GLORY BEYOND DREAMS 藤岡奈穂子選手インタビュー_後編

GLORY BEYOND DREAMS 藤岡奈穂子選手インタビュー_後編

インタビュー | 2023.08.18 Fri

興行として試合をする以上、魅せる試合をしたい

彼女は日本唯一のボクシング世界五階級制覇チャンピオン、藤岡奈穂子選手。

プロデビューするまでの事を語って頂いた前編に続き、後編ではプロ選手としての経歴や、
アウェイでの戦い、女子ボクシングへの思いをお伺いしました。

藤岡 奈穂子

所属:フリー
生年月日: 1975年8月18日
身長:158 cm
出身地: 宮城県大崎市
獲得タイトル:
初代OPBF東洋太平洋女子ミニフライ級王座
WBC女子世界ストロー級王座
WBA女子世界スーパーフライ級王座
WBCインターナショナルスーパーフライ級王座
WBO女子世界バンタム級王座
WBA女子世界フライ級王座
WBO女子世界ライトフライ級王座

興行として試合をする以上、魅せる試合をしたい

ープロに転向してからについて教えてください。

藤岡)普通はC級4回戦からですが、自分はアマチュアでの経験もありB級6回戦からスタートしました。プロデビュー3ヶ月後には試合が決まり、後楽園ホールでタイ人との試合で、2ラウンドKO勝ちでした。身内だけのアマチュアと観客のいるプロとは雰囲気が異なり、興行として試合をする以上、プロとして勝つのも当たり前だけどKOが一番観客が湧くので魅せる試合をしようと意識しました。

ーその後のプロ生活はどのような感じでしたか?

藤岡)最初はコンスタントに年に2-3試合行い、5戦目くらいでベルトを初めてかけた試合を行いました。そこからタイトルマッチは年に1-2試合という時もありました。タイトルマッチはコミッションを呼んだり、海外の強い選手を呼ぶのでファイトマネーも上がり、WBAやWBCの承認料、ジャッジ、レフリーも役員を呼ぶ等、費用が上がるため、年に何回も試合はできなかったです。

藤岡選手の活躍は多くの雑誌で取り上げられている

ー40歳時点でベルトをいくつ持っていましたか?

藤岡)多分二つか三つです。最初にチャンピオンになったのが35歳、次が37歳です。最初にWBCのミニフライ級でベルトを獲ったものの、対戦相手がなかなかいなかったので、37歳の時にスーパーフライ級に階級を上げました。その2年後に、バンダムで3本巻いていたことになりますね。

その後、3階級ともベルトを返上して、またチャレンジャーになりました。防衛していくごとにファイトマネーが上がるのでもったいないと思ったこともありますが、常にチャレンジャーでいるのが自分の気持ち的にも楽ですし、ベルトが増えればそれだけインパクトもあるので、女子ボクシングをみんなに知ってもらいたいという思いもありました。

ー四つ目のベルトを獲ったのはいつ頃ですか?

藤岡)2017年の3月にフライ級、2017年の12月にライトフライ級を立て続けに獲りました。違う階級のベルトを両方持つことはできないので、昔からある正規の階級が良くフライ級を残しました。

ー世界戦で減量のプレッシャーはありますか。

藤岡)もちろんあります。計量をクリアしないとそもそも仕事ができないので、計量が終わると、半分仕事が終わったような気持ちです。個人差があるので絶対に正解な減量方法はありませんが、計量に失敗した人は水抜きを失敗しているように感じます。プロがよく前日に水抜きを行っているのは、早く抜くと早くリカバリーができるためです。体重を徐々に落とした場合は体が絞り切れているので、計量後に食べても体重が増えないので。

ただ、水抜きは一気に体重を落とせる反面、内臓への負担が大きいので、水抜きをしている選手は腎臓の病気を患う心配があるように思います。

ー減量の方法はトレーナーに指導を受けているのでしょうか?

藤岡)最近は科学的になってきましたけれども、基本的には根性です。特にボクシングは男性メインのスポーツなので。ただ、男性と女性は生理の有無やメンタル面、体の構造が異なりますので、女性はそこまで激しい減量はさせないと思います。

プロに限らず一般の方も減量の際には、いかに普段の食事をきちんと摂取するかが重要です。ベースがきちんとしていないのに体重を一気に落とそうとしたら、体を壊してしまいます。プロの人は、計量翌日の試合でのパフォーマンスが一番大事なので、減量ばかりに注力して試合で万全のパフォーマンスができないこともあります。

階級については、男性は特に成長期に筋肉がついて元々やれていた階級でやれなくなる可能性もあります。減量や増量がきっかけでボクシングを嫌になってやめてしまう選手も多くいるので悲しくなりますね。

アウェイでは体重計をいじられていたこともあった

ー海外に挑戦して、感じたことは何でしょうか?

