インタビュー | 2025.1.27 Mon
『子供と一緒に消えてしまいたいって何度も思いました』
彼女は17LIVEでの配信をきっかけにRIZINガール、そして格闘家へと転身した、あきぴ さん。
異色なキャリアを歩んでいる彼女の過去には、様々な苦しみや葛藤がありました。
「でも今は格闘技が楽しくて、毎日が充実しています」
あきぴさんは、過去を隠さず、等身大の姿を見せてくれる人物です。
その率直な言葉で、今の自分をどのように築き上げてきたのか、今回のインタビューでお聞きしました。
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あきぴ
生年月日:1988年10月12日
出身地:山梨県
経歴:2020年に17LIVEでライバー活動を開始し、オーディションを経て2021年にRIZINガールに選出。
選手たちの努力を身近で見たことをきっかけに自身も格闘技を始め、キックボクシングを経て柔術で青帯を取得。現在は柔術と総合格闘家として試合に挑みながら、解説や配信を通じて挑戦する姿を届けている。
試合をして改めて選手の凄みを感じた
ー本日は格闘家、RIZINガール、ライバーとしてマルチに活躍されているあきぴさんにお話を伺います。次戦は2025年3月23日のDEEP JEWELS 48に出場予定とのことですが、現在のコンディションや体調はいかがですか?
あきぴ)年齢的なものもあって怪我ばかりです。練習環境が男性しかいないのでみんなに手加減をしていただきながら何とか頑張っております。1月の柔術の試合も鼻が治りきっていない状態で出場していました。
ー2024年11月23日に行われたDEEP JEWELS 47での試合映像を拝見しましたが、血だらけになりながらの試合ですごく印象的でした。
あきぴ)MMAの試合に出たのは初めてで距離感がよく分からなくて、とにかく最初から無我夢中にぶん殴りにいってました(笑) でも試合をやって改めて選手の皆さんのすごさを感じました。私が格闘技を始めたきっかけもRIZINガールになった時に、選手の皆さんの大変さを少しでも理解した上でリングに立たせていただきたいという思いだったので、こんなにも大変なことをしているんだと改めて思いましたし、負けてはしまいましたが、さらに格闘技にハマりました!
ーその試合での怪我がまだ癒えていない中、2025年1月19日には柔術の大会にも参加されましたね。SNSでも柔術の楽しさをシェアされていますが、柔術を始めたきっかけについて教えてください。
あきぴ)柔術を始める前に、まずキックボクシングを始めました。でも、選手の大変さを理解するには寝技も必要だと思い、柔術も始めたんです。約2年かけて青帯になり、青帯になってから1年経ちますが、これまで一本勝ちの経験がありませんでした。だからこそ、今回の大会で初めて一本勝ちできたのは、本当に嬉しかったです。
柔術の魅力は、自分より遥かに体格が大きい相手とも戦えることだと思います。私は道着ありと、道着なしのグラップリングの両方を経験していますが、道着があることで体重の重い相手もコントロールしやすく、男性でもひっくり返せるんです。普段できないことができる面白さがありますね。
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子供と一緒にどこかへ…
何度もよぎった思い
ー元々、運動神経は良いほうでしたか? 学生時代には、何か部活動をされていたのでしょうか。
あきぴ)運動神経はめっちゃ悪かったですよ(笑) 私はADHDなので歩き方すらバランスがおかしいくらいなんです。でんぐり返しが出来なかったですからね(笑) それでも、私みたいに発達に障害があったりしても、こうしてコツコツ努力していけばうまくなれるのがブラジリアン柔術だと思います。
中学時代は弓道部でしたが、とりあえず所属しないといけないから所属していただけで、特に何もしてないです(笑) 高校時代は友達と遊んだり、アルバイトをしたりして過ごしていました。
ー運動にはあまり馴染みがなかったのですね。学生時代には、将来の夢などはありましたか?
あきぴ)高校生の時はパティシエになりたくて、お菓子を作る学科がある短大に進学しました。ただ、そのタイミングで母が倒れて、手術が成功しなかったら半身不随になるという話だったので介護の資格を取ろうと思い、キャバクラで働いてお金を貯めてヘルパーの資格を取りました。幸いなことに手術は成功したので母は無事だったのですが、それを機に介護職に就こうと決めました。
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―当時はパティシエの夢を諦めざるをえなかったとのことですが、実際に介護の仕事をされてみて、どのようなことを感じましたか?
