GLORY BEYOND DREAMS 三富 兜翔 インタビュー

インタビュー | 2026.1.19 Mon

プロレスは、スポーツであり、同時に極めてクリエイティブなエンタメだ

そう語るのは、プロレスラーであり、プロレス団体「PPPTOKYO」の代表を務める三富 兜翔 さん。

選手としてリングに立ちながら、企画・興行を通じて“感動と熱狂を作り続ける”ことを理念に掲げ、独自のプロレスの形を追求している。

「プロレスは勝った、負けたで応援はされない」

今回のインタビューでは、PPPTOKYOが生まれた背景や、プロレスに懸ける哲学、そして未来への展望について語ってもらった。

三富 兜翔 (みとみ かぶと)

生年月日:1989年8月2日
身長:170 cm
出身地: 東京都

経歴:プロレスラー、プロレス団体「PPPTOKYO」代表。慶應義塾大学在学中に学生プロレスを経験し、2013年にプロレスラーデビュー。DDTプロレスリング、レッスルワンなどで活動し、企画興行を経て「PPPTOKYO」を設立。

新進気鋭のプロレス団体「PPPTOKYO」とは

—三富さんはプロレスラーであり、PPPTOKYOというプロレス団体の代表も務められていますが、まずは初めてPPPTOKYOを知る方に向けて、どんな団体なのか教えてください。

三富)2019年にプロモーションとしてスタートし、2021年から正式に団体として活動している新進気鋭のプロレス団体です。既存のプロレス団体とは一線を画す派手なプロモーションが特徴的で、2021年には筋肉系YouTuberやセクシー女優としても活躍していた「ちゃんよた」がプロレスラーデビュー。同じく生え抜きの“胸毛ニキ”こと八須拳太郎とともに『BreakingDown』に出場して一気にPPPの一般知名度を高めました。

さらに、世界中のムービースターが集まる『コミックコンベンション』で外国人来場者へ日本の文化とも言えるプロレスの試合を見せるなど多方面での活躍を見せ、プロレス界の外に向けて大きな話題を振りまいています。

—所属選手や興業内容も非常にバラエティに富んでいますが、PPPTOKYOとして大切にしている団体理念を教えてください。

三富)僕らが理念として掲げているのは、「感動と熱狂を作り続ける」ということです。
プロレスは、勝ったか負けたかだけで感動が生まれるほど単純なものではないと思っています。 プロレスは闘いであると同時に人生の表現であり、お客様からお金をいただく以上、そこにいる人たちの喜怒哀楽を、選手たちが“手のひらの上で転がせる”存在になる必要がある。

もし単なる勝敗だけで感動が生まれるのであれば、極端な話、格闘技の試合を観に行けば良いんです。勝ちさえすれば評価される場面もあるでしょう。しかし、プロレスはそれだけでは届かない。

だからこそ僕らは、状況を問わず、いつ何時でも「この空間を必ず熱狂させる」という覚悟を持ち、クリエイティブな空間を作り続ける団体でありたいと考えています。

—他のプロレス団体と比べたとき、PPPTOKYOならではの特徴や、意識している差別化のポイントはどこにありますか?

三富)大きく四つあります。一つ目は、所属選手がかなり個性豊かであるということ。前述の「ちゃんよた」「八須 拳太郎」はじめ、人生のバックボーンが様々なメンバーが生え抜きで集まります。昨年フジテレビ「ザ・ノンフィクション」でも特集され話題となった「エチカ・ミヤビ」は元高校球児のトランスジェンダー女子プロレスラーです。今は「極悪女王」でも話題の長与千種さんの団体「マーベラス」さんにレギュラー参戦し、女子プロレスラーとしてもどんどんステップアップしています。

昨年末にデビューした「虎牙のん」はちゃんよたに憧れた元セクジー女優。また、筋トレYouTuberとして有名な「ビースト村山」も38歳にしてプロレスラーデビュー。皆んな訳ありな人生をPPPTOKYOのリングでプロレスラーとして昇華させています。

二つ目はPPP GIRLSの存在ですね。選手以外の“場を彩る存在”も含めてアイドル化して、彼女たちにもファンがつくように設計しています。PPPTOKYOのサイトでも、選手とは別にPPP GIRLSを明確に出しています。

三つ目は、初期から行っているDJや音楽の演出です。会場がシーンとしている中でガチガチの試合を見せるのではなく、EDMなどを流しながらポップに試合を展開する。これは、

EDMなどの曲をかけながら試合する試合もあり、空間作りと世界観作りにも力を入れています。PPPガールズにしても会場演出にしても、「よく分からないけどなんか楽しい」を大切にしています。初見の人ほど「よく分からないけど楽しい」が生まれやすいんですよね。