藤岡)海外の選手を日本に呼んで試合をする大変さを感じていたので、自分が呼ばれる方が楽かと思い海外に挑戦したのですが、やはりアウェイは不利だと感じました。ホームとアウェイは差がすごく有り、海外に行くことは負けると思われるくらい海外で勝つことは本当に大変でした。ただ、メキシコやアメリカはスポーツ自体を愛している国なのでブーイングはあまり感じたことはありませんでした。

日本では考えられないことですが、アウェーでは、用意してもらったホテルの予約が取れていなかったり、送迎時間に数時間遅れる、練習会場が用意されていないのも当たり前で、私は国による違いを楽しむことができるタイプでしたが、自国の選手が勝つことが前提で環境を用意されていました。

ユニークな取り組みとしては、メキシコではファイトウィークと言って、試合の1週間前から記者会見、児童養護施設の訪問等宣伝活動が毎日ありました。

ーアウェーで洗礼を受けたことは何でしょうか?

藤岡)体重計をいじられたこともありました。私が1キロアンダーなのに相手がピッタリで、完全に体重計の針をいじっているなと感じました。その時はそのまま続行しましたが、ドイツでは相手が測る時にスタッフたちが囲んで、体重計を持ち上げて軽くなるようにしていました。フライ級は50.8キロが制限なのですが、それでもオーバーして51.2キロであったのにOKを出された時はさすがに止めました。その後また2時間の猶予があって、その時間内に落とせばOKなので、何のための計量なのかと思いました。

ーアメリカではDAZNでも試合が放送されていましたね。

藤岡)アメリカは興行2部制になっていて、前半はFacebookライブ、後半はDAZNで放送されました。Facebookライブはフリーで、タイトルも含めた4試合くらいはDAZNで有料放送です。アメリカではそれが当たり前のスタイルなのかは分かりませんが、自分が行った時はその方針で、宣伝と興行のバランスをとっていました。

日本では昔はCSなどでありましたが、今は女子のテレビ中継がないので。今はYouTubeライブ、ネットの興行、アベマなどで観てもらえます。キックボクシングは以前からありましたが、ボクシングは放映権とかが難しいのか最近です。

ーボクシングのテレビ放送が難しいのはなぜでしょうか?

最近アメリカの女子ボクシングは見ごたえのある試合も多くなってきたため、興行として従来の男子ボクシングのようになってきたのですが、日本はまだまだ選手層が厚くならないと難しいですね。

海外に行くと育つが、流出する点に危機感を持たないといけない

ー海外に出た方が選手の力はつくのでしょうか?

藤岡)ボクシングに限らず、女子サッカーもレベルが上がったのは海外に行くととても育つなと感じます。ボクシングもそうなるといいなと思いますけど、海外に流出する点に危機感を持たないといけないと思います。

現在はトレーニングのために海外に行っており、そのまま海外で試合をすることは難しいのですが、ボクシングの環境が日本と海外で大きく異なることが理由に挙げられます。日本ではジムに所属しいてれば、実力に関わらずチケットが売れる選手なら試合ができるのですが、アメリカは個人事業主で、トレーナー、プロモーターと契約します。なので、強くて魅せられる選手でないと淘汰されます。アメリカは個人事業主なので、トレーナーも強い選手に着けばファイトマネーの10%のfeeを得ることができます。なので、選手もトレーナーも実力がないと生きていけない世界なので、レベルも上がりやすいんだと思います。日本はジム制ですが、海外でジム制は聞いたことがないです。

ー2015年にボクシング女子会を結成されました。結成された目的をお伺いできますか?

