インタビュー | 2025.4.24 Thu
『夢中で生きる』脱サラから挑む、クロスフィット日本一への道
彼は5歳から柔道に打ち込み、柔道実業団選手として活動してきた浦川大生さん。
膝の怪我をきっかけにクロスフィットと出会い、29歳で九州電力を退職。
安定を手放し、自ら選んだ『夢中』の道を歩み始めた彼は、クロスフィット日本一を目指して日々鍛錬を重ねている。
その道のり、葛藤、そしてこれからを語っていただきました。

浦川大生 (うらかわ だいき)
生年月日:1995年4月2日
出身地:福岡県糸島市
経歴:5歳から柔道を始め、高校時代には県大会優勝、九州大会3位という成績を収める。
大学卒業後は九州大手の九州電力に就職し、実業団柔道選手として活躍。
スランプに悩んでいた時期にクロスフィットと出会い、その魅力に惹かれて日本一を目指すことを決意し脱サラ。
現在は渋谷区代々木にあるジム『BLACK SHIPS』に所属し、日本一を目指してトレーニングに励んでいる。
クロスフィット選手が語る
『きつさ』と『難しさ』の魅力とは?
ー今回は、先日引退を表明された元プロボクサー・キンノスケ選手のご紹介で、クロスフィットアスリートの浦川大生さんにお話を伺います。まずは、クロスフィットを始めたきっかけや、競技として本格的に取り組むようになった経緯についてお聞かせください。
浦川)もともと僕は柔道を長くやっていたんですが、ある時、膝の前十字靱帯を断裂してしまったんです。その怪我をきっかけに、『これまでと同じトレーニングではいけないな』と感じて、何か新しい方法で自分の体を鍛え直したいと思ったんですね。そんな時、ネットでトレーニング方法をいろいろ調べていたらクロスフィットに出会って『これなら柔道にも活かせるんじゃないか』と直感的に思ったんです。そこからすぐに興味を持って、クロスフィットを始めることにしました。
ー『クロスフィット日本一』を目指しているとのことですが、その目標に向けて、具体的にどのようなトレーニングや活動を行っていますか?
浦川)今は週に5回、トレーニングコーチをつけてトレーニングをしています。週2回は二部練で、朝にトレーニングをして、その後、昼にもまたトレーニングというハードな日々を送っています。そのため、オフの日もしっかりリカバリーするため、普段からの食事や習慣にこだわって生活を送っています。
ー現在、渋谷区代々木にあるジム『BLACK SHIPS』に所属されていますが、このジムを選ばれた理由や、所属することになった経緯について教えてください。
浦川)僕がクロスフィットを本格的にやりたいと思った時、日本で一番盛り上がっていて、ジムの外観や内装もカッコよかったので最初に興味を持ちました。しかし、1番の決め手はオーナーである佐藤さんがとても熱く、この人の元で一緒に働きたいそう思えるような方だったため『ここでやる』と決め、上京しました。環境も刺激的で、自分にとって最高の場所だと思っています。