四つ目は、プロモーション全般に力を入れているということです。企業コラボ的なプロモーションでネットニュースやメディアを“騒がせる”動きもしてきました。プロレスを知る入口は一つじゃないので、きっかけを増やす発想はずっと持っています。

—何かを好きになるきっかけって、漠然としていていいと思うんです。よく分からなかったけど、なんか楽しかった。それっていいことですよね。

三富)それが一番最初は大事だと思っています。僕がずっと思っているのは、初めて来た人が「技も分からない、選手の名前も分からない」でも、「行ってみたらなんか楽しかった」でいい、ってことなんですよ。

もちろん深いところまで知ってもらえたらまた別の楽しみ方もあるし嬉しいけど、最初から全部分かって見てもらうのはハードルが高い。まずは「楽しい」という感覚を持って帰ってもらう。そのために、興行そのものを体験として成立させることを意識していますね。

PPPガールズがリングを華やかに彩る

人生を表現できる場所として用意したリング

—元々プロレスラーとして活動されていた三富さんが、団体を立ち上げることになった経緯を教えてください。

三富)正直に言うと、最初から「団体を立ち上げよう」と思っていたわけではないんです。
2019年頃からPPPTOKYOという名前で興行はやっていましたけど、その時点では所属選手もいなくて、あくまで単発の企画イベントでした。数ヶ月に一度、半年に一度くらいのペースで、「こういうことをやったら面白いんじゃないか」という発想で興行を打っていた感じですね。

—最初は団体ではなくイベンター、プロモーターとしての活動だったんですね。

三富)当時は、プロレス団体を運営するというよりも、イベントを企画する感覚に近かったです。プロレス興業なのにシャンパンタワーを立てたり、キャバクラ嬢の方に参加してもらったり、完全に企画ものとしての興行でしたし、団体化するつもりは本当にありませんでした。

—団体を立ち上げるきっかけは、イベンターとして活動されていた中で生まれたものなのでしょうか?

三富)転機になったのは、2020年から2021年にかけて、今の所属選手たちが集まってきたことです。特に八須 拳太郎とちゃんよたが加わって、3人いれば団体として成り立つかもしれないな、と感じたのが一つのきっかけでした。ただ、それも「団体をやろう」と決めたというより、結果的にそうなった、という感覚に近いです。

もう一つ大きかったのは、選手がデビューしていく中で、「これは人の人生を預かることになるな」と強く感じたことですね。プロレスをやらせるということは、良くも悪くもその人の人生を変えてしまう可能性がある。本人たちが本気で「もっとやりたい」「頑張りたい」と言ってくれた以上、僕が途中で投げ出すわけにはいかないなと思ったことが団体を立ち上げたきっかけです。

所属選手が増え、旗揚げへ

—活動していきたいという選手の受け皿を用意した形で団体はスタートをしたんですね。

三富)仰る通りです。自然と「受け皿としての団体」「人生の表現が出来る場所」をちゃんと作らなければいけない、という意識に変わっていきました。

なのでPPPTOKYOは、最初から理想の形を描いてスタートした団体ではなくて、人が集まり、責任が生まれて、その結果として団体になった、というのが正直な経緯ですね。

—ということはプロレス団体の「経営者」になりたいという願望が最初からあったわけではなかったんですね。

三富)経営者までやりたいとは思ったことがなかったですね。イベンター、プロモーター、プロデューサーとして面白いイベントを作りたいという思いが根っこにあります。

でも、そういうことを続けていくと結局は経営をやらざるを得ない瞬間が来る。だから今は経営も勉強しながら取り組んでいる、という感じですね。

—プロレス興行の経営を考えるうえで、これまでに影響を受けた団体や人物はいますか?

三富)経営という意味で直接「教わった師匠」がいるかと言われると、実はそう多くはないんです。ただ、WRESTLE-1(レッスル-ワン)に所属していた頃、毎週行われていた経営の定例会に参加させてもらって、数字や経営報告を見ていた経験は、プロレスビジネスを理解する上ですごく大きかったですね。

その上で、一番影響を受けているのは、DDTプロレスリングの髙木 三四郎さんです。

髙木さんがすごいと思うのは、「プロレス団体をプロレス興行会社としてではなく、イベントビジネスとして成立させてきた」という点でした。

—具体的にどのような部分に影響を受けられたのでしょうか?