藤岡)ボクシングをする人口層が厚くならないと発展はないと思うので結成しました。ジムの数はたくさんありますが、女子選手は多くても1人、2人しかいません。練習の仕方も減量の仕方も教えてくれるのは男性なので、世界が狭くなってしまうというか、孤独感があると思います。なので、ジムの壁を超えて、相談し合える相手ができたらいいよねという思いで立ち上げました。ただ、やはり所属ジムがある限り所属ジムの方法を優先する必要があるのでなかなか難しいです。

将来的に対戦相手になってしまう可能性はありますが、スパーリングもいろんな女子選手とできたらいいなという思いもあります。ただ、女性より男性の方が多いですが、仲良くなると戦いづらいという人もいます。

女子ボクシング界の発展にも注力している

女子ボクシングのレベルは確実に上がっている

ー今後、女子ボクシングはどのように発展していくでしょうか。

藤岡)競技人口は増えたり減ったりしながら100人程度で安定していますが、実際に試合をしている選手はもっと少ないと思います。ただ、アマチュアでやってきた子が上がってくるというのもあって、レベルは上がっています。ちゃんと距離を取れるようになって、しっかりボクシングの形にはなっています。これからの課題は危険区域に入ってKOできる選手を増やすことです。海外ではパワーもありKOできる選手が多いので。

また、海外の選手とは対格差もあり階級が異なる点もありますが、もっと海外に挑戦してくれたらいいなと思います。最近の選手はスタイリッシュにボクシングをしていて、いろんなキャラも出てきたと思うので、そのライバルももっと出てきてほしいです。

ー今はパーソナルトレーナーをされていますが、今後どのように女子ボクシングに関わっていきたいですか。

藤岡)できればプロも教えたいですが、ジムに所属してトレーナーがついているので難しいです。自分自身は現役後半トレーナーがいなくて、自分でいろんな所に行っていました。アメリカのトレーナーの所に行ったり、日本でもジムでパーソナルトレーナーにお金を払ってミットを持ってもらったりしていました。そういう選手がいれば、国内外関わらず私も携わりたいなと思います。世界的に女子のトレーナーはいないので、自分でチャンスを作って取り組んでいきたいです。

自分の肩書があるうちに、なるべく早く実現させて、環境を作ることで職業としての魅力を広め、後に続く人が出てほしいです。

ー印象に残っている試合はありますか?

藤岡)タイトルマッチがほとんどなので全部印象に残っていますが、最初の世界タイトルに挑戦する日が、東日本大震災の翌日に予定されていました。メキシコから東京にチャンピオンが来て、2人とも計量クリアした後に地震になってしまって、結局中止になってしまいました。約2ヶ月後に試合が行われ、世界チャンピオンになったのは印象に残っていますね。

ー地元も宮城県なので特に印象に残ったんですね。

藤岡)そうですね。その時はまだ自分の中で世界チャンピオンになりたいと思っていませんでした。チャンピオンになるとそれ以上がないので、目標がなくなるのが嫌だったんです。そのままの気持ちで試合をしていたら多分負けていたと思います。しかし、震災で地元の人たちがしんどい時に、今、藤岡さんの試合しか楽しみがないから頑張ってと言ってもらった時に、勝ってベルトを持っていきたいと思えたことで勝てたと思っています。

実はベルトは買い取り制なので、自分の元に来るまで1ヶ月くらいかかります。勝ってリングで巻く時は、チャンピオンのベルトをお借りしています。物によって違いますが、WBAの一番重い黒いベルトは確か40万円近くします。

買う権利をもらえるので、後援会とかに買ってもらうことが多いです。団体の収益源はタイトルマッチのベルト料と承認料ですね。パッキャオやメイウェザーなど有名選手は何十億のお金が1試合で動くので、ほんの一部のボクサーはスポーツ選手の中でも稼げる部類に入っています。

ー最後に14年間のプロ生活を通して、藤岡選手にとってプロとは何でしょうか。

藤岡)安くないチケットを買って観てもらうので、ただ勝てばいいのではなく魅せる必要があると思います。自分は、危ない所に入っていって会場を沸かせられる選手を目指していました。

―ありがとうございます。改めて現役生活、お疲れ様でした。これからの日本の女子ボクシングの発展を楽しみにしています。

編集後記:
藤岡選手は世界5階級も制覇し、そのプロ生活を全うしました。しかし、彼女の目標はまだ終わっておらず、女子ボクシングの発展と子供たちへ夢の大切さを伝えるために行動し続けています。彼女の情熱と姿勢は、女子ボクシング界に新たな希望をもたらし、若い才能たちに影響を与えていくでしょう。彼女のこれからにも注目です。

(RDX Japan編集部)
インタビュアー 冨永潤一、上村隆介

藤岡 奈穂子

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