GLORY BEYOND DREAMS YAYAウィラサクレック選手 インタビュー

インタビュー | 2024.5.17 Fri

タイへの留学が人生を変えました

彼女は去年1年8か月ぶりに右膝前十字靭帯損傷の大怪我から復帰したYAYAウィラサクレック 選手。

学生時代は剣道に打ち込み、その後はアパレル業界に勤め、格闘技とは縁のない世界で生きていた彼女がなぜ戦い続けているのか。

今回はYAYA選手のバックグラウンドを伺いながら、どのような経験が彼女を変え、何が彼女を前進させるのか、その秘密に迫ります。

YAYAウィラサクレック

所属:WSRフェアテックス幕張
生年月日:1986年10月3日
身長:158cm
出身地:千葉県千葉市
経歴:初代J-GIRLSスーパーフライ級王者

今までのキャリアの中で一番強い相手だった

ーまずはお名前から伺いたいのですが、名前に入っている「ウィラサクレック」は所属ジムの名前なんですよね。

yaya)そうです、名前の由来はジムの会長である「ウィラサクレック ウォンパサー」さんからジムの名前をいただきました。yayaに関しては本名は弥生という名前なのですが格闘技を始めた国のタイでは弥生と発音するのが難しく、yaoiになることから、yayaとニックネームで呼ばれていたので、それをリングネームにしました。

ー直近の試合は2024年4月14日(日)行われたRWS JAPANの試合でしたが惜しくも判定負けでした。今回の試合はどのように決まって準備を進めてきましたか。

yaya)約2年間のリハビリを経て、強いタイ人選手とムエタイでの試合の話をいただき、やるしかないと思ってオファーを受けました。作戦をいろいろ立てて試合に臨みましたが、相手が1枚上手でしたね。今までのキャリアの中で一番強い相手だったと思います。そのような選手と試合をできたことは次にも繋がると思うし、いい経験ができました。ただ、膝の靭帯を怪我してからの復帰戦で約2年のブランクがあったので、試合勘を戻しきることができなかったことは今後の課題です。

ーRWSはタイでの認知度は抜群ですが、最近は日本でも精力的に大会を開こうとしていますよね。日本でのRWSの認知度、大会の雰囲気などいかがでしょうか。

yaya)自分も含むキックボクシングやムエタイの立ち技をしている人達からすると、タイから世界に発信されている大会なので、憧れの舞台だと思います。反対に、MMAをメインに見てる方などにはまだ認知されていない部分もあります。今後は、日本大会もどんどん開催していくそうなので、まだ知らない層にも知ってもらう機会が多くなるのではないでしょうか。

剣道に明け暮れた学生時代

ーyaya選手の過去についてお聞きしたいのですが、もともと格闘技とは無縁だったんですよね。

yaya)格闘技は全然してなかったですね。ただ小学校一年生の時に親の勧めで剣道を始めて、専門学校の途中くらいまで続けています。高校は市立船橋というスポーツが盛んな高校に進学したので、インターハイにも出場しました。

ー子供時代は剣道を楽しみながら練習出来ていましたか。

yaya)嫌だったという感覚もありませんが、楽しかった感覚もないかもしれないですね(笑) 常に試合や大会があったので、そこに向かってただ打ち込んでいました。剣道で成績を出して学校も推薦で入学しましたし。部活の子達と練習終りにご飯を食べに行ったりしてたのが楽しかったですかね。ただあの時は尋常じゃなくご飯を食べてたと思います(笑)

ー食べ盛りの時期だし、運動をしていたこともあってエネルギーの消化が早かったですよね。高校卒業後も剣道で進学されたんですか。

yaya)剣道の推薦でスポーツ系の専門学校に進学し、中退した後にアパレルに勤め始めました。転職も経験し、計2社で10年間くらいアパレル業界で働いていました。

学生時代は剣道に明け暮れていた
(写真上段右から2番目)

ー武道とは全く関係のない仕事に就かれたんですね。まだ格闘技との出会いが出てきていませんが、格闘技はどのような経緯で始められたんですか。

yaya)当時は格闘技の経験は全くなく、年末に放送される格闘技の番組も観ていなかったので、知識もありませんでした。タイに語学留学した時にエクササイズ感覚でムエタイを始めてから1年後に、デビューを勧められました。いきなりリングに上げられて、アマチュアでの試合経験も一切ないまま、ヘッドギアもレガースもなしの試合に出場しました。ただムエタイの楽しさをその時、知ったので夢中で練習しましたね。

