GLORY BEYOND DREAMS 白須 康仁選手インタビュー後編

インタビュー | 2023.02.08  Wed

【後編】
『タイでの経験が自分を変えました』
11年間のブランクを経て、現役復活を果たしたキックボクシング元WMAF世界スーパーウェルター級王者『白須康仁』。
リング復帰への思いを語っていただいた前編に続き、後編では異色の経歴やプロとしての矜持、セカンドキャリアへの思いをお伺いしました。

白須 康仁

所属:PROTAGONIST

生年月日: 1980年4月24日

身長: 170 cm

体重: 70 kg

出身地: 千葉県木更津市

経歴:マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟日本ウェルター級王座・WMAF世界スーパーウェルター級王座

「後悔したくない」一貫した意思で
3回振られてもアタックし、結婚した妻。

奥様と長男の3人家族

―復帰されるにあたり、家族の反応はどうでしたか。

白須)妻と、2015年に生まれた7歳の長男の3人家族です。理解のある妻なので、「やるならやれ」と背中を押してくれました。息子には、一昨年の10月にモハン・ドラゴン選手とのエキシビションマッチで試合があり、初めて僕の試合を見てもらいました。

―息子さんも格闘技がお好きなのでしょうか。

白須)あまり好きじゃないのかなと思います。でも、僕の試合を観てから刺激になったのか、少し変化がありました。もともと感情表現が苦手で、引っ込み思案な性格かなと思っていましたが、試合を観てからは自分のしたいことに対して「これをしたい」という表現力が凄くよくなって、語彙力も増えたように感じます。

―今息子さんがはまっているようなことはありますか。

白須)今は音楽が好きみたいで、ダンスをしたり歌を歌ったりしています。妻が好きなアーティスがいて、ライブのDVDを結構持っているんです。以前はあまり関心を示さなかったのに、試合後は興味が出たみたいで、そのアーティスになったかのように歌ったりしていて。すごく表現力のある子になっています。

―お父さんの雄姿が、息子さんの発育にも影響があったんですね。これからも頑張る背中を見せたいですね。

白須)そうですね。本当は昨年の12月にタイでチャンピオンになっている、ジョムトーン選手と試合がありました。息子の誕生日も12月なので見せたかったのですが。今はリハビリを頑張って、今年の9月か12月には復帰でいたらいいなと思っています。

―怪我やブランクを経てもリングに戻れるのには、いつも応援してくれる奥様の支えもあるかと思います。そんな奥様との馴れ初めをお聞きしたいです。

白須)出会いは、友達の家が喫茶店だったのですが、そこで妻が働いていたことがきっかけです。5年くらい仲の良い友人で、急に火がついてアプローチして、結果3回振られました。何でも後悔したくない、という思いが強いのかもしれません。

―本当に、何事にも「後悔したくない」という思いを軸に行動されているんですね。

20歳で板前から未経験の格闘技界へ転身

―格闘技を始められたのはいつですか。

白須)20歳くらいの時です。高校を卒業して板前になったのですが、その時のホール長の人がもともと空手をやっている方で、体格も良く、穏やかで、さらに仕事もできる凄い方でした。その方に、何をやっていたのか聞いたところ、空手をやっていたと教えてもらいました。それからも色々と話を聞いていたら火がついて、「じゃあ僕、格闘技のほうに行きます」と言って辞表を出しました。

―行動力が凄いですね。それまでにも格闘技の経験はありましたか。

白須)野球とラグビーはありますが、格闘技はありませんでした。でも男4人兄弟なので、興味はありました。兄弟の年齢がみんな近いので、「こいつには負けたくない」、「強くなりたい」というライバル意識のようなものは昔からあったと思います。

異色のキャリアをもった白須4兄弟とお父様

―4人兄弟なんですね。皆さん、格闘技をされているのでしょうか。

白須)格闘技はしていなくて、職業は皆バラバラです。長男は元戦闘機のパイロットで、今は民間企業で機長をしています。次男の僕が格闘技で、三男が飲食店や建築関係の会社を経営しています。四男が会社に勤めてはいるのですけど、ソムリエの資格を持っています。

―すごく個性豊かな兄弟ですね。

白須)性格も本当に多様で面白いです。長男はもともと自衛隊のオタクだったんですよ。自分の好きなことを職業にまでしてとことん突き詰めていった感じです。三男はいつも周りに人が集まるタイプでした。四男はもともと音楽の世界を目指していたみたいですけど、いつのまにかワインにのめり込んでソムリエになっていました。

―ご兄弟の経歴も面白いですね。白須さんは板前を経て、20歳の時から既にキックボクシングを始めていたんですか。

白須)初めは空手で、そのときは「強くなりたい」という一心しかありませんでした。実は21歳の時に空手の世界大会で3位入賞したこともあります。

―何が原動力で、始めて1年という短期間でそこまでの結果を残せたのでしょうか。

白須)簡単に言うと「気持ち」の大きさだと思います。経緯として、まず全日本選手権に、ジムのオーナーに推薦していただいて出ることになりました。その初戦での対戦相手が、僕が1回戦負けした関東大会で優勝した選手だったんです。一緒に来てくれた先輩が「これに勝ったらおいしい」という話になって、勝ったら女の子がいる飲み屋さんに連れていってくれるっていう話になったんです(笑)それで、とにかく攻めたら勝っちゃったんですよね。次の2試合目は、関東大会の準優勝の人だったんですよ。それにも勝って、その後も順調に勝ち進んで、準々決勝のときに負けて3位になりました。だから、気持ち次第でこんなに変われるんだなと。

