GLORY BEYOND DREAMS リアルバキkyo (筋肉インフルエンサー) インタビュー

インタビュー | 2024.3.13 Wed

SNSもトレーニングだと思って毎日、投稿をしています

彼はTikTokで20万人以上、YouTubeで11万人以上のフォロワーを持つ筋肉インフルエンサー、リアルバキkyoさん。

健康寿命を伸ばすことの大切さを伝えるため、
SNSで体づくりや食生活について発信を行っている。

そんな彼のバックグラウンドには空手があり、キックボクシングがある。

そして生死を彷徨うような病気を経験したことで、
改めて健康について考えさせられたと語る。

今回は、動画ではあまり語られない彼の背景に焦点を当ててインタビューを行いました。

リアルバキkyo (中川 恭兵)

所属:KYO Freestyle Workout 代表
生年月日:1987年4月6日
身長:171 cm
出身地: 長崎県諫早市
経歴:
2022年 マッスルゲート九州 二冠王
2022年 PRO FIT CHAMPIONSHIP Men’s Physique PRO 4位
保有資格:
JFTA認定ファンクショナルトレーナー
BFRトレーナーズ協会認定トレーナー

毎日24時間じゃ足りないぐらいやることがある

―現在は、筋肉系インフルエンサーとしてご活躍されていますが、インフルエンサーとしての活動を始めた経緯から教えてください。

中川)まずは、会社を辞めて独立した時にYouTubeを始めたんです。始めたのは多分、今から6、7年前ぐらいですかね。それで少しずつTikTokとか他の媒体もフォロワー数が伸びてきて、気づいたらこういう形でインフルエンサーとしての活動をやっていることになりましたね。

―視聴者の関心を引くために、意識している事はありますか。

中川)質問を受け付けていい質問があったら、動画の方で答えています。そしたら動画にしてもらった視聴者さんも結構嬉しいと思うんですよね。 

―YouTubeではチャンネル登録者数が11万人(2024年3月現在)いらっしゃいます。登録者数が伸びた要因はなんだったのでしょうか。

中川)TikTokですね、TikTokが日本に上陸した時に、TikTokの事務所からTikTok始めませんかって話が来たんですよ。その流れでTikTokを始めたんです。その当時って、可愛い女の子が踊ってるだけのコンテンツだったんですよ。そんな中で急に僕みたいなのが筋トレを必死に語りだしたから、すぐに10万人ぐらい伸びたんです。

だからTikTokで名前が最初に売れたんですね。有名なティックトッカーがYouTubeをやってるって形で、それによってYouTubeも伸び始めた感じですね。

―YouTubeとTikTokをやりつつ、ジム経営をして、オンラインでも指導をされていますが、とてつもなく忙しいですよね。

中川)そうですね。めちゃくちゃ忙しいです。実際、毎日時間が24時間じゃ本当に足りないという感じです。

『空手バカ一代』を読んで、腕立て1,000回から始めた

―kyoさんの幼少期の頃についてお聞きします。現在の活動拠点が長崎とのことですが、生まれも育ちも長崎なんでしょうか。

中川)長崎です。長崎の諫早にある、どがつくくらいの田舎ですよ(笑)

―子供の頃はどんな事に興味をもっていましたか。

中川)当時は学校に行かないでゲームばっかりしてたんですよね。ただ剣道は好きだったので小学生の頃は熱中して剣道をやってましたね。

―剣道に熱中していたという事は、その頃からスポーツに興味を持ち始めて、トレーニングにのめり込んでいくのでしょうか。

中川)その当時は全くなかったです(笑) 本当にもうゲームがしたくてしたくて仕方なくて。スーパーファミコンとか、プレステの時代ですよね。スーパーファミコンの後期からプレステの時代だから、本当にゲームが楽しくて。

夜遅くまでゲームして、朝からもやって、昼は学校に行ってみたいな生活でした。給食費は払ってもらってるので、給食だけはしっかり食べに行ってましたね(笑)

―ということはその頃ハマってたゲームは格闘ゲームで、後にKyoさんの人生に影響をあたえていくということですか。

中川)それが全く格闘ゲームやってなかったんですよ(笑) RPGにハマっちゃったんですよ。ファイナルファンタジーとかドラクエとかですね。

―そうなると強くなりたいとか、筋トレしたいなと思い始めたのはどのタイミングだったんですか。

中川)剣道をしていて宮本武蔵が好きだったってこともありますが、色々本を読み漁ってる中に『空手バカ一代』という漫画があったんですよね。それを見て、まず極真空手を作った大山倍達(ますたつ)を見て、すごいなというのがあって。小学生の頃そう思ってたら、今度はK-1が始まったんです。K-1のアンディ・フグが、かっこよくて、強くて。負けることもよくあったんですけどね。体がとにかくかっこよかったんですよ。それを見て格闘家になると決めたんです。