あきぴ)それがすごく陰湿な職場でして…使用済みのおむつが置いてある倉庫で1日中おしぼりを巻くことを指示されたり、みんなから無視をされたりと環境があまりよくなかったんです。入社してすぐそういう感じだったので、1ヶ月は耐えたのですがすぐ辞めてしまったので良い思い出は全然ないですね。
―いじめが蔓延している職場では、それが日常のようになっていることが多いのでしょうね。そうした職場は、早めに辞めるのが賢明だと思います。介護の仕事を退職されてからは、どのように過ごされていましたか?
あきぴ)またキャバクラに戻り、その後1回結婚して、離婚してと、色々とありました。離婚したきっかけは妊娠中のDVなどが原因でした。当時は妊娠していたので、とても孤独だったし、将来が怖かったですね。1人で子供を産んで育てて、子供がまだ生後半年もたたないうちに預けて、働きに行って、夜遅くに帰ってきて、子供を迎えに行ってという生活をしていて。そんな生活をしている中で「子供は幸せなのかな?」「自分は子供を幸せにできているのかな?」と凄い一人で悩んでしまって。
毎日涙は止まらないし、食欲もわかないし、子供の夜泣きもあって睡眠もなかなか取れずにノイローゼみたいになって、子供と一緒にいなくなっちゃおうと考えたこともありました。でもこのままじゃいけないと思って、1回病院に行って診断を受けました。結果として鬱病と診断されたのですが、診断されたことで気持ちが少し楽になった気がして、処方された薬を飲んだりして少しずつ落ち着いていきました。
ー辛い中でも病院に行けて、本当に良かったですね。産後うつで悩んでいる方も多くいらっしゃると思いますが、あきぴさんはそのような方々に向けて、どのような発信をしていきたいとお考えですか?
あきぴ)ライバー活動をしている中で、皆さんからの悩みを聞くこともあるんです。子供のこと、旦那さんのこと、親のこととか。本当に気持ちがわかるので、全部話を聞いています。そういう時って話を聞いてくれる人がいるだけで孤独じゃなくなると思うので、「わかるよ」って聞いています。
近い存在の人だからこそ相談することが難しい場合もあるし、私は外の世界と繋がることが大きな一歩だと思うので、ご自身でも配信を始めてくれたらいいなと思っています。今は誰でも配信ボタン一つでライブ配信もできるので、知らない人と話すなり、人の話を聞いて自分の存在の価値を感じることによって、自分は存在していいんだと思うこと、社会と繋がることがすごく精神的に落ち着く一つのきっかけになるのではないかと思いますね。
ライブ配信がなければ、格闘技の道はなかった
ー孤独は最大の病とも言われていますし、社会とのつながりは大切ですよね。ライバーを始められたきっかけは何かあったのでしょうか?
あきぴ)5年ぐらい前に友人がしていた配信を見に行って、こんな世界があるのかと驚きました。ちょうどコロナ渦だったこともあり、私もやってみようと思いはじめました。そこからRIZINガールのオーディションの存在を知り、他の子達はレースクイーンやモデルの応募者が多い中、何者でもないライバーの私も応募を決意しました。配信イベントで応援してくれる方々がいて、私は上位に選ばれオーディションに進出することができました。
ーライブ配信を始めてから、さまざまなご縁がつながっていったのですね。当時はまだ格闘技の知識がほとんどなかったとのことですが、オーディションはどのように通過されたのでしょうか?
あきぴ)当時は、親が過去に格闘技の試合を見ていた影響で、有名な選手を少し知っている程度の状態でオーディションに臨みました。でも、素直に「知らない部分も多いですが、勉強します」と伝えました。
ただ、RIZINのことはもちろん知っていて、コロナ禍でも格闘技界を盛り上げようとする熱量がすごかったんです。私自身もライバーとして、いろんな人を元気づけたいという気持ちが強かったので、「RIZINガールになれたら、ライブ配信でもRIZINの宣伝ができるし、RIZINを盛り上げていけるよう頑張ります」とアピールしました。
オーディションでは、格闘技愛やRIZIN愛について語ったり、水着審査があったりと、さまざまな選考がありましたね。
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ー2021年にRIZINガールとして大会を華やかに盛り上げていくことになりますが、実際に活動されてみていかがでしたか?