タイでプロデビューして1年間負けなし

ータイに語学留学に行ったはずなのに、ムエタイの選手としてデビューされたのは、ご家族は驚いたのではないでしょうか。

yaya)そうですよね、私がタイに行っているのは知っていたのですが(笑) 父は昔、格闘技や武道をしていたので、試合も見に来てくれるし応援してくれます。母は反対こそしませんが、試合は怖くて見られないそうで、家で泣いて私の帰りを待っています(笑) 勝てば良いんですけど、怪我をしたり入院が決まって帰ってくるときもあるので、親には申し訳ないですね。

―そもそもなぜタイへ語学留学に行かれたのでしょうか。

Yaya)アパレルの会社を退職するタイミングで、友人とプーケットに旅行をすることになりました。1週間ほど旅行をした際に、すごい良い国だな、楽しい国だなと感銘を受け、その1ヶ月後からまた語学留学という形でプーケットに来ていました。語学学校では英語を学んでいたので、タイ語は簡単なコミュニケーションや、ムエタイの用語くらいしか分からないです。

ータイでの生活はいかがでしたか。

yaya)現地のアパートを借りて生活をしていましたが、部屋も広いし冷蔵庫などの設備もあるので、普通に生活はできてました。1ヶ月の家賃が当時は2-3万円くらいで住むことができたので家賃も安かったですね。ただ、辛いのが苦手でタイ料理は得意ではなかったので、自炊中心の生活をしていました。ビザの都合もあるので、日本で働いた分の貯金を使ってタイで暮らしていたので、日本とタイを行き来していました。

ータイでの試合成績を見てると連戦連勝だったんですね。日本と比べてタイでの試合はどんな所が異なってますか。

yaya)9戦くらいしているのですが、デビュー後1年間無敗でした。タイは日本と違い計量もない、何でもありの世界なので、無傷の時は2週間後にすぐ次の試合に出されたり、デビュー戦も足の指が折れたまま出させられたりと日本では考えられないような経験をしました。日本の試合だとセコンドもついていて、同じ体重の選手を見つけてくれて、様々なケアがあって、かなり恵まれていると思います。ただその分、アウェイで戦う雰囲気を学べましたし、根性はだいぶ付いたかと思います(笑)

ー2019年に日本で試合を行っていますが帰国されたきっかけは何だったのでしょうか。

Yaya)一番の理由は2019年に日本でデビューが決まったからです。アマチュアの試合が組まれないまま、ジムからプロデビューの日程が告げられました。なのでタイでの1年間の試合が私の中でのアマチュアの試合のようなものですかね。やっぱり試合数をこなして場数を踏んだ方が良いと思うので、アマチュア選手はプロになる前に沢山試合した方がいいですよね。

ー日本での試合となると今までの環境とはだいぶ異なることがありますよね。

yaya)年齢的にはベテランですが、タイの環境しか知らず、試合数も20戦と多くはないので、毎回勉強です。人の試合のサポートにつくことも多いので、様々な選手達の戦い方や、戦いに入るルーティン、チームが試合に入るまでの行動を見たり、日々勉強しています。ジムにそれぞれ特徴があって、このチーム素敵だなと理想もありますね。

ー2020年には初代J-GIRLSスーパーフライ級王者になって、初めてのベルトを獲得しました。初のタイトル獲得でしたがその時はどのようなお気持ちでしたか。

yaya)日本に帰国後5戦くらいして、負けなしだったので、そのままタイトルマッチのチャンスをいただきました。初めて形になったものがあったので嬉しかったですし、タイトルマッチの相手がデビュー戦の時にドローになっていた相手との再戦だったので、自分の気持ちに決着がついてよかったです。ベルトを獲って、また次のステップアップにいかせてもらえました。

大怪我からの復活、私はまだ戦える

ーしかし2021年には右十字靭帯の怪我で手術をされていますね。長いリハビリ生活だったとお聞きしてます。

yaya)AKARI選手との試合だったのですが、相手は高身長の選手で、始まって最初の何十秒かで前蹴りをもらって飛んでいってしまい、踏ん張ったタイミングで靭帯が切れてしまいました。ただアドレナリンが出ていて試合中は痛くなかったのでドクターチェックをして2ラウンド目まで闘ったのですが、蹴ろうと思っても踏ん張れないから前に出られないし、パンチも踏ん張りがきかず強いパンチが打てない状況でした。私は身長が低いので、ガンガン中に入っていくファイトスタイルなんです。なので私と戦う時には、皆さん距離を活かした前蹴りや膝を使ってくると分かっているので、その時は悔しさしかありませんでした。