―周囲はびっくりされたんじゃないですか。

白須)びっくりだったと思います。その実績ができたので、「プロテストを受けろ」、「空手からキックボクシングの世界に行け」ということで、3ヶ月後のプロテストを受けに行きました。無事受かって、21歳の時にデビュー戦という感じです。

2003年には日本ウェルター級王座を獲得

―それまでキックの練習はしていないんですよね。

白須)全くしていないままデビュー戦の日を迎えました。デビュー戦ではほとんどパンチだけで、キックは1回くらいだったと思います。スパーリングの練習をしても正直全然うまくできなくて、殴られるのが嫌だから、ひたすら殴り続けたら、デビュー戦で勝っていましたね。

―初陣を勝利で飾ってから、順風満帆にキックボクシング人生が始まったんですか。

白須)実は、デビュー戦が終わった後、1回ちょっと遊ぶ時期に入りました。試合にも出なくなって、飲み歩く機会が増えて、練習も疎かになった時期があったんです。

タイでのトレーニングが格闘家人生を変えたという

―そこからどのようにキックボクシングへの熱を取り戻したのでしょうか。

白須)ジムのチャンピオンの先輩が僕のデビュー戦を観てくれていて、「強くなるから、しっかりやれよ」と怒ってくれました。その方は普段タイにいたので、あまりどのような方なのか知らなかったのですが、一緒に練習をしたときに迫力が凄くて、「この人みたいになりたい」と、タイで一緒に練習させてもらうようになりました。

復帰後もタイでトレーニングを行った

―タイではどのようなことを学びましたか。

白須)タイはムエタイのルールがあるのですが、50kgくらいの中学生にバンバン投げ飛ばされて、力だけではこれ以上強くなれない、ということに気づかされました。力だけでなく、タイのスタイルで練習するたびに、強くなっていることが実感できました。

―タイでの経験が、その後の活躍に繋がったんですね。

白須)タイでの経験があって、23歳の時にMA日本キックボクシングのウェルター級でベルトを獲ることができたと思っています。その後、K-1 WORLD MAXで魔裟斗さんが活躍されているのを見て、「K-1の世界に行きたいな」と思うようになりました。実際にK-1の日本トーナメントに出たのが2007年で、そこで城戸選手に出会い、引退、復帰と今に至ります。

プロとして、観てくれる人に何かを与えられる人間でありたい

―ありがとうございます。一度引退されていた時期もあるのですが、格闘家の方は、どのようなセカンドキャリアを歩まれるのでしょうか。

白須)僕自身も引退してから痛感しましたが、それまでの目標がなくなって、何をしたいのかがわからない方が多いと思います。引退するのがだいたい30代なので、年齢的にも新しいことに挑戦する気持ちが湧かないとか、自分の中で制限をかけてしまっている人もいると思います。

2022年6月に行われた城戸康裕選手とのリベンジマッチは惜しくも判定負けだった

―白須さんのように格闘技界に復帰されるのは珍しいケースでしょうか。

白須)珍しいと思います。僕は頑固なところがあるのかもしれないですけど、「後悔したくない」という気持ちが一番強いのかもしれないですね。

―何度も怪我を乗り越え、現役最高年齢と言っても過言ではない白須選手にお聞きします。白須選手にとって「プロ」とは何でしょうか?

白須)プロとしてやるからには、見てくれた方に何かを感じてもらわないと意味がないと思っています。ただ試合に出て勝つだけじゃなくて、観てくれる人にやる気を与えたり、一歩踏み出す勇気を与えたりすることができる選手がプロだと思います。

―40歳を超えての御活躍は、観ている人にきっと勇気を届けますよね。現時点では44歳までを現役でとご自身で決められていますが、今後の目標はありますか。

白須)アスリートのセカンドステージの支援ができたらいいなと思っています。アスリートの方は、雇われるより自分で起業して稼ぎたいという欲がある方が多いと思うんです。なので、将来僕自身がこうやって稼いだという実績や生き様を作って、それを見せて、セカンドステージの何か仕組みを作ることができたら説得力もあるなと思っています。また、現在の日本はジム内で完結する仕組みになっているので、トレーナー・サポーター・さらにはスポンサーもマッチできるような仕組みを作りたいです。僕はずっと好んで、グローブとレガースはRDXを使わせてもらっています。

―本日は非常にユニークな経歴を教えていただきありがとうございました。

白須)ありがとうございます。

編集後記:
「引退してから11年のブランクを経て、現役復帰をした白須選手。
現在は大怪我からの復帰のためにリハビリを懸命に行っています。
40代でもできる姿を見せたい、子供に頑張る父の姿を見せたい。
プロというのは自分の戦う姿を見せて誰かに影響を与えることだと強く語っており、
私たちも白須選手からのインタビューで活力をもらえました。
プロに年齢は関係なく『リングにいたい』という気持ちがどれだけ強いかが必要だと感じた取材でした」(RDX Japan編集部)

インタビュアー 冨永潤一、上村隆介

白須 康仁

RDX sports japanは
白須 康仁選手を応援しています。