GLORY BEYOND DREAMS MISAKI選手 インタビュー

インタビュー | 2024.8.16 Fri

幼少期の頃は引きこもりでゲームばかりしてました』

今の姿からは想像がつかない過去を持つのが、初代SB日本女子アトム級王者のMISAKI選手。

RENA選手に憧れてプロの世界に入った彼女は今やシュートボクシング女子の顔になりつつある。

今回は、反抗期だった学生時代や、引退を考えるほど悩んだ最近の出来事についてインタビューしました。

MISAKI (みさき)

生年月日:1996年2月2日
出身地:愛知県 豊橋市
所属:TEAM FOREST
経歴:
第7代J-GIRLSミニフライ級王者
初代SB日本女子アトム級王者

引退を考えるくらい落ち込みました

―まずは直近に行われた試合からお伺いしたいのですが、6月30日に行われたモンクットペット・ペットプラオファー選手との試合は、残念ながら敗戦という結果になりましたが、改めてこの試合を振り返っていただけますでしょうか。

MISAKI)キャリア10年目にして初めてムエタイに挑戦した試合でした。いつもムエタイとは程遠いファイトスタイルなので、「倒さなきゃ勝てないよ!」と言われ試合に臨みました。対戦相手はラジャダムナンスタジアムのランキング1位の選手で、膝蹴りや攻撃のいなし方など、ムエタイがうまかったです。私もがむしゃらに行くのではなくて、ムエタイを勉強してから挑んでも良かったと思いました。

―あえてムエタイスタイルで行かない決意がこの試合にはあったと思いますが、今回戦ってみていかがでしたか。

MISAKI)いつもだったら焦って相手をぶっ潰しに行くか、迷ってスタイルを変えてしまうのですが、5R通してムエタイをするのではなく、練習したことをやりきれました。5R通せたのは成長が見えたのかなと思いました。

―試合前のコンディション調整もうまくいっていたと伺いましたが、今までと準備の仕方を変えたところはありましたか。

MISAKI)いつもと大きく違うことはないですが、大石ジムさんで走り込み合宿に連れてっていただきました。試合が決まったのも2ヶ月前だったので、練習期間も長くて、対策や追い込み練習はできたなと思いました。試合当日のセコンドには大石会長がついてくださいました。

―試合後はショックのあまり引退も考えられたとSNSで拝見しました。試合後どのようにご自身と向き合いましたか。

MISAKI)絶対倒せると思っていたので落ち込みましたが、ジムの代表をしている父に、ムエタイで自分のパンチを潰されたから負けたわけであって、たらればだけどキックだったら勝っていたと言ってくれました。ムエタイの負けで現役を最後にするのは違うと思ったのと、世界タイトルを目標にしているので、まだ心の中で燃え尽きてはいませんでした。

―最近は色々とルールを超えるような試合が多い印象です。

MISAKI)男子選手は試合数も多いので無理にする必要はないと思いますが、女子は試合自体が組まれにくいので、相手のルールに合わせる選手も多いです。それこそオープンフィンガーで女子選手が試合をすることも増えてます。

中2ぐらいまではだらけた生活でした

―試合をすることが何よりも大切ですしね。今回はMISAKI選手の過去についてもお伺いします。幼少期の頃は引きこもりだったと他のインタビューで拝見したのですが、当時を振り返って頂けますか。

MISAKI)幼い頃は運動が好きではありませんでした。基本的にインドアで、家の中で絵を描いたり本を読んだりするのが好きです。特にゲームばかりしてました(笑) 格闘技を始めたのは父の影響で、小学生の時に父が空手の先生だったのでそこに通い始めました。最初はよくわからず楽しいなと思いましたけど、痛いしつらいし、やめたいって毎日言っていました。その後、高校生になった時に、父がシュートボクシングのジムを立ち上げて、ダイエットついでにジムにも行き始めました。その頃は結構太ってしまってて(笑)

―今のバキバキな体を見ると太ってるのが想像できないですね(笑) その頃はどんなゲームに夢中になっていたんですか?