ーとても良い環境でトレーニングが出来ているんですね。クロスフィットという競技に取り組む上で、どのような点に魅力や面白さを感じていますか?また、続ける中で特に惹かれている部分があれば教えてください。
浦川)クロスフィットの魅力は、一言で言うと『難しさ』と『きつさ』にあると思います。正直、やっている最中は『なんでこんなに辛いことをやってるんだろう』と思うこともあります(笑)でも、誰にでもできるわけじゃないし、簡単に習得できるものでもない。だからこそ、自分はやりたいと感じたんです。難しい動きをマスターした時や持てなかった重量が持てた時の達成感は、他では味わえないものがあります。
実業団時代、悩みながら
両立できなかった仕事と柔道
ー先ほど、元々は柔道をされていたとお聞きしましたが、学生時代の主な成績について教えてください。
浦川)高校時代には県大会で優勝し、九州大会で3位、そして全国大会に出場しました。大学に進学してからは思うような結果が出ず、挫折も経験しました。社会人になってからも柔道は続けていて、全国ベスト16に入ったのが一番の成績です。結果だけを見ると大きなタイトルは取れていませんが、柔道を通じて得たものはすごく大きいですし、今の自分の土台を作ってくれた大切な経験です。
ー大学卒業後、九州電力に実業団選手として入社された経緯について教えてください。
浦川)柔道は続けていたものの、これからも続けていくことには躊躇していました。もともとは公務員になろうかなと就職活動をしていたんですけど、その時に九州電力の柔道部の前監督から『一緒にやらないか』と声をかけてもらいすごくありがたい話だったので、柔道を続ける道を選びました。
ー九州電力での仕事内容について教えてください。
浦川)九州電力では最初の3年間は営業、その後2年間は損害賠償関連の仕事をして、最後の2年間は広報業務に携わっていました。いろんな業務を担当し、たくさんのパートナー様やお客様と関わらせていただき、とてもいい経験になりました。
ー柔道と仕事の両立が難しいと感じることもありましたか?
浦川)入社当時は、仕事も柔道も中途半端でした。柔道の練習もあるし、仕事にしっかり集中できているかというと、そうでもなくて…。柔道も、仕事が終わった後に限られた時間で練習したり、休日を使って練習をするので、もっと遊びたいなという思いもあり、何もかもが中途半端でした。
ー就職してからすぐ壁にぶち当たってしまったんですね。
浦川)結果も出せずに不満が募っていて、心身ともにバランスを崩していたと思います。週末は飲みに行ったり、タバコを吸ったり、今思うと現実から少し逃げていたところがあったんですよね。でも、前十字靭帯を断裂した時に『俺は何をしているんだろう?』と、自分を見つめ直す瞬間があって。そこからクロスフィットを始め、少しずつ、自分の生き方を変えていこうと考えるようになりました。

ー色々とうまくいかない時期を過ごしていたんですね。でもそういった社会人としての経験が今の生活に上手く生かせてる事もあるんじゃないですか。
浦川)社会人としての経験は、クロスフィットの競技生活にもすごく役立っていると感じます。組織の中でどう動くべきか、基本的なマナーや礼儀は、社会人時代に学んだものです。仕事、柔道、クロスフィットを並行してやっていたので、精神的な面でもかなり強くなれましたね。
人生を楽しみ、クロスフィットに全てをかける決意
ーその後、浦川さんにとって大きな転機が訪れるわけですが、クロスフィットに全力で挑戦しようと決断された理由や、その時の想いについて教えてください。
浦川)クロスフィットを始めて1年ぐらい経った頃に、全国大会に出場する機会を得て、そこから『本気でこれ一本でやりたい』と強く思うようになりました。でも、当時働いていた九州電力は大きな企業で、生活も安定してましたし、僕は柔道している僕にしか価値がないと思っていたので、その環境を手放すという決断は簡単ではありませんでした。生活のこともあるし、家族のことも考えましたし、すごく悩みました。でも最終的には『今を夢中で生きたい』という気持ちが勝って、思い切ってクロスフィットに専念することにしたんです。
ー脱サラを決意したとき、家族の反応はいかがでしたか?
浦川)家族にはすごく反対されました。『なんで安定を捨てるの?』と心配されました。親からしてみれば九州電力は給料も福利厚生も良くて、九州の中でもトップレベルの企業でしたから。でも、自分にとっては『人生は一度きり』だという思いが強かったんです。決断する当時、友達が亡くなったり、親が病気で倒れたりして、死について考えることがあったんです。その時にどのような死に方をしたいかをかなり考えました。死ぬまで今に夢中になり、人生を楽しみまくって死にたいと考えた時に、クロスフィット一本でやっていこうと決めました。

