BRIDGE OF DREAMS 野村 優

インタビュー | 2025.11.5  Wed.

女性アスリートとしてインフルエンサーを確立したい

パワーリフティングで日本人女子としてBIG3合計500kgを達成し
いま注目を集める野村 優 選手。
圧倒的な強さだけでなく、SNSで見せる飾らない姿や日々の努力が、
多くの人を惹きつけている。
柔道で育まれた強さの原点、会社員時代の葛藤、競技へ専念する覚悟、そして女性が挑戦しやすい環境づくりや“新しい美しさ”の価値観。
今回のインタビューでは、野村選手の歩みとその想いを伺いました。

野村 優 (のむら ゆう)

生年月日:2000年2月9日
身長:161 cm
出身地: 京都府京丹波町

経歴:高校でパワーリフティングと出会い、大学1年で世界選手権(サブジュニア)を制覇。BIG3で日本人女性初のトータル500kg超など数々の記録を更新し、日本女子トップクラスの選手として活躍している。

賞歴:2025年 全日本パワーリフティング選手権大会優勝
2025年 世界クラシックパワーリフティング選手権大会出場
2025年 アジアパシフィックアフリカ選手権大会出場(アジア記録更新)
など多数。

柔道少女だった過去が
今の自分をつくった

ー現在はパワーリフティングでご活躍されていますが、スポーツの原点は柔道だと伺っています。まず、柔道を始めたきっかけを教えてください。

野村)柔道を始めたのは自分から「やりたい」と言ったのがきっかけなんです。元々、私はすごく泣き虫で、あまり運動が得意なタイプではありませんでした。だから母には最初、かなり反対されました。「あなたには続かないんじゃない?」と。それくらい、当時の私は気が弱い子どもだったんです。

ただ、近所の男の子に誘われたこともあって、“柔道って楽しそうだな”という気持ちが強くなりました。母も柔道経験者だったので、話としてはずっと柔道は身近にあったんですよね。母が「柔道は楽しいよ」とよく言っていたことも、きっかけの一つだったと思います。

それでも、母は過去に私が別のスポーツをすぐ辞めてしまった経験を知っていたので、「やるなら小学校を卒業するまでは続けなさい」と条件をつけました。結果的にそのまま中学でも続け、地元の大会では優勝し、府大会では3位。さらに、中学生男子の部で3位、中学一年生男子の部では優勝するまでになりました。

始めてすぐは本当に痛いし、負けるし、悔しい思いの方が大きかったです。でも、続けるうちに少しずつ筋力もついて、自分の体が変わっていくのが分かるようになってきて、いつの間にか自分の中で「強くなりたい」という気持ちを育ててくれたスポーツになっていました。

学生時代は柔道少女だった

ーパワーリフティングを始められたのは柔道のトレーニングの一環だったんですよね?

野村)そうなんです。パワーリフティングは、もともと柔道のトレーニングの一環として始めました。多少は力に自信がありましたが、プレートがついていない20kgのバーベル1本でもうまくコントロールができなくて、最初の頃は「悔しい」の連続でした。

そんなとき、指導してくださった先生が「努力の先にどんな景色が見えるのか、一緒に見に行こう」と言ってくれたんです。その一言は本当に大きかったですね。自分の中で“強くなりたい”という気持ちに火がつき、練習への向き合い方が少しずつ変わっていきました。

ーそれがきっかけでパワーリフティングにのめり込んでいったんですね。

野村)はい。高校1年生の秋に柔道部からパワーリフティング部に転部して、パワーリフティングの楽しさにすっかり引き込まれていました。柔道は勝敗が相手との駆け引きで決まるスポーツですが、パワーリフティングは“昨日の自分より1kgでも強くなるかどうか”が全て。自分の努力が数値として返ってくることが、純粋に楽しくなっていったんです。

あとは同世代でパワーリフティングを始めた選手たちの存在も刺激でした。自分より伸びが早い子がいて、悔しくて帰り道で大号泣したり、昼休みに体育館へ行って“影の自主練”をするほど必死になっていました。そういう時期を経て、「もっと強くなりたい」「柔道よりも、こっちの道で勝負したい」という気持ちが自然と大きくなっていきました。

男子の部に挑み、確かな結果で実力を示した

働く自分と戦う自分
二つの人生の間で迷っていた

ーそんな悔しさを糧に努力されて大学進学後はパワーリフティングに専念されたんですね。大学1年の時の世界選手権優勝は大きな転機だったのでは?

