重ねの中で、食への興味が深まり、『料理人になりたい』という気持ちが自然と芽生えてきました。
自分にとっては、これは新たな挑戦というよりも、これまで歩んできた道が自然と一本につながっている感覚です。経営の経験がレストラン運営に活かせるかもしれないし、ボクシングを通して培ったストイックさや人との関わり方が、きっと料理の世界でも役に立つと思っています。

ーこれまでさまざまな挑戦をしてきた中で、これから新しい挑戦をしようと考えている人たちに伝えたいことはありますか?
キンノスケ) 僕が大切にしているのは『揺らぎ』という概念です。何かに心が動いた瞬間、流れが生まれている。それを信じて流れに乗ってみること。自分がブレているように感じても、実はそれが本当の自分の道だったりします。他人の引いたレールから外れることを恐れないで、自分の人生という作品を自由に描いていってほしいです。僕自身も、経営者、ボクサー、そして料理人へと『揺らぎ』に従って進んできました。
ーこれまでさまざまな挑戦をしてきた中で、振り返ってみて『もっとこうしておけばよかった』と思う瞬間はありますか?
キンノスケ) うーん、強いて言えば、『もっと人に頼ってもよかったな』とは思います。ボクサーって孤独なイメージがあるし、実際そうなんですけど、心の奥では誰かと分かち合いたい感情もある。今思えば、もっと仲間やトレーナーに心の内を話せばよかったかもしれませんね。でも、それも必要な過程だったと思っています。
ー支えてくれた仲間たちの存在も大きいと感じましたか?
キンノスケ) もちろんです。試合前にメッセージをくれた友人、ジムで汗を流した仲間たち、食事管理をサポートしてくれた人たち。みんながいてくれたから、僕はリングに立てたんです。感謝しかないですね。
ーこれまでの挑戦や経験を踏まえて、将来の目標について教えていただけますか?
キンノスケ) どこに向かうのかに縛られずに、人としてどう在れるかを追求していきたいですね。大事なのは『何をやるか』じゃなく『どう在るか』。この感覚は、ボクシングで培った最大の財産です。
ー1年半前にもお伺いしましたが、引退を決断された今、改めてお聞かせいただけますか。キンノスケ選手にとって、“プロフェッショナル”とは何でしょうか?
キンノスケ) 人を喜ばせること。これに尽きますね。自分の行動が誰かの心を動かしたなら、それが一番の価値だと思います。
ー引退を決めた直後にお話が聞けて良かったです!今後のキャリアにも注目しております!

編集後記:1年半前にインタビューした時とは、キンノスケさんの表情がまるで別人のように見えました。経営者としての時代とは異なる“死線”をくぐり抜けてきた、そんな顔つきに変わっていたのです。頭の回転が速いにもかかわらず、ご自身のやりたいことに対しては、理屈よりも感情を大切にする姿勢が印象的な人。
そして常に『自分がこの社会に何を与えられるのか』を考え続けるその姿に、私自身も少しでも学び取りたいと思わされたインタビューでした。
(RDX Japan編集部)インタビュアー 上村隆介