インタビュー | 2024.2.16 Fri
『UFCを初めて見た時に衝撃が走ったんです』
そう語るのは2024年1月にタイで行われたRWSに初参戦したルイ選手。
幼少期を家庭の事情で日本、フランス、香港を行き来しながら過ごしました。
しかし、彼女にとって転機となったのは12歳の時に偶然目にしたUFCの試合でした。
そして、母親の死をきっかけに将来を真剣に考えた彼女は、自らに問いかけ、格闘技の世界へと進むことを決意。
彼女の人生における転機と、格闘技への情熱がどのように彼女の人生を変えてきたのかを取材を通して知ることが出来ました。
ルイ
所属:クラミツムエタイジム
生年月日:1997年2月19日
身長:165cm
出身地: 香港
経歴:S-1 JAPANスーパーフライ級 王者
初めてのRWSでの試合、1R途中まで記憶がない
ー2024年1月13日に行われたRWSでのデビュー戦は惜しくも判定負けでした。改めて試合の感想をお聞かせください。
ルイ)まずここまで大きい舞台が初めてだったので緊張しました。また、タイ人は幼い頃から格闘技を始める人が多く経験値が高いので、うまいなと改めて思いました。相手の蹴りをブロックした時の骨の重さも感じました。私自身も日本と香港のハーフなので、純日本人選手と比べると身体は強くできていると思っていましたが、試合経験の多いタイ人の方は特に脛が固くなっているなと思いました。
実は顔に前蹴りを食らって、少し歯に違和感があります。検査的には大丈夫そうですが、きちんと自分に合ったマウスピースを着けようと改めて感じました。
ーRWSはどのような大会ですか?
ルイ)タイ初のムエタイスタジアムであるラジャダムナンのワールドシリーズという大会です。ムエタイの聖地で行われる海外向けの大会だと思います。エンターテイメント要素も多くムエタイの大会の中で海外に受けるようなアグレッシブな大会でありながら、伝統的な面もある大会です。
ーお客さんはタイ人の方が多いですか?また、会場の雰囲気はどうでしたか。
ルイ)タイの人もいますが、リングサイドなどは海外の方が多く見に来ています。選手でなくムエタイが好きで見に来ている人が多いので、日本の試合とは盛り上がりが違うなと思います。
ーラジャダムナンスタジアムで試合をするのは初めてですよね。
ルイ)私は初めてです。約7年前に見に行ったことがあるのですが、当時のタイでは女子の試合が認められていませんでした。リングは神聖なものとされており男の人しか入れなかったので、女子の試合が組まれるようになってきたのはここ数年です。そういった事情もあり、自分がこのリングに立つと感情が高ぶるかなと思っていたのですが、試合が始まったら自然と集中した状態に入っていました。
ーこの試合で印象に残っていることはありますか?
ルイ)緊張していて、1Rは最初の組み付きまで全然覚えていません。WRSは特殊な判定方法なのでアジャストするのが難しいなと思いました。試合後にはお互いを称え合って抱擁するのですが、タイではムエタイをスポーツとして行っているので、煽り合いはあまりないんです。
母の死をきっかけに自問自答し、格闘技の世界へ
ールイ選手の幼少時代を教えてください。
ルイ)生まれたのは神奈川県横須賀市ですが、1歳になる前には香港に行きました。その後義理の父がフランス人だったこともあり、フランス、香港、日本で過ごしました。家で母と話す時は日本語、学校ではフランス語、外では英語を使っていました。
(本人提供)
ーどのようなご家庭で育ちましたか。
ルイ)母がフルートの先生だったので、音楽に触れる機会は非常に多かったです。幼い頃はバイオリンをしていて、今は歌が好きなので趣味でギターを弾いたりしています。ずっと音楽をしてきたので格闘技を始めた時は大反対されました。
(本人提供)
ー初めて格闘技に触れたのはいつ頃ですか?