野村)サブジュニア(18歳以下の大会)とはいえ、世界選手権で優勝できたことは、私にとって本当に大きな転機でした。海外の選手は体格や成熟度が明らかに違っていて、アップ場に入った瞬間から圧倒されるような雰囲気があったんです。でも、その緊張の中で自分の試技をやり切れたことで、「自分の努力は世界でも通用するんだ」と実感できました。

試合後は、国籍に関係なく互いを讃え合う空気があって、スポーツが言葉を超えて繋がれるものなんだと強く感じました。この経験が、大学以降も本気でパワーリフティングを続けていこうと思えた大きなきっかけになりました。

ー大学卒業後は会社員として働きながら競技を続けていましたが競技との両立で悩まれたりしたことも多かったとお聞きしました。

野村)はい、本当に難しかったです。仕事をしていると、時間がないというより“頭の中の余白”がなくなる感覚があって、仕事が終わってジムへ行っても、気持ちを切り替えるのがすごく大変でした。身体は動くはずなのに、脳が疲労してしまって集中が続かないんです。

疲れすぎている日は、フォームを意識するどころか半分眠りながらバーベルを握っているような時もありました。

ー疲労がある中のトレーニングは怪我が怖いですよね。

野村)そんな状態で練習するとケガのリスクも高くなるので、「このままで本当に強くなれるのかな」と不安になることも多かったです。気持ちはパワーリフティングに向いているのに、頭も体も仕事に奪われていくような感覚があって、両立の難しさを強く感じていました。

ー仕事との両立でどちらも上手くいかないんじゃないかという不安もありましたか?

野村)ありました。やっぱり普通の会社員として働いていると、どうしても職場に迷惑をかけてしまうんじゃないかという思いが常につきまとっていました。大会に出るために休みを取るのも、周りに気を遣ってしまって、「本当にこの環境で競技に集中していいのかな」と自問する日が多かったです。

ーしかし職場に対して感謝もしていると過去の記事で拝見しました。

野村)職場としては本当に良い職場でした。応援もしてくれてましたし、休みも融通を利かせてくれたりと感謝の気持ちは多くありました。ただ練習や試合に対しての気持ちはパワーリフティングに向いているのに、仕事と両立しようとすると、どうしても“全力”ではいられない。その中途半端さが、自分の中でずっと引っかかっていました。

仕事を辞めてみて初めて、パワーリフティング界の情報や大会の動きに全然追いつけていなかったことに気づいたんです。「自分はこの3年間、世界の流れから少し置いていかれていたのかもしれない」
という実感がすごく大きくて、同時に“じゃあここから取り返そう”という気持ちにもなりました。

3年間の会社員生活に区切りをつけ、競技に専念する道へ。

ー仕事を辞めて競技に専念するというのは、大きな決断だったと思います。その選択をするうえで、恐怖や不安を感じる場面はありましたか?

野村)めちゃくちゃ怖かったです。会社を辞めるということは、これまでの“安定”を手放すことでもあるので、最初は「この先どうやって生活していくんだろう?」という不安の方が大きかったです。競技だけで生きていける保証なんてどこにもないし、自分の決断が正しいのかどうかも分からない。考えれば考えるほど怖くなりました。

それでも、「やるなら今しかない」という気持ちが最後は勝ちました。年齢的にも伸び盛りのタイミングで、ここで中途半端にしていたら後悔すると思ったんです。世界の選手たちの成長スピードを見ても、今の自分にブレーキをかけたくないという思いが強くありました。

怖さは消えなかったけれど、それ以上に“今やらなかったら一生後悔する”という感覚の方が強かったです。

ー会社を辞めて競技に専念することについて、ご両親にはどのように相談されたのでしょうか?また、そのときの反応も教えてください。

野村)両親には辞める1年前から少しずつ相談していましたが、最初は当然反対されました。普通に考えれば不安だらけの道ですし、心配してくれていたと思います。でも、自分がどれくらい真剣にパワーリフティングに向き合いたいかをちゃんと伝えたら、最終的には「あなたが本気なら応援するよ」と背中を押してくれました。

葛藤の時間があったからこそ競技に向き合う喜びを知った(本人提供)

ー競技に専念すると決めてから、日々の生活や考え方の中で、最初に大きく変わったと感じたことは何でしたか?

野村)世界の選手や情報をキャッチできる余裕が戻ったことが、まず大きな変化でした。
会社員の頃は、気づいたらパワーリフティングの最新情報や海外選手の動きに全く追いつけていなくて。「こんなに世界は進んでいるんだ」と、改めて実感しました。

そして、不思議なんですけど仕事を手放した瞬間に“自分には何でもできるし、逆に何も持っていない”という感覚が同時に押し寄せてきたんです。自由になった分だけ責任も全部自分に返ってくるので、その意味ではすごく怖い。でも同時に、ここから何でも挑戦できるというワクワクもありました。

女性が一歩踏み出せる環境をつくりたい

ー女性限定のパワーリフティング大会「Strongirls Strength Festival」では運営にも携わっていらっしゃいますが、そもそもこの大会はどのような経緯で立ち上がったのでしょうか?