ー自分の感情を大切にされたんですね。脱サラ後はまずどんな事をされましたか?
浦川)辞めてすぐ、1週間後には東京に来ていました。とにかく練習したくて、すぐに動きました。脱サラしてからは、一度も後悔はしていません。
ー今の生活について、どのような充実感を感じていますか?
浦川)今は本当にクロスフィット漬けの毎日ですけど、すごく楽しいですね。朝からジムでコーチとしてお客さんにトレーニングを指導して、その後は自分自身の競技に向き合う。体力的にはきついこともありますけど、『自分がやりたい』と思って選んだ道なので、辛さは感じません。それよりも、自分の好きなことに全力で打ち込めていることがありがたいですし、何より幸せです。これまで、会社員をやりながら柔道とクロスフィットをしていた頃は、やっぱり時間に追われていた部分がありました。でも今は、一日を自分のやりたいことに使えているので、本当に充実しています。
メンタルこそ最強の資産、
それを胸に挑戦し続ける
ー今の活動を通じて、周りの人や社会にどのようなことを伝えたい、あるいは還元していきたいと考えていますか?
浦川)僕自身が人生を夢中に生きることで、『何かに挑戦してみたい』と一歩踏みだす人が増えてくれたら嬉しいです。今に夢中な大人たちが増えることで、日本はどんどんよくなると思います。そんな姿こそが、子供達への何よりの教育にもなると信じています。『メンタルこそが最強の資産』という言葉を僕は大事にしています。人間は不安という感情に時間(寿命)をコストとして払っていることが多いです。なので、やりたいことがあればやるべきだし、何かに挑戦するといったメンタルを強くしていくことはとても大事だと私は思います。この言葉はキンノスケ師匠からいただいた言葉です。

ー今後の目標について教えてください。
浦川)直近の目標は、『Japan Championship 2025』で優勝することです。この大会は、日本のクロスフィット競技者が集う大きな大会で、僕はそこで日本一を獲ると決めています。まだ本選の日程は発表されていないんですけど、去年は11月に開催されたので、今年もそのあたりを目指して調整しています。まずはこの大会に全力で挑んで、その先にはアジア、そして世界への挑戦も見据えています。そして、まだまだクロスフィットって何?って人が世の中には多いと思います。これから、SNSやイベント等を通してより多くの方に知ってもらえるような活動も頑張っていきます。クソでかい会場で試合をして、人もパンパンにさせたいですね。
ー現在の競技活動を通じて、どのような影響を与えたいと考えていますか?
浦川)一言でいうと『起爆剤』です。誰しも人生の主人公は自分自身で、そんな人生の中で『挑戦する人の背中を押せる存在』でいたいですね。僕自身、柔道をやっていた頃は『この道しかない』と自分で限界を勝手に作っていました。でもクロスフィットに出会って、『自分次第で人生は変えられる』と実感しました。だからこそ、今『何かに挑戦したいけど踏み出せない』と感じている人たちに、僕の姿を見て、『何かに挑戦してみよう』と一歩を踏みだすきっかけになれたら嬉しいです。
ー浦川さんにとって、プロフェッショナルとは何ですか?
浦川)『人の魂を震わせられるか』ですね。この人に出会えてよかった。この人に会えなかった人生が怖い。というくらいに、人を魅了し、熱狂させられる選手で在りたいです。そのために、自分自身が誰よりも自分に震わされるような生き方をしていきます。
ー今日は覚悟を感じたインタビューでした、今後も応援しております!
編集後記:今回のインタビューで感じたのは、社会経験が今の人生にしっかりと生かされている方だということです。受け答えはもちろんのこと、目標に向けて逆算して行動し、何をすべきかを常に考えている姿が印象的でした。しかし、最も感じたのは、自分の気持ちや感情を大切にしながら生きている点です。20代で悩んだ分、30代では自分に素直に、そして全力で戦い続けてほしいと心から思いました。
(RDX Japan編集部)インタビュアー 上村隆介