あきぴ)皆さん、まるで人間とは思えないほどスタイルが良くて(笑) 自分は場違いだと強く感じてしまいました。そこで無理をしてダイエットをし、今は55キロくらいですが、当時は40キロほどまで10キロ以上減量しました。その結果、RIZINガールデビューの日にはフラフラになり、全く耳が聞こえなくなってしまったんです。
「綺麗なRIZINガールではない」「理想の姿とは違う」と当時は悩みました。そこで、「私にできるRIZINの盛り上げ方とは何だろう?」と考えたんです。
その結果、選手の皆さんの気持ちを一番理解できるRIZINガールになろうと思い、格闘技を始めることにしました。
―RIZINガールになったことをきっかけに、自分でも選手として挑戦し、さらに解説のお仕事もされていますよね。仕事の幅が広がっているだけでなく、行動することの大切さも実感させられます。
あきぴ)解説なんてできやしないのに、お仕事をいただいていますね(笑)でも、ファン目線、RIZINガール目線、選手として、いろんな角度から大会を見て伝えられる部分はあると思っています。だからこそ、私ができること、話せることを精一杯させていただいています。
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年齢や環境に縛られず、夢を追ってほしい
―格闘家、ライバー以外にも美容関係のお仕事もされていたんですよね。
あきぴ)今は格闘技に全力を注いでいるのでノータッチですが、美容が大好きで、以前はブログやTwitterで美容について発信していました。もともと自己肯定感が低く、見た目にも自信が持てなかったのですが、努力して自分を好きになりたいと思い、美容について研究を重ねました。その中で、自分の肌色に合う色(パーソナルカラー)や、顔の骨格に合った服のデザインや髪型などがわかる資格があることを知り、取得しました。
実は、その資格を活かして自分でお店を開こうと思っていたのですが、ちょうどその時にコロナ禍となり、夢が途絶えてしまいました。でも、自分と同じように自己肯定感が低い人が、無理に変わるのではなく“ありのままの自分を好きになれる”ようにサポートする仕事がしたいと、当時は考えていました。
―紆余曲折を経て現在は格闘家として活動されていますが、今後はどのような発信をしていきたいと考えていますか?
あきぴ)私は子供が4人いるんですけど、子供がいると諦めざるを得ないことってたくさんありますよね。母親でなくても、年齢や環境を理由に夢を諦めてしまうこともあると思います。でも、私のように運動神経が良くなくても、子供がいても、一歩踏み出して努力を続ければ、少しずつ結果につながることもある。そんな私の姿を見て、「私も挑戦してみよう」と思ってもらえたら嬉しいし、誰かの背中を押せる存在になれたらいいなと思いながら活動しています。
―最後にお聞きしますが、あきぴさんにとってプロフェッショナルとはどのようにお考えですか。
あきぴ)応援してくださっている方の期待を裏切らないことです。自分の夢を応援してくれる方は、自分のために時間やお金を使ってくれているわけですよね。その気持ちを絶対に無駄にしてはいけないと思っています。夢を語るなら、叶えるまで諦めない。それがプロだと思います。そして、その姿を見せ続けることが、「この人を応援してよかった」と思ってもらうことにつながる。そういう存在でありたいと思っています。
ーざっくばらんに過去の話もしていただき、ありがとうございました。これからの活動も楽しみにしています!
編集後記:あきぴさんを応援している方のコメントで、「頑張っている姿が心にグッとくる」という言葉を目にしたことがあります。私もインタビューを通じて、あきぴさんから活力をもらった気がしました。また、話し方や聞き方には、過去の経験や配信業で培われた力がしっかりと反映されており、インタビュー時間が短く感じました。この人の話しをもっと聞きたい!そんな風に思わせてくれる方でした。
(RDX Japan編集部)インタビュアー 上村隆介