野村)発起人は河西 香南さんで、私と友松春奈さんの3人が中心となって運営に入りました。パワーリフティングって、初めて公式戦に出る女性にとってはハードルが高いんですよ。試合会場は屈強な男性ばかりで怖い、と感じる方が多いんです。だからまず「女性だけの大会」でバーベルに触れて、“楽しさ”を知ってもらえる入り口をつくりたかったんです。

運営を経験してはじめて知った、競技とは違う楽しさ(本人提供)

ーストロングガールズでは、演出やイベント的な要素を取り入れて大会の“場づくり”にも力を入れている印象があります。こうした工夫は、どのような意図で取り入れているのでしょうか?

野村)第4回大会ではレッドカーペットを敷いて、選手が中央を歩いてステージに上がる“ランウェイ”のような演出にしました。パワーリフティングって記録勝負のストイックな競技というイメージが強いんですが、「強い女性って本当にかっこいいんだよ」ということを、数字以外でも伝えたかったんです。競技としての強さだけじゃなく、“主役として照らされる瞬間”を演出したかったという思いがあります。

ただ、こうした準備は本当に大変で、会場の手配から動線の設計、照明、演出の案出しまで全部自分たちでやるので、正直「もう無理かも…」と思う瞬間もあります。特に女性限定大会ということで、初めて出場する方も多く、安心してステージに立てるように細かい配慮が必要なんです。

レッドカーペットで彩られた特別なステージを演出した

ーそうした工夫を加えることで、参加された方から「すごく楽しかった」という声も多く届いていると伺います。運営側として、その反応をどのように受け止めていますか?

野村)やっぱり当日になって選手たちがランウェイを歩きながら笑顔になっている姿や、ステージ上で自信に満ちた表情を見せてくれる瞬間を見ると、「この演出をやってよかった」と心から思えるんです。それがあるからこそ、「また次も絶対やろう」と思えるし、苦労を乗り越える力になっています。

発起人・河西さんを心から尊敬する存在だと語る(本人提供)

美の基準を自分の生き方で広げたい

ーSNSでは多くのフォロワーを抱えていらっしゃいますが、パワーリフティングの魅力をSNSを通じてどのように発信していきたいと考えていますか?

野村)“どんな女性でもパワーリフティングに挑戦できる”というメッセージを伝えていきたいです。日本では“細い=美しい”がまだ強い価値観ですが、筋肉がついた身体も、食べて鍛えて健康でいる身体も、同じように美しいはずです。

競技を始めると腕や脚は太くなりますが、それは“強さの証”。過度なダイエットより、運動で健康な身体を作るほうが一生の財産になる。私の体を見て「こういう見た目も好き」と思ってくれる人が増えたら嬉しいですね。

筋肉をまとう美しさを広げていきたいと語る(SAMURAI POWER MEDIAより提供)

ー競技者としての今後の目標を聞かせてください。

野村)大きく2つあります。まず競技では世界選手権優勝、そしてワールドゲームズやSheffield Powerlifting Championships(招待制の世界トップ選手だけが参加できる大会)の舞台に立つこと。日本人女子でBIG3合計500kgを達成できたことは自信になりましたが、まだ伸ばせる部分はたくさんあります。

そしてもう一つ、私の中で大きな挑戦が「重いものを持ち上げるフィットネスインフルエンサー」というジャンルを日本で確立することです。海外には、パワーリフティングとSNS発信を両立しながら、競技の価値や“強くて美しい女性像”を発信するロールモデルが何人もいます。彼女たちの存在が、競技人口の増加や認知拡大につながっているのを見てきました。

でも、日本ではまだその立ち位置にいる女性アスリートはほとんどいないのが現状です。だからこそ、“自分がその第一人者になりたい”という思いがあります。

ー最後に、アスリートとして活動するうえで、野村さんが大切にしている価値観や信念を教えてください。

野村)“憧れられる選手でいたい”ということです。私も先輩の背中を追って強くなりました。若い選手に“この競技には夢がある”と思ってもらえる存在になりたい。

もし私が競技で食べていけるモデルケースを作れたら、日本のパワーリフティングの未来も変わるはず。重いものを持ち上げることが、“美しさ”にも“生き方”にもつながる世界をつくりたいですね。

ーこれからの女性パワーリフターの未来を、ぜひ明るくしていってください。
本日は貴重なお話をありがとうございました。

野村 優

RDX Japan編集部
インタビュアー  上村隆介

RDX sports japanは
野村 優
を応援しています。