MISAKI)ほのぼのしたゲームが好きで「ぼくのなつやすみ」とかやってました。ずっと夏休みみたいな生活してたのに(笑)

ー今じゃ考えられないぐらい引きこもってたんですね(笑) 学生時代は何か部活はされていましたか。

MISAKI)中学・高校と陸上部に入っていました。陸上部に入った理由は、散歩部と呼ばれるほど甘い部活だったので(笑) ただ高2になってから、後輩に負けたくないと思って、頑張るようになって、市内大会を突破して、東三河大会に出れたくらいの実力でした。

―陸上をやっていたことで足腰は鍛えられていたんですね。学生時代の思い出深いエピソードはありますか。

MISAKI)中二の時に当時仲が良かった子に影響を受けて、自転車を2人乗りをしたり夜中出かけたり少し反抗期だった時期がありました。ただ中三の時にすごく素敵な先生と出会い、その先生が好きで褒められたいがために必死で勉強を頑張りました。それまで全く勉強していなかったので、算数ドリルからやり直して、1日11時間くらい寝る間も惜しんで勉強して、その頑張りを先生が見てくれたおかげで高校の推薦をいただくことができました。

―愛の力は絶大ですね(笑) 高校に入学してからシュートボクシングを始められたとのことですが、きっかけは何だったのでしょうか。

MISAKI)車の免許を取って自分で移動できるようになったので、その頃から本格的にジムに通い始めました。シュートボクシングと空手は性質が異なりますが、あまり空手に真面目に取り組んでいなかったので、スっと入ることができました。

―シュートボクシングを本格的にやりたいなと思い始めたきっかけはありましたか。

MISAKI)RENA選手が炎の体育会TVでシュートボクシングをしていて、父が何度もテレビを見せてくれていて、芸能人の中で戦っている女の子を見て私もこうなりたいなと思ったのがきっかけです。シュートボクシングの女性の代表がRENA選手というのは塗り替えられないと思いますし、RENA選手のおかげでシュートボクシングの知名度も上がったと思っています。

―プロを目指したきっかけもRENA選手だったんですよね。

MISAKI)アマチュア3戦目にRENA選手が所属していたジムの女の子と対戦する事があり、その時のセコンドがRENA選手とRENA選手の妹分だったMIO選手でした。その試合で初めて負けてしまったのですが、憧れの2人の前で負けてしまったことが悔しくて、次は絶対勝つところを2人に見せたいと思って火がつきました。プロになってからは、日本チャンピオンのMIO選手と同じ階級だったので、この選手に勝ってベルトを獲って、世界チャンピオンになりたいと思うようになりました。

―勉強を頑張った時もそうですが、好きな人に振り向いてもらいたい気持ちが強い原動力になっているんですね。現在はプロ選手として活躍する傍ら、介護の仕事もされていますね。介護の仕事を選んだ理由は何だったのでしょうか。

MISAKI)ジムのトレーナーとスポンサーをしてくださっている副代表が経営している会社に介護の会社がありまして、試合の時は休んだり融通を利かせてあげるからと言ってくれたからです。実際に計量や大きい試合の前後はお休みをいただいています。ただ、やはり社会人と格闘家の両立は体力面でシンプルにしんどいですね。

―介護の資格を取るために通学もされたのでしょうか。

MISAKI)ホームヘルパーの資格を取りに行きました。ただ、高校卒業後は栄養士の資格を取るために短大に進学しました。栄養士の資格を取ったのは格闘技のためで、引退しても何かしらの形でジムに勤めると思うので、現役選手のサポートができるのは、柔道整復師のマッサージ系か、栄養系かなと思い栄養士の免許を取りました。

―しっかりと将来の事を見据えて勉強されているんですね。今までで一番印象に残っている試合があれば教えてください。

MISAKI)全35戦試合をして、いろんな経験させてもらいましたが、RISEシュートボクシング対抗戦で宮崎小雪選手と戦ったのはとても印象深いです。宮崎選手が残してきた功績は大きく、自分にとって強い相手に挑戦したので、絶対負けられないぞというプレッシャーが過去一大きかったです。プレッシャーは練習して紛らわすタイプですが、当時は慣れないサウスポーの対策ということもあり、怪我をして病院通いと練習を交互にしていて、気持ち的にしんどい部分もありました。

