GLORY BEYOND DREAMS 中村 拓己さん インタビュー

インタビュー | 2024.7.3 Wed

とことん好きになることが仕事に繋がるんです』

彼はTHE MATCH 2022など多くの興行を成功に収めた実績を持つ元K-1プロデューサーで現在は格闘技ライターとして活躍をする、中村 拓己 さん。

異色のキャリアを持ち、ライターからたたき上げでK-1プロデューサーに抜擢された中村さんのこれまでの背景に迫ると共に、頭の中でどのようにストーリーを構築しているのかについてもお伺いしました。

中村 拓己 (なかむら たくみ)

生年月日:1981年8月18日
出身地:福岡県久留米市
経歴:格闘技WEBマガジン「GBR」編集部に在籍した後、フリーの格闘技ライターとして活躍。2018年にはK-1プロデューサーに就任、THE MATCH 2022など多くの興行を成功に収める。2023年にはK-1プロデューサーを退任し、現在はフリーでライター、解説業、インタビュアーとして活動している。

プロデューサーを経験したことでライティングは変わった

ー2023年にK-1プロデューサーを退任されて、現在はスポーツライターとしてご活躍されています。プロデューサー就任前と今を比べて、格闘技の見方や、書く記事の内容に変化はありましたか。

中村)変化はありますね。主催者側を経験し、格闘技イベントや興行の成り立ちや、収支、選手へのファイトマネー等全てを見たことで、今までの疑問が解消され、その上で選手を取材するので、以前とは違うなと自分で感じています。

ー解説業もプロデューサーになる以前からされていましたが、そこに関しても視点は変わりましたか。

中村)解説に関しては今まで通りです。解説のための準備や話す内容はある程度下調べして用意していきますが、喋る事に関してはむしろ自由に今の方が喋れてると思います。逆に、このようなインタビューを受ける時に話す内容は変わってきたと思います。

ーライターとして活動するにあたって、どのようなことを意識されて記事を書かれていますか。

中村)原稿を書く時には構成力を大切にしています。例えば根性がある選手について描写する際に、根性がある事を描写する書き方ではなく、どうして根性があるのかの根拠を集めて、構成していきます。ある程度、仮説を立て、どのような事が過去にあったのか詳細を取材等を通して、ストーリーや原稿を作成していきます。

ライターは消去法で選んだ仕事でした

ー今回は中村さんの幼少期からスポーツとの出会い、ライターになるまでも伺いたいのですが、幼少期の頃からスポーツに興味があったのでしょうか。

中村)実は水泳等、様々な習い事をしていましたが、子供の頃は特段スポーツが好きなタイプではありませんでした。特に部活もしていなかったので熱中して何かスポーツをしていたわけではなかったのですが、たまたまプロレスをテレビで観る機会があって、その時に凄いなと感動をして初めて好きなスポーツができました。中学時代は友人の影響で、様々なプロレス団体の雑誌を読むようになり、高校時代には総合格闘技の試合を初めて見て、どんどん格闘技に魅了されていきました。

ー東京には大学進学のために上京されたとのことですが、その頃から格闘技ライターを目指したいと思っていたんですか。

中村)大学は東京の大学に行きたいと思ってたのですが、親からそこそこの偏差値の学校じゃないなら地元の大学に進学しろと言われていたので勉強を頑張って慶應義塾大学に入学しました。進学後は憧れの東京生活や初めての一人暮らしで自堕落な生活を送っていました。ただその頃に修斗の大会を見る機会があって、自分の生活を変えようと思い実際に格闘技に挑戦しました。格闘技をするのも好きになって、将来は格闘技に関われる仕事をしてみたいなという気持ちが芽生え、大学3年の就職活動時に、たまたま格闘技の専門誌で編集部員を募集していたので、アルバイトとして業界に入ったのが最初です。もともと文学や本が好きなわけではなく、好きな格闘技の仕事をするにあたって、「選手は無理だろうし、プロモーターも大変そうだな」と消去法をしていって最後に残ったのが記者でした。学生時代は編集のアルバイトをずっと続けて、大学卒業のタイミングで格闘技のウェブサイトを立ち上げる別会社を設立する話しがあったのでそのまま就職しました。

ー入社してからは具体的にどのような仕事をされたんですか。

中村)僕の入社時はいわゆる格闘技ブームだったので、幸運な事に仕事が余るほどありました。いきなり記名の原稿を書いたり、場当たり取材に行ったりと、とにかくがむしゃらに過ごしていました。僕が担当していたWeb記事は文字数は多くないんですが、記事の本数を書いて世に出さなくてはいけなかったので、沢山書くことでライターとしてはだいぶ鍛えられました。情報をまとめて整理して、形にして世に出すことをいかに早くするかの経験はすごく僕の中では大きかったです。