目的が明確になったのが、2001年のK-1グランプリがあって、優勝候補筆頭だったジェロム・レ・バンナが1回戦でマーク・ハントと対戦したのかな。2ラウンドで、この当時は無名だったマーク・ハントがダウンを奪ったんですよね。

それを見てこんなことがあるんだと思ってですね。それを見て、僕は格闘家になろうと思って、その日から腕立て伏せを1日1,000回やるようになったんです。

その理由も自分の筋トレの教科書が『空手バカ一代』だったので、漫画にあるトレーニングをただやってたんです(笑)

―腕立て伏せを1日1,000回行うのはだいぶ辛いとは思うのですが、最初からは流石に出来なかったですよね。

中川)もちろんできないです(笑) 最初は多分100回もできなかったです。ただ、その時の教科書は『空手バカ一代』だったから、腕立て1,000回なんですよ。スクワット100回じゃないんですよ、1,000回なんですよ。最初は100回ぐらいしかできなかった。で、どんどん伸ばしていってという感じですね。もちろん1回で1,000回行くわけじゃないですよ。例えば50回の20セット、100回の10セットとか、そういう感じです。

―最初は無謀かなと思うトレーニングでもやっていくと出来てくるもんですか。

中川)意外とできます。今考えるとそのトレーニング方法に意味があるのかっていうのはあるんですけどね(笑)

―元々、子供の頃から筋肉質な体つきだったのでしょうか。

中川)全くです。中2の時から筋トレを始めたんですが、170センチで、55キロとか。結構細かったですね。

―今は食べるものを凄く考えているかと思いますが、筋トレを始めた頃は食べるものに気を使ったりしていましたか。

中川)『空手バカ一代』には塩をかけてでも白米食えって書いてあったんで、とにかく白米を食べましたね(笑) 今みたいに、栄養学も発達してない時代の漫画ですからね。

今はYouTubeやBlogで食事の大切さを発信している
(引用:real.baki.kyo.BLOG)

―自主トレとは別で部活動はされていたんでしょうか。

中川)部活動は剣道部の幽霊部員をしてました。あまり行ってなかったんです。剣道は昔からやってたから、僕としてはある程度できたんですよ。ただそれよりも、やっぱり格闘技をやりたかったわけですよね。

―ジムに通い始めたのは高校に入ってからですか。本格的にトレーニングをされたのは高校に入ってからとお聞きしてます。

中川)高校生の時はテレビとか本とか見て鍛えてたんですよ。格闘技のキックボクシング入門とかあるじゃないですか。そういったものを見て、トレーニング方法を学んだり、ちょっと鍛えてたんですよね。

高校1年の夏ぐらいですかね、極真空手の道場が行ける範囲にあるってわかったんです。それで当時は僕も調子に乗ってたんで、道場に行って、1番強いやつを出せって言って(笑)

それで高校生の強い先輩たちがどんどん出てくるんですけど、当時は喧嘩することも多く戦う機会も多かったので勝てちゃうわけです。1人倒して、2人倒して、3人倒したんです。3人目に関しては飛び後ろ回し蹴りで倒したんですよ。

それで最後に先生が出てきたんですよね。黒帯3段の先生が出てきたんです。そしたら、何にも通用しなくてですね。ハイキックで最後、一撃で倒されて落とされたんですよ。

そこでやっぱり格闘家って強いんだな、違うんだなと思って。そこから真面目にやろうと思って、心を入れ替えて、そこに入門して極真空手を始めた感じですね。

―それでも、最終的に選んだのは子供の頃に憧れてたキックボクシングだったんですよね。

中川)空手をやって色々試合とか出て、大会で3位になるんですよね。その時は負けて悔しいなと思ってたんですが、その後に県大会があって、そこに九州チャンピオンが出ると知ったんです。それで県大会も出る意味があるなと思って、決勝でその九州チャンピオンと当たって、最後、ローキックでKO勝ちしたんですよ。

そのあとも、内弟子の結構強い子とかにも勝ったりしたから、僕の中である程度キャリア積んだなと思い空手はここで終わりだなと。20歳の頃、キックボクシングのジムがまた長崎の市内にあったことに気づいてそこに通い始めたんです。