―プレッシャーをはねのけるためには練習あるのみですね。ベルトも獲得されていますが、ベルトを取った時はどんなお気持ちでしたか。

MISAKI)紅絹 選手と寺山日葵 選手に勝ってベルトを勝ち取りました。その大会はトーナメント戦で、私は優勝候補では全くなく自分でも正直無理だと思っていたので、ベルトを獲った時は嬉しかったです。ただ、思いがけず取れちゃった!という気持ちの方が強かったです(笑)

目標は世界タイトル一択です!

―いつも軽量時の体を見ると相当バキバキな体に仕上がっているように見えるのですが、減量にはどのように取り組まれていますか。

MISAKI)普段から46キロをキープしているので、激しい減量をしたことがないんです。減らしても1キロ減らすくらいなので少し夜ご飯を我慢するくらいです。体脂肪率も9%強ですね。脂肪がないだけかもしれませんが、栄養学も勉強したので日頃から気をつけています。

―これまでのキャリアの中で最も成長を感じた瞬間はどんなときでしたか。

MISAKI)ファイトスタイルを変えた時です。いっぱい手を出して突っ込めば誰にでも勝てていたのが、研究されるようになったこともあり勝てなくなってきて、大石ジムに「勝てなくなったので助けてください~!」と助けを求めました(笑) スタイルを変える前は練習したことをそのまま発揮する、作成を忠実に実行できた試合がなかったので、スタイルチェンジして初めての経験でした。25戦目ぐらいでスタイルチェンジをして、その試合数から突如成長する選手はなかなかいないと思いますが、私はそこで成長したと思います。セコンドの声が聞こえるな、これをやれば勝てるんだといろんな発見があり、楽しいなと思えるようになりました。本来は相手から研究されてもさらに超越しないといけませんが、私は自分で考えるタイプではないので、大石ジムの代表に勝てるような作戦を練ってもらい、その通りに練習しています。

大石ジムに通ったことでファイトスタイルも大きく変わった。
(写真右:大石陽一郎 会長 写真左:大石駿介さん)
(本人Instagramより引用)

―世界タイトルを取ることが今後の目標と仰られていましたが、成し遂げたい夢はまずは世界タイトルになりますでしょうか。

MISAKI)はい、世界タイトル一択です!デビュー当時は、芸能人と仕事がしたいとか、有名になりたいとかありましたが(笑) 今は現実をしっかりと見られるようになったのかもしれません。世界タイトルをとれば見える景色も変わってくると思うし、取ってから、また新しい目標が見つかるかもしれないし。本当に結果を出さないといけないなと思っています。

―いつもインタビューで皆さんに最後にお聞きしているのですが、MISAKI選手にとってプロとは何でしょうか。

MISAKI)もちろん結果を出すことが大事だと思いますが、お金をもらって試合をしている身なので、お笑い芸人と一緒で、1時間ネタをただやるだけではなく、3分3Rの中でどれだけぶち上げられるか。リングに立つまでの過程もどれだけ本気で練習できるか。そこもお客さんへの誠意の見せ方だと思います。とにかく試合と練習を本気ですること。ダラダラやらずに試合でばっちり見せれば良いと思っています。プロとはしんどいことを進んで行える人のことです。並の人じゃできないようなしんどさを続けていけるのがプロなのかなと思います。

―過去の話もお聞かせ頂きありがとうございました!今後のご活躍に期待しております!

編集後記:MISAKI選手には多くのギャップを感じました。かわいらしい顔立ちでありながら鍛えられた体、そして笑顔が絶えない明るい方なのに学生時代は引きこもりでコミュニケーションが苦手だった過去を持ちます。しかし、話をすればすぐに分かるのは、彼女は24時間、格闘技のことを常に考え生きているということです。引退を一度は考えたこともあったそうですが、彼女にはぜひ目標である世界のベルトを獲得してほしいです!(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

MISAKI

RDX sports japanは
MISAKI選手を応援しています。