ー最初から責任感がある仕事をしていたのは良い経験でしたね。若手のライターとしてその頃はどのような理念を持って仕事をされていましたか。

中村)ベテランの記者の方がするように、大きい大会の記者会見や囲み取材でも積極的に質問をしていました。若手の当時は、個別の取材ができる機会がなかなかなかったので、こういう場で聞くしかないと思って、すごく沢山挙手をして質問をしていました。よく質問する若い人がいるなと業界の方には覚えられていたみたいなので結果としては名前も売れたのかなと(笑)

ーその後、解説業や司会業をするようにもなりましたがライター以外の仕事をされるきっかけは何だったのでしょうか。

中村)ライターの仕事の次は解説やコメンテーターのような仕事をもらうことが多くなるんですね。最初始めたきっかけは解説の仕事をしていた先輩の代役で解説をさせてもらって、そこで評価をしてもらったのが大きかったなと。最初は自信がありませんでしたが元々、人前に出て喋るのは嫌いではなかったので上手く対応は出来たのかなと思います。

ー様々な仕事をされている中で、ご自身の中で一番好きだなと思うのは何の仕事でしょうか。

中村)職業というわけではなく、自分が書いた原稿や発言が話題になったり、反響をもらえることが嬉しいですね。私が書いた原稿が好きでした!という感想や、インタビューを見て僕も格闘技をしようと思いました!、というような反響をもらったり、自分が発信した事が誰かに影響を与えている事に喜びを感じます。

新たな挑戦のためにプロデューサー就任を決意

ー様々な仕事が増えてきた中で、K-1のプロデューサーに就任されました。ライター上がりの方がプロデューサーに就任されるのは珍しいですよね。就任されたきっかけを教えてください。

中村)30歳の時に会社を辞めて独立してから、Krushというキックボクシング大会の解説をさせていただいてました。2013年頃、Krushを母体にK-1が復活するという話が立ち上がり、Krushの解説をしていた流れで、新しく復活するK-1の仕事のオファーをいただきました。最初は解説の仕事や、K-1の公式のホームページの原稿作成等、制作物関係の仕事がメインでしたが、だんだんマッチメイク等内部の仕事をしていくようになり、37歳の時にプロデューサーをしてみないか?と声をかけられ、新たな仕事に挑戦しようと思い就任を決意しました。 

ープロデューサーに就任されて、具体的に何から取り組まれたのでしょうか?

中村)お手伝いしていた仕事がより本格的になり、マッチメイク、イベント宣伝、選手のプロデュース等全般を行いました。また、K-1のピラミッド型構想も時間をかけて具現化しました。格闘技の仕事に長く携わっていく中で、他のスポーツでは当然な事が格闘技の世界ではなかったり、なかなか人気が定着しない現状を目にしていたので、コンセプトを立てた事を進めたいと思ったことも僕がプロデューサー就任の要因の一つでした。まずは大会を開くためには大会に参加する選手が必要なので、K-1公認ジムを増やすところから始め、次にアマチュア大会を充実させ、そこからプロ興行へ流れるように構造化しました。競技人口と選手のレベルや技術は比例すると思うので、競技人口を増やし、その中でふるいにかけた選手たちがデビューしていけば、競技レベルが上がると思って取り組みました。

ーK-1が掲げた100年構想の中の一番大きなビジョンはどこに設定していましたか。

中村)100年続く構想の中で、K-1を格闘技界とひとまとめにされるのではなく、いずれ格闘技界から外れて一つのジャンルとなれば良いなと思っていました。例えば相撲を格闘技界という枠内で考えている人は少ないですよね。皆さんの中で相撲は相撲というジャンルで確立されていると思うんです。つまり、格闘技とまとまめられるのではなく、K-1というスポーツの確立が一番のゴールだと思っています。そのためにルールの統一や、プロになるためにはアマチュア大会を充実させ大会を増やすことが、ピラミッドのゴールの1つかなと思っています。

ープロデューサー時代の最大の出来事がTHE MATCH 2022だったのかなと思うのですが、この大会はいつ頃から構想を練っていたのでしょうか

中村)まずは武尊選手と那須川選手の試合を実現させたいと思ったのがきっかけです。そのためにはどの形が良いのかを検討した結果、中立の舞台を作ると良いのではないかという結論になり、THE MATCH 2022の開催に至りました。ドーム規模の大会になることは想定していましたが、想定をはるかに超える超満員の観客や、高額チケットがすぐ売れたり、PPVが何十万人もいたりと反響に驚きました。

THE MATCH 2022は予想以上の盛り上がりに驚いたと語る

ー武尊選手の話題が出たのでキャッチコピーについてもお聞きしたいのですが、武尊選手のキャッチコピーを作られたのも中村さんですよね。どのようにキャッチコピーを考えて発信されているんですか。

中村)キャッチコピーをつける時には、イメージをすごく大事にしているので、キャッチコピーをつけようと考えた時に、最初に頭に浮かんだ言葉を大事にします。そこから語感やワードの面白さを考えていく感じです。選手の事を良く知り、データや試合を見た時に思い浮かんだ言葉でインスピレーションが湧いてきます。