そこでアマチュアキックの全日本トーナメントというのに出たんですよ。20歳の頃出て、ミドル級で優勝したんですよね。そこからプロの方でも試合に出させてもらってって感じでしたね。

ただ、長崎のキックって空手なんですよ、空手から派生してるから。その当時、1番強かったのが、タイの選手でムエタイが最強だと思って、2か月分ぐらいの生活費を貯めてタイに渡りました。

キックボクサー時代のkyoさん(写真左から2番目)

―タイでの生活、練習環境とか、その当時どうだったんですか。

中川)泊まるとこに関しては、日本人なので、お腹壊したりしたら練習できないじゃないですか。日本人がオーナーのちゃんとしたところを借りたので、いいところでしたね。

ただ選手としての質というか、ストイックさが全然違いましたね、その当時って、僕は1日1回練習してて、頑張ってるなと思ってたんです。ただ、向こうの人たちは、1日2回練習していて。朝練習やって、夕方練習やって、それを毎日ずっと続けてるわけなんですよ。だから、練習の量とか、集中力、練習の質が違うなと思ったのを覚えてます。

―日本人選手の練習量が少ない理由ってなんだったのでしょうか。

中川)時間がないからじゃないですか、働きながら格闘技をやっている人が多いので。向こうの選手は働いてないですからね、それが仕事なんで。でも時間がないのも言い訳だなと思ったんですよ。早く起きてやればいいわけですから。

死にかけた経験から健康の大切さを改めて感じた

―その後、大怪我によりキックボクシングを引退せざるを得なかったとのことですが、大怪我以外にも2021年になってしまったご病気も相当大変だったと。

中川)そうなんです。結構これが大変だった。本当に死にかけたんですよ。

多臓器不全って言って、もう臓器が動いてないということです。その頃は仕事がすごく忙しい時期だったんですよね。仕事とSNSもずっと頑張ってる時期で、1日3時間睡眠ぐらいが1年間ぐらい続いたんですよ。

そうしたら夜だけ高熱が出るようになったんです。でも、朝には治ってるから問題ないかなと思っていて。しばらくしたら全く立てなくなって、歩くことも動くこともままならなくなったんですね。

この当時はコロナ禍だったので、病院に連れて行かれても入院できずに診察を受けて、わからないって言われて家に戻ってくるみたいな感じでしたね。

その頃はご飯も全然食べれず、どんどん痩せていきました。

―原因が分らない中、どのように回復していったんですか。

中川)胃薬みたいなのをもらったんですよ。いろんな薬をもらってたけど、全然何も効果が出なくて。これどうだろうって言われて、胃薬をもらったら、それで結構良くなったんです。どうしてかわかんないですけど、それがきっかけでご飯とか食べれるようになったんですよ。そのおかげでだいぶ回復しました。

―復帰してからすぐにフィジークの大会に標準を合わせてトレーニングを開始したのも驚きです。

まずは復帰してからトレーニングしていって、衰えた筋肉を戻していきました。2022年10月にマッスルゲート九州大会というのがあって、他団体のチャンピオンとかも集まるレベルの高い大会があったんですけど、それでなんと、初めて優勝できたんですよ。

もうびっくりしましたね。本当に病気でガリガリになってたんですよ。その時は、ガリガリになった状態から一気に筋肉をつけて、絞って、そして優勝したという。

―大会に向けてトレーニングメニューを決めるコーチを付けたとのことですが、その理由は何だったのでしょうか。

中川)自分だけでやる限界を感じてきたんですよね、効率が悪いなと。やっぱり自分でトレーニングをやると、自分がやりたいトレーニングをやっちゃうんですよ。あと、客観的に自分を見れてるようで見れてないですね。自分がトレーナーだったとしても。

コーチは2人頼みました。1人は、海外でもフィジークのチャンピオンになっている池田憲昭さんで、知識がかなり深い方です。僕の知らないことを知ってるので、その方にお願いしました。

もう1人は、ダルビッシュ選手とかのトレーナーをやられてる山本義徳さんで、2人から栄養学とかトレーニングの指導を色々してもらいました。

―その動き方を聞くと病み上がりで出場することに意味があるというレベルではなく、優勝から逆算してどのようにしていくべきかを考えて動いていたということが分かります。

中川)そうですね。1ヶ月ぐらい前から体のコンディションがすごく良かったので、もう勝ちを確信してましたね。これは勝てるなと。

―今後、また大会に出場する予定はあるのでしょうか。

中川)今年は10月のIORIMPIA(イオリンピア)という、フィジークのチャンピオンたちだけが出る大会が決まっています。もうひとつは、別府の方でマッスルゲートという、またフィジークの大会があります。