ルイ)フランスで過ごしていた12-3歳の頃です。小さな島でわんぱくな男友達のグループで育ったのですが、UFCを初めて見た時にかっこいいと衝撃を受けました。自分自身もわんぱくな幼少期だったので、周囲の方に合気道や柔道、格闘技を勧められました。14歳の時にクリチコ選手のボクシングの試合を観て、こういうふうになりたいと思い、周囲の格闘技をしている人にミットを持ってもらったり体を動かす程度に始めて、そこから興味が湧きました。
ー本格的に格闘技を始められたきっかけはありますか。
ルイ)私が18歳の時に母が亡くなったんです。その時に自分のやりたいことをやらなかったら、人生に何の意味があるんだろうと思い、当時は日本にいたので、神楽坂にある格闘技のジムに入りました。雰囲気も良く、女性トレーナーさんがいて、他のアマチュアの女子選手も在籍していたことが決め手になりました。
J-NETWORKスーパーライト級チャンピオンの経歴を持つ
(写真:右)
(本人Instagramから引用)
ー格闘技を始めたことで私生活や性格に何か影響はありましたか。
ルイ)ADHDなので幼い頃から忘れ物が多かったりスケジュールが守れなかったりしていたのですが、ADHDの人にとって体を動かすことは大事なようで、忘れ物をしなくなったり、スケジュールを守れるようになりました。格闘技に取り組むことによって食生活の理解も深まり、食べる時間帯も大切にするようになったので、生活のルーティンができました。
ープロ選手になりたいと思ったのはいつ頃ですか。
ルイ)ジムに入会する時にプロになりたいと言いました。会長には変な人が来たなって思われたみたいです。ムエタイはプロテストがなく、アマチュアの試合をした際に特別賞をもらって、プロのオファーが来ます。ただ、プロになったら基本的にはアマチュアの試合に出られなくなるので、ジムの会長から、経験の浅さを理由にタイで試合をすることを提案されました。ルール制限のないタイでの試合は敗れましたが、その経験を積んだ後、再びアマチュアの試合に出場し、ジムの方針に従い5勝を収めた後にプロデビューしました。
強い相手と戦う事でプロとしての存在意義を感じた
ーS-1 JAPANスーパーフライ級でベルトを獲られていますね。
ルイ)NJKF(ニュージャパンキックボクシングフェデレーション)という大会で獲りました。こんなに早くチャンピオンになれるとは考えてもいなかったので、ベルトを手にした時は実感が湧かず、早すぎたのではないかと感じていました。その後、連続して外国人選手との試合が続き、レベルの高い相手との戦いが自分の居場所を確信させることになりました。
ー食生活や睡眠等、日常生活で気を付けていることはありますか?
ルイ)食生活はプロテインや炭水化物を均等に食べるようにしています。減量がより厳しくなるのを防ぐためにも普段からバランスを取ることを意識しています。日常生活では他のスポーツも趣味としてやっているので、その時に怪我をしないように自分の体を無理に酷使しなくなりました。
ー減量にはどのように取り組んでいますか?
ルイ)自分の体に合うのはインターミッテントファスティングで、10時間食べず、その後少し食べるようにしています。汗をかきにくいタイプなので、サウナスーツを着て代謝を良くするようにしています。最終的には水分をたくさん取って、お風呂で半身浴をして汗を出すようにしています。最近はテントサウナも使い始めました。
ーRDXの商品をお使いいただいていますが、使用感はいかがですか。
ルイ)スパーリングサイズのグローブを使用しており、その打ち心地が非常によいです。パンチ力を強化したいと思い、ミット打ちでも使用しています。ムエタイでは組み相撲があるため、手首周りが柔軟であることも使いやすさの一因です。
ー今後の目標を教えてください。
ルイ)RWS等の大きい大会に出てムエタイを盛り上げたいです。また、世界タイトルも1つ獲りたいです。次の試合はまだ決まっていないのですが、4月頃に出来ると良いなと思ってます。たくさんの試合を経験したくて、総合やキックボクシングルールでもできるような選手にもなりたいです。どんなことでも絶対ノーとは言いません。
ー最後にお聞きしますがルイ選手にとって、プロとは何でしょうか。
ルイ)プロ選手になると、厳しい状況や強敵との対戦が待ち受けます。しかし、そこで逃げるのではなく、立ち向かっていくことがプロだと思います。タイや海外での試合では、予期せぬ出来事が起こることもあります。その時に不安になるのは当然ですが、体力だけでなくメンタルの強さが試されます。プロとしては、どんな状況にも動じず、自分を信じて挑むことが求められます。そして、応援してくれるファンの期待に応える責任も感じています。
ーありがとうございました。今後の活動に期待しております!
編集後記:1月に行われたカムライペット選手との試合では両者のおでこに大きなたんこぶが出来ていたのが印象的でした。おでこのたんこぶの数で試合の勝敗が決まるとしたら、ルイ選手の方が少なかったので、勝ちでしたよね!と冗談を交えながら終始和やかな雰囲気でのインタビューとなりました!RWSでの初勝利期待しております!
(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介