ー2年弱リハビリが続いたとのことですが、この大怪我とどのように向き合っていましたか。

yaya)前十字の他にも半月板の修復が遅く、1年8ヶ月間はリハビリをしていました。結局2回手術が必要なくらい症状は重かったのですが、沢山の人が良い先生やリハビリを紹介してくれ、必ず復帰できると後押ししてくれたので、早く復帰したいという気持ちしかありませんでした。ただ、復帰戦でも試合直前に膝の調子が悪くなったり、怪我をした時の話をすると涙が出たり、トラウマを完全になくすのは難しいと感じてはいました。

膝には釘を入れて治療、リハビリを行っていた

ー2023年5月の復帰戦では惜しくも判定負けでしたね。1年8ヶ月のリハビリを経てリングに立った感覚はいかがでしたか。

yaya)すごく沢山の方達が応援に来てくれて引退試合か?と思うぐらいでした(笑) それは嬉しかったのですが、いざリングに立ってみると、地に足がついていない感覚がありました。試合勘がないってこのことを言うんだとすごく感じました。対戦相手のMelty輝 選手は地元が同じなのでもともと知っている方ですが、すごくタフでコンスタントに試合に出続けている人ですね。ハイキックでポイントを獲られてしまって、後から巻き返したのですが及ばず。勝たなくてはいけない試合だったので、この試合は反省点がすごく多いです。

ー様々な格闘技を経験されてますが、どの格闘技が一番合ってると思いますか。

yaya)キックボクシングが向いていると周りからは言われますが、私はムエタイが好きです。ムエタイは顔に攻撃を受ける可能性も高いですが、顔を切って縫ってもいいと思っています。あとはオープンフィンガーの試合も今後はしてみたいですね。先日オープンフィンガーでスパーリングをしましたが、グローブとは違う痛みがありましたね。

ー最近は減量に失敗するニュースを多く見るのですが、減量やコンディション管理をどのように考えていますか。

yaya)減量で体調を崩される方も多くいらっしゃいますが、いつも明日は我が身だと思っています。調整ができない理由って様々あると思うんです。単に不摂生だったからなのか、病気など体のトラブルがあったのか、女性は生理もあるのでホルモンバランスが崩れてむくみから減量できにくくなることもあります。実際に私自身も減量中にコロナに罹ったことがあり、隔離されているホテルの中で出来る範囲のトレーニングを行った経験があります。でもその後、ジムに戻って練習したらすごく息が苦しかったんです。減量の時は免疫も落ちるので気をつけないといけないなと思います。私自身も減量幅はある方なので、トレーナーに相談して、俺がついているから大丈夫だよと言ってくれる言葉を信じて取り組んでいます。

ー今後のキャリアをどのように考えていますか。

yaya)私はあまり先々の目標を立てるタイプではないので、一戦一戦大切に戦って、次またどうしていくか考えます。大きく言えば、もう1本ベルトが欲しいです。今持ってるベルトは初代なので、誰かを倒して獲得したベルトではないんです。今のチャンピオンに挑んで、倒して、ベルトを獲りたいです。

ー最後にお聞きします、yaya選手にとってプロとは何でしょうか?

yaya)リングの上は自分が輝ける場所でもあり、世代を問わず私が誰かに魅せられる場所でもあります。今、私が格闘技を続けられているのは、勇気をもらったとか、そう言ってくれる方々がいるからです。私が試合をして勝とうが負けようが、人にエネルギーを与えられているというのが続けていられる理由です。自分のために格闘技をしていると言われるのですが、周りがそういう気持ちで応援してくれていなかったら続けられていないですね。どの選手もそうだと思いますが。周囲の方の支えがあっての自分だと思っています。

ーありがとうございました。怪我には気を付けてこれからも頑張ってください!

(写真_井原芳徳)

編集後記:『太陽を浴びてランニングしたいんです!』と話すように、YAYA選手は太陽のような明るさを持ち合わせています。彼女の鞄の持ち方も男前で、とても印象的でした(笑)。今後、チャンピオンからベルトを奪い、リングの上でガッツポーズを見せてくれる姿を楽しみにしています!(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

YAYAウィラサクレック

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