三富)もともとプロレスって、歴史的にはテレビ放映権と強く結びついたビジネスモデルでした。新日本プロレスならテレビ朝日、全日本プロレスなら日本テレビ、今も続いている形で言えば相撲とNHKの関係がそれに近いですよね。

でも、髙木さんがやってきたのは、放映権に依存しない形で、イベント単体として人を集め、成立させるやり方でした。

ライブやお笑いのイベントって、テレビに出ていなくても、チケットをどう売るか、どう話題を作るかで勝負しているじゃないですか。髙木さんは、そうしたイベントビジネスのノウハウを、プロレスにうまくシンクロさせた人だと思っています。

テレビや新聞から人を呼ぶのではなく、いわゆる“地上戦”で、どうやってチケットを売るかを考え抜いてきた。その発想自体が、当時のプロレス界ではかなり先進的だったと思います。

熱狂と歓声が渦巻く、PPPTOKYOの現在地

—確かに今の時代は、放映権ビジネスに依存するだけではなく、どれだけ自分たちの手で価値を広げていけるかが問われています。

三富)プロレスの歴史を振り返ると、団体が傾いたり、なくなってしまったりする背景には、放映権ビジネスへの依存があったケースが本当に多いです。

今はもう時代が完全に新陳代謝されて、公営権や放映権ありきのモデルでは成り立たなくなっています。だからこそ、ライブエンターテインメント、イベントビジネスとしてどう成立させるかにフォーカスし続けてきた髙木さんのやり方は、今の時代にすごく合っていると思うし、僕自身も強く影響を受けています。

言葉で語るよりも
必死な姿を背中で見せること

—三富さんはプロレスラーとしてリングに立ちながら、PPPTOKYOの代表も務めています。いわば二足の草鞋で活動する中で、難しさを感じる場面も多いのではないでしょうか?

三富)良い面と難しい面があって、良い面で言えば「選手の気持ちが誰より分かる」こと。
選手がよく思うことなんですけど、「受け身を取ったことがない奴に何が分かるんだ」って。危ない技を受けて、命を削って試合したことがない人の言葉より、同じ経験をしてきた人の言葉の方が、選手としては納得感がある。そこは自分の強みだと思います。

難しい面に関しては切り替えが多すぎることですね。リングに上がる直前は選手でいなきゃいけない。でも一歩降りたら、興行全体を客観視して「どうすればいいか」を考えなきゃいけない。集客具合を見て全体の数字も考えなきゃいけない。翌日以降の広報業務についても考えなきゃいけない。

同時に自分も商品である以上、自分の価値をどう見せるかも客観視が必要になる。視点が何重にも必要で、それはエネルギーを使います。

—良い面として挙げられていた「選手だからこそ選手の気持ちが分かる」という点について、選手を扱う立場として、日頃どのようなことを意識されていますか?

三富)僕は「背中を見せる」ことを大事にしています。動けなくなった選手兼社長の言葉より、まだ動けて、練習も一緒に出来る人の言葉の方が説得力が出ると思います。
同時に社長が一番営業してチケットも売って、そういう面でも背中を見せると。

だから矛盾してるようだけど、団体を経営するためにも、まず自分が練習を必死に頑張る。自分が必死に人と会う。それが結果的に選手とのコミュニケーションにもなるんです。
もちろん所属選手が増えてきた今のフェーズでは、自分の仕事の在り方をシフトチェンジしていくタイミングだということも頭にはあります。

リングに上がる前から、勝負は始まっている

—団体を立ち上げる前、選手として活動されていた頃に、団体側に対して不満を感じた経験はありましたか? そうした経験が、現在の団体運営に生きている部分はありますか。

三富)当時はもちろんありましたよ。「なんで俺を売り出してくれないんだ」とか、「なんであいつはプッシュされるんだ」とか。

でも今は、会社には会社の事情があるのが分かる。自分が青かったな、と思うこともあります。だから今は逆に、会社としての立場や状況を、包み隠さず選手に共有するようにしています。「今年はこういう方針でいく」「ここを打ち出して勝負する」みたいなリアルを、逐一コミュニケーションしていく。そこを選手に対して曖昧にしないことが大事だと思っています。

プロレスは僕にとって
クリエイティブな仕事ができる場所

—過去のお話も少しお聞きしたいのですが、プロレスラーになりたいと思ったのはいつ頃だったのでしょうか?

三富)中学生くらいですね。2003年3月1日のNOAH日本武道館、三沢光晴vs小橋建太戦に衝撃をテレビで見て受けました。どんな格闘技よりも衝撃を受けたんです。K-1やPRIDEも見ていたし、自分も空手をやっていた。でもプロレスは「誰にも真似できない。超人にしか出来ない」と思ったのを覚えています。そこからプロレスラーに対して憧れが強くなりました。

大学に入ってからは学生プロレスの選手をやりつつ、プロ団体の興行で物販バイトをしたりしてました。その時にプロレスに携わる人たちの上も下も見たんですよ。すごい夢のある世界だなと思う一方で、厳しい現実もある。若いながらにずっと悩ましかったですね。夢もあるし、現実もある。親にもプロレスラーになることは反対されていましたから。

学生プロレス時代の三富さん

—プロレスはスポーツの中でも危険を伴う競技ということもあり、ご両親も心配されていたのですね。大学卒業後には一般企業に就職されていますが、まずはプロレスラーではなく、社会に出て働く経験をしようという意図があったのでしょうか?