ーキャッチコピーがあると親近感が沸くというか、少しフランクに見ることが出来ますよね。プロデューサー業を経験したスポーツライターから見て今後、格闘技業界はどのように進化していくとお考えですか。

中村)プロデューサーをしていた時はまさにコロナの問題と直面していた時期で、コロナをきっかけに、格闘技やスポーツ、エンタメに関するお金の生まれ方がすごく変わったと思います。お金を払って動画を見るPPVという文化もここ2-3年で当たり前になったと思いますし、SNSが発展してテレビよりもネットを見る人が増えました。一気に変わった時代だと思うので、うまく取り入れた形で格闘技のイベントをしていく事が求められつつも、人を扱う仕事なので、格闘技やスポーツをする上で一番大事な部分は変わらないとも思います。

ー本当に難しい時期にプロデューサーをされていて悩むことも多かったと思いますが、中村さんの視点から格闘技メディアの役割や責任についてどう思われていますか。

中村)簡単に情報が手に入る時代だからこそ、書く側としての見極め、伝えるべきものをどのように発信するのかが重要だと思います。SNS等を見て誰でも記事が書け、プロアマ問わず記事が世の中に氾濫する中で、選手や試合がただ消費されるのではなく、もっとたしなむものとしてあるべきだと思っています。最近はAI等のテクノロジーの発展に直面している中で、メディアやライターがどのように自分で仕事を見つけ、探していき、発信していくかが必要になってくるのではないのかなと思います。

これで稼ぐという信念をもって稼ぐことが大事

ー今もスポーツ業界に何かしら仕事として携わりたいと思っている人は多くいると思います。そういう方々に中村さんからどんなアドバイスを伝えますか。

中村)今って、スポーツの仕事と言っても、様々な仕事があると思います。何をしたいのかもそうですが、まずはとことん好きになった方が良いと思います。仕事を始めた時点から、知識では負けないオタクになった方が良いと思います。僕が仕事を始めた当時は、格闘技の専門誌を常に鞄の中に入れて、古本屋に行って過去の本を買い漁って、TSUTAYAとかで格闘技のDVDを全部借りてという勢いをずっと続けるほど格闘技が好きでした。最終的にそれをどう生かすか、どう活用するかは、仕事を始めてから分かるものです。

何でも知れる現代だからこそ、知って勉強するのもすごく大事だと思いますが、好きでいることを根底に持っておくのはすごく大事かなと思います。そうしていけば、どこかで自分にあった仕事や自分の特性に合った仕事も見つかると思うんです。好きな事を仕事にすると、自分の想像と違って幻滅する事が多いです。でも、仕事自体を好きになれば絶対続くと思うので、仕事を好きになる事も大事かなと思います。

ーまずはとことんオタクになる事が大事なんですね。今後の活動の中で中村さんの中で目標にしている事はありますか。

中村)今は格闘技の仕事が99%なので、格闘技以外のスポーツの仕事にも携わっていけるようになりたいと思います。自分のように、記者からイベント主催側、そしてまた記者に戻った人はなかなかいないと思うので、そのような経験を格闘技もそうですし、格闘技以外の事に活かせるようになりたいです。

日本のスポーツの課題に、好きになるハードルが高いことがあると思うんです。試合を観なくてはいけない、選手の事を詳しくなくてはいけない、そう思いがちですが、ユニフォームが格好いいからとか、週末に皆で騒ぎたいから好きとか、どのようなことでもいいので、好きな範囲が広がっていくと、もっと市民権が得られて、結果的にスポーツマーケットが大きくなっていくのではないかなと思うので、そういう伝え方ができたら良いなと思います。

格闘技の話しを楽しそうに話すのがとても印象的だった

ー格闘技以外の世界でも中村さんがどのように仕事をされていくか楽しみです。最後にお聞きしたいのですが、中村さんにとってプロとはなんだと思いますか。

中村)自分がこれで稼ぎたいと思っている信念や、思いを持っているもので稼ぐ事です。仕事を始めた頃にお手伝いさせてもらったインタビューで、印象に残っているものがあるのですが、ある方が「自分がやっている仕事がいいものだと思うなら、その仕事で稼ぎなさい」と言っていたことを今でも覚えています。「自分がやった仕事で稼いだお金は、自分がやった仕事で喜んだ人の数だから。自分の仕事でたくさんの人を喜ばせているんだったら、ちゃんとお金は儲かるはずだから、沢山稼ぎなさい」と。その言葉に感銘を受けて、自分の中のプロとして大事にしています。自分はこれで稼ぐんだ!という仕事で稼ぐ事がプロだと思います。

ー今日は今後の自分の人生の教訓にもなりそうなお話もたくさん聞けて勉強になりました。今後のご活躍も期待しております!

編集後記:お会いした時の第一印象は『すごく若い!』と思いました。スポーツの話をしている時は目をキラキラさせてお話しされているのが印象的で、好きなものを仕事にしている方は若々しくなるのかなと思いました。今後は格闘技以外のジャンルでも中村さんの名前が出て、ご活躍されることを期待しております!(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

中村 拓己

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