GLORY BEYOND DREAMS キンノスケ⭐︎ザファイタ選手インタビュー

GLORY BEYOND DREAMS キンノスケ⭐︎ザファイタ選手インタビュー

インタビュー | 2023.10.20 Fri

プロボクサー、エンターテイナーとして何のために戦うのか常に考えている

彼はボクシング経験1年も立たずにプロデビュー戦を行ったキンノスケ⭐︎ザファイタ選手。

高校時代に孫正義氏に憧れ卒業後に上京。
経営者として活躍していた中でボクシングと出会い、今はチャンピオンベルトを目指している。

彼の心を動かしたものとは?
彼が見てきた世界とは?

そして、みんなが思う『キンノスケ⭐︎ザファイタとは何者なのか?』

そんな異色な経歴を持つボクサー、キンノスケ⭐︎ザファイタ選手に過去から未来についてお伺いしました。

キンノスケ⭐︎ザファイタ

所属:キタジム
生年月日:1988年7月30日
身長:185 cm
出身地: 福岡県福岡市
経歴:株式会社イコールワンHD 創業者、2022年5月から本格的にボクサーとして活動

格闘技の経験が全くなかった自分が、プロボクサーを目指した

―4月9日にプロデビュー戦を迎えました。2回TKO負けでしたが、感想をお聞かせください。

キンノスケ:持っている力を全部出しながらも大敗という結果に終わりましたが、やってよかったと思いました。試合までの準備は、今までの人生で初めて妥協なく取り組めたので、自分自身に完勝出来たと思います。ただ、自分自身に勝利したのに、相手に負けたことにはジレンマもあります。そこに向き合う時間というのも、ある意味本当の戦いですよね。試合後の自分自身への闘いにも勝つことができて、もう一度リングに上がる勇気が湧いてきました。ここからが本当の勝負だなという気持ちで、今日まで過ごせています。なので、次の試合は、もっとフラットな精神状態で臨めるので、もっと強くなっていると思います。

デビュー戦は惜しくも2回TKO負けだった

―ボクシングを始めたきっかけを教えてください。

キンノスケ:沖縄旅行中に、友人であるプロボクサーのシーサー皆川に誘われて平仲ジムに行ったことです。ミット打ちをさせてもらったのですが、当時はコロナ渦で経営が上手くいかずあまり良い精神状態ではありませんでした。自分への甘えもあり、弱い自分を叩きのめそうと、無心で打っていました。酸欠で倒れてしまったのですが、シーサー皆川と、前田トレーナーという方に伝わり、プロボクサーになれる素質があるからやってみないか、と言われたのが、それまで格闘技の経験が全くなかった自分が、プロを目指すきっかけになりました。

―ボビーオロゴンさんのご子息であるJJオロゴンさんとのマッチメイク、セコンドには竹原さんがついていました。どのような経緯でこのマッチアップが叶ったのでしょうか。

キンノスケ:沖縄の平中ジムにJJオロゴンさんも在籍していたからです。デビュー戦は、経営者としても普通の試合にしたくはありませんでした。プロボクサーとして、エンターテイナーとして、何のために戦うのかを考えた時に、皆に心の底から喜んでほしいと思いました。そのためには、並みの相手・企画ではいけないなと。近い階級の全ボクサーを調べたところJJオロゴンさんがいて、史上稀に観る世紀のデビュー戦という企画で打ちたいという話をしました。すると、日本のボクシングエンターテイメントに、もっと何かやりたいと考えていたボビーさんから賛同を得ることができました。

―ボクシングの練習を開始してから、ボクシングの印象は変わりましたか。

キンノスケ:やればやるほど、ディフェンスの競技だと思うようになりました。失礼ですが、最初にチャンピオンの試合を観た時に、自分も2年あれば勝てるなと思っていたんです。でもやっていくうちに、チャンピオンの本当の強さが見えてきて、自分の見込みは甘かったと感じました。ボクシングを始めて1年半が経ち、ボクシングへの理解をより深めた上で、遠くない将来勝てるなという気持ちになっています。

―興行を福岡で行った理由をお伺いできますか。

キンノスケ:地元の福岡でやったことに意味があります。コロナ渦で数年間大きなイベントが開催されていない当時に、福岡でド派手にやりたいと言ったら、周囲の方から反対されました。東京と比べ、福岡はチケット代も安く、集客も難しいからです。だからこそ、福岡で成功させて、地方ボクシングのモデルケースを作りたいと思いました。自分が経営者だったこともあり、イベントを成功させるのは絶対にやりたいことでした。それがうまくいってよかったです。