三富)親に大学まで行かせてもらったことには感謝していますし、就職活動も一般的に行いました。「一度は社会に出て働いてみよう」と思い、あれよあれよと何社か内定が取れて、博報堂に入社したんです。ただ、結果としては一年ほどで退職しました。もちろん会社員として学んだこともありますが、その経験を通して「自分は愛のある仕事がしたい」という思いが、より強くなりました。

プロレスは外から見ると体育会系の世界だと思われがちですが、実際にはとてもクリエイティブなコンテンツです。アイデアを出し、どうすれば人を楽しませられるかを考え続ける世界。そうしたクリエイティブな仕事がしたいと思い、代理店に入社した側面もありました。しかし、配属された部署は必ずしもクリエイティブな現場ではなく、強い上下関係が残る、いわゆる“体育会系”の環境でした。

その経験があるからこそ、今は健全な関係性の中で仕事が回る形を大切にしています。上下ではなく、机を並べて意見を交わしながら進めていく。その姿勢を、今の仕事や団体運営にも生かしています。

プロレスラーを軸に
マルチキャリアを描ける人材を育てる

—これまで多くの経験をしてきた三富さんだからこそ、新しい形のプロレスを提示できるのだと思いますが、PPPTOKYOとしての今後の展望を教えてください。

三富)今は所属選手が増えてきたとはいえ、まだ厚みとしては道半ばで、興行を行う際にはゲストを呼ぶ必要もあります。もちろん交流はプラスですけど、理想を言えば、もっと自前で完結できる“一座”になりたい。イメージとしては劇団四季や宝塚みたいに、役者を抱えて定期公演をしていくモデルに近いですね。

だからと言ってただ人数を増やすだけじゃなくて、プロレスラーという職業を軸にしながら、パラレル/マルチキャリアを積める人材を育てたいと考えています。

例えばトレーニングを表現の核にして、プロレスラーとしてリングに立ちつつ、筋トレYouTuberとしても伸ばして、将来的にジムを作る。そういうキャリア設計ができる団体でありたい。プロレス一本でアメリカに行って成功する道があってもいいし、別の道でもいい。でも軸を持ったまま広げていける人材を増やしていきたいんです。

—PPPTOKYOとして最終的に実現したい未来はどんな未来でしょうか?

三富)プロレス業界の中で、僕らが「3本指」に入る存在になりたい。大手がいる中で、第三勢力として中枢に立つことを目指しています。

それともう一つは、人生哲学的ですけど、死んだ時に自分の名前が語り継がれる人物になりたい。僕が輩出した子たちが様々な分野で活躍した、という結果を残したいと思っています。

—本日お話を伺っていて、三富さんはただ熱いだけでなく、愛するプロレスに対する確かなアイデンティティと理念を持ち、その上にクリエイティブなものを作り上げていける方だと感じました。最後にお聞きしますが、三富さんにとって「プロフェッショナル」とは、どのような存在だと考えていますか。

三富)まず前提として、プロレスラーは名乗れば誰でもプロレスラーになることができます。だからこそ、星の数ほどプロレスラーは存在しています。

その中で、本当の価値が問われるのは、リング上で人の心を動かせるかどうかだと思います。観る人の心を揺さぶり、熱狂や感動を生み出せるか。そして誰かの人生に影響を与える存在になる。そこにこそ、プロとしての価値がある。

本当のプロフェッショナルとは、「人の人生を変えられる人」「人の心を動かせる人」。それができる存在こそが、プロフェッショナルなプロレスラーだと考えています。

編集後記:今回のインタビューを通して、プロレスは「クリエイティブな仕事」なのだと強く感じました。プロレスという競技は、表現・演出・物語など、さまざまな要素を掛け合わせることができるエンターテインメントでもあります。
私自身、これまで一度もプロレスを生で観戦したことはありません。しかし、三富さんの話を聞いているうちに「面白そうだ」「一度、生で観てみたい」と素直に思いました。喜怒哀楽を全身で表現できることこそが、プロレスの魅力だと語る三富さん。その言葉と生きざまを、次はリングの上で見てみたいと思います。(RDX Japan編集部)

インタビュアー  上村隆介

三富 兜翔

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