この会場は杉乃井ホテルという温泉があるホテルなんですよ。めっちゃ楽しそうじゃないですか。だからそれも出ようと思って決めました。

―九州というのはフィジークは結構盛んなんでしょうか。その理由は何なんでしょうか。

中川)めちゃめちゃ盛んですね。九州は、ボディービルが強いですよ。たとえば東京とか行った時もそうなんですけど、長崎出身って言ったらビビられるんですよね。結構スポーツの業界とかで見たら、九州ってかなり異端みたいで。なぜかというと、とにかく練習がハードらしいんです。根性がすごいというのが九州らしいんですね。九州男児という言葉があるぐらい、根性で片付けるんでしょ。

―競技活動、トレーナー、インフルエンサーとして活動を全てこなしていくことは体力的にも精神的にも疲れることが多いと思いますが、継続していくための秘訣はありますか。

中川)全てトレーニングだと思うことですね。トレーニングってコツコツやらないとダメじゃないですか。コツコツやることによって、結果が伴ってくるものですから。SNSもトレーニングなんです、なんでもいいから毎日投稿するとか。それで、ちょっとでもいいからみんなに知ってもらう。

1日1個でも動画を上げるようにすると、365日365個の動画ができるわけですよね。そしたらやっぱり誰かが見てくれるんですよ。やっていく中でここがちょっとダメだったな、こうしようというのが見えてくるわけです。そこをまた潰していくみたいな感じですね。SNSの活動もトレーニングだと思って、一緒に行っていかないといけないですね。

疲れたな、もう今日はいいやじゃなくて、それも練習、トレーニングなんだと思ってやること。多分格闘家の方も、そのフィジークとかトレーナーの方もそうなんですけど、練習は休まないと思うんですよ。SNSも一緒だと思ってやらないといけないですね。

―今まで色んな事にチャレンジをされてますが、将来別のものにもチャレンジしたい思いはありますか。

中川)特に今のところは考えてないです。今までも直感的にやろうと思ったことをやってますからね。結構満足してるんですよね。やりたいことをやりたいだけやってるから。

―RDXのアンバサダーとしてRDXの商品をお使い頂いておりますが使用感はいかがでしょうか。

中川)元々キックボクシングをやっていたのでボクシンググローブは色々使ってきましたが、RDXのグローブは手首をしっかりとホールドしてくれるので安心して強く打ち込めますね。また、ナックル部分も厚いので拳の保護もしてくれるので助かっています。リストラップは分厚いのに手首に沿って綺麗に巻けるので、高重量のトレーニングを行っても手首への不安がありませんし、ベルトも自分のウエストに最大限に合わせて巻くことが出来るため腹圧が適切にかかり安全にトレーニングする事が出来てます。

―今の活動の目標はありますか。

中川)僕は実際のところYouTubeでバズろうとかって一切なくて。僕がやっているパーソナルトレーナーとかの活動の宣伝広告だと思っているんですよ。

お金をもらいながらやってる宣伝広告だと思ってるんで、それに関しては継続していくってのが目標なんですよね。

フィジークに関しても目標って実はそんなにないんですよ。リアルバキKyoというぐらいだから、もう範馬勇次郎が目標です(笑) 史上最強の生物になるために頑張ってます。

今後を考えれば、格闘技とかも一戦ぐらい出たいなとか思ったりもしてますね。今流行ってる喧嘩の延長のものではなく武道の大会ですが(笑)

―最後の質問になりますが、Kyoさんにとってのプロとはなんでしょうか。

中川)筋トレとかトレーニングの楽しさというか、そういったものを伝えたいです。だから、トレーナーとしてプロとしてのあり方というのは、筋トレを頑張るのではなく、楽しんでもらうみたいな感じかもしれないですね。楽しむことによって自然とやるようになるから、それによって健康寿命の向上にも繋がってくるのかなという感じですね。

―面白いお話ありがとうございました!今後の活動も楽しみにしております!

編集後記:動画での発信がメインな方だけあって、話しも面白く時間があっという間に過ぎました。トレーニングに対するオタクだと自負するだけあって、体に対しての研究心は半端ないと思いました。今後もKyoさんの動画がきっかけで自分の体のことを考える人が一人でも出てくるといいなと思いました!(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

リアルバキkyo

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