バスケ、アメフトに打ち込んだ学生時代

―福岡での学生時代について教えてください。

キンノスケ:18歳まで福岡で育ち、小中高はずっとバスケ一筋でした。小学校5年生の時に転校したのですが、転校した先の学校がバスケの超名門で、それまでしていたサッカー部がなかったので、バスケ部に入りました。中学も高校もそのままバスケットを続け、ポジションはフォワードをしていました。バスケが好きで、健全なスポーツ少年だったと思います。

―大学進学を機に上京されています。どのようなきっかけだったのでしょうか。

キンノスケ:高校在学中に進路を決めるタイミングで、自分は何をしたいのか悩んでいました。そんな時、福岡出身の孫正義さんとホリエモンさんがホークスを買収するというニュースを観て、起業家ってかっこいいなと思いました。孫さんも堀江さんもすごく頭が良いので、大学に進学する必要があると思い、1日20時間の猛勉強を経て明治大学に合格しました。

―どのような大学生活を過ごされましたか。

キンノスケ:大学ではアメフト部に入りました。明治はアメフトの強豪校なので、スポーツ推薦で入学した人もたくさんいたのですが、新歓で勧誘を受け、体験の時にスポーツ推薦の子に勝ったことで、自分もいけるかも知れないと思い入部しました。素人でしたが4年間続け、大会でも良い成績を収めましたし、個人としても選抜に選ばれるなど結果を残すことができました。

起業を目標に過ごした社会人時代

―大学卒業後、すぐ証券会社に入社されたのでしょうか。

キンノスケ:実は単位が足りず留年しているんです。就職も普通にしようとしていたのですが、22年間部活ばかりだったことに改めて気づき、1度羽を伸ばすかと、約1年間アメリカで生活しました。英語も全然話せないし、お金もなく野宿したこともあります。現地で仲良くなった方の中には今でも交流がある人もいますし、とても良い経験ができました。アメリカでの生活で資本主義を感じ、より深く学ぶために証券会社に就職することを決めました。

―証券会社での生活はいかがでしたか。

キンノスケ:1年半で退職したのですが、5年分くらい働いた自負があります。毎日5時前に起きて新聞を読み、6時に出社、19時まで働いて、19時から飲み会に参加し、1時くらいにタクシーで寮に帰る毎日でした。寮に帰ってからもお客様への手紙を書いていたので、ほとんど寝ない日々が続いていました。土日も社会人リーグでアメフトをしていたので、鉄人のような生活を送る中、起業のためのいい修行だと思っていました。退職後、プルデンシャル生命に転職し2年間で起業資金を貯めました。

―どのようなビジネスをされていたのでしょうか。

キンノスケ:最初は証券会社と保険代理店と不動産会社を併せた総合資産運用会社を作りました。その会社は直近まで8年くらい継続していました。今はサービスを終了しているのですが、英会話の事業や、転職サービスも行っていました。

―様々なビジネス以外にも、ラッパーとしても活動されていたようですね。

キンノスケ:経営者になった理由も、お金を稼ぎたいのではなく、表現活動をしたかったんです。そこで芸術に表現を求めて渡米したものの、自分は違うと気づき、言葉で表現しようと思って、ラッパーという答えが出てきました。アメリカはラップの文化があるので、自分もラップを書いてMVも出してみました。

楽しく生きて、あと先考えずに今に集中すること

―変わらず考えている信念はありますか。

キンノスケ:楽しく生きて、あと先のことを考えず、今に集中することが、僕のモットーです。人間が楽しめない一番の要因は過去と未来にとらわれて、目の前の瞬間に集中できないことなので、とにかく今を生きるということを大切にしています。

人に影響を与えたいと思っていた時もありますが、今では人が変わるきっかけにはなりたいけど、僕の力で人を変えたくはないと思っています。自由に生きたいと思っている人達が、僕を見てヒントになれば嬉しいですね。また、生物が本能的にびびってしまうことの裏側に本当の自由があると思っています。

―12月8日に後楽園ホールで第2戦を控えています。今のお気持ちはいかがですか。

キンノスケ:試合を心の底から楽しみたいです。肩の力も抜け、静かに、高くわくわくしているので、僕の中では良い状態ですね。練習も1から取り組みを変えました。デビュー戦はボクシングを始めて9ヶ月でリングに上がったので、周囲にも心配されましたが、今は改めてディフェンスの練習に取り組んでいます。また、本当は右利きなので、サウスポーから右にも変え、1からやり直しました。心技体全てが二回りも三回りも成長したと思います。

前回との違いは、僕が経営をやめてボクシング1本で生きるようになったことです。観にきてくれた人達に、プロボクサーとしての覚悟を伝え、感動してもらえるような試合にしたいです。エンタメと言われるのは嬉しいのですが、エンタメだけだとは思われないようプロボクサーとしてのレベルをどんどん上げた先に、僕の完成形があると思っています。

―最近は料理にも注力されています。料理はもともと得意だったのですか。

キンノスケ:最近までしたことがなかったのですが、今ではとても得意です。敗戦後に何を変えればいいのか考えた時に、人体の専門家に出会いました。そして、僕が今一番に変えるべきは栄養だという話を受け、食べ物を根本的に変えました。見た目もですが、脳がクリアになって、考え方も変わりましたし、生まれ変わったと思います。彼の影響で、僕も物事を細胞レベルで見るようになり、自分の体の細胞が今どのような状態なのかというレベルで見えるようになりました。

自分自身のその日のコンディションは、自分にしか分からないじゃないですか。お腹のすき具合とか、疲れ具合とか。だから自分で作ろうと思い、料理も覚えました。

チャレンジをする原動力は遺伝子だと思います

―これまでも様々なことにチャレンジされています。今後も多方面へのチャレンジは続けますか。

キンノスケ:間違いなくそうなると思います。僕はやりたいことをやって、やりたくないことでもつまらないと言いつつちゃんとやっているので、素直なんですよね。今後もそう生きると思います。

様々なことにチャレンジしてきた原動力は遺伝子だと思います。祖父が皆が喜ぶのが好きという理由で寺院に寄付をしていたことがあったのですが、僕も金銭的に余裕がない中でも、周囲の人に喜んでもらいたいという気持ちでアメフトチームのメインスポンサーを1年間したことがあります。なぜ自分はこのような性格なのかと考えた時に、遺伝子だという結論にたどり着かざるを得なかったんです。

―改めて今後の目標を教えてください。

キンノスケ: 40歳までに世界王者のベルトを取りたいと思っています。37歳での引退ルールが撤廃され、自分ももっとやれるだろう、チャンピオンになれると思いました。日本のベルト、東洋太平洋のベルトを獲って、世界も獲れるフェーズに早く行きたいです。

―最後にお聞きします。キンノスケ選手にとって、プロとは何でしょうか。

キンノスケ:僕にとってこの質問は、とてもこだわり、ずっと自分に問いかけていることです。プロとアマの違いはお金が発生するかは重要ですが、それ以外の差はあまりないと思います。エンターテイメントとしてショーステージになっているのがプロとアマの違いで、お金を払って観に来て、最高だったって言って帰って、僕が試合をする際にはまた観たいと言ってお金を払って来てくれる、それがプロだと思います。そういった存在になることがプロボクサーだと思いますね。

―経営のプロとは何かについても最後にお聞かせ頂けますでしょうか。

キンノスケ:資本主義の世界なので、いかにお金を稼げるかです。ただ、尊敬できる経営者は、経営者としてのプロだけではなく、人間としてもプロなので、人を幸せにできる人達です。僕が経営者をやめて、ボクサーのプロになったのは、その方が、僕が考える人間としてのプロというものを表現できると感じたからです。プロの人間として表現することが僕の大きなテーマで、プロの経営者として生きるよりも、プロのボクサーとして生きる方がプロの人間としての表現ができると思っています。

―貴重な経験談を語って頂きありがとうございます。今後の活躍も期待しております!

編集後記:
圧倒的な集中力で技術や知識を身に着ける能力は、様々な経験をしてきたバックグラウンドが後押しをしていると感じました。
キンノスケ選手なら驚異的な集中力と探求心でボクシング界のオールドルーキーとして活躍をしてくれるのではないか、そんな風に思わせてくれたインタビューでした。
(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

キンノスケ⭐︎ザファイタ

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