インタビュー | 2026.2.10 Tue
『プレイヤーファースト、その思想が柔術を広げた』
伝説の興行『VALE TUDO JAPAN ’95』での死闘を経て、日本におけるブラジリアン柔術(BJJ)の礎を築いた日本柔術界の父、『中井 祐樹』さん。
現在は日本ブラジリアン柔術連盟の会長として、競技の普及と発展に尽力している。
「寝技」という地味でマニアックだった技術が、なぜ今、芸能人や経営者、そして子どもたちまでをも虜にするスポーツとなったのか。
日本におけるブラジリアン柔術の歩みと、柔術が持つ「プレイヤーファースト」の哲学をお聞きしました。

中井 祐樹 (なかい ゆうき)
生年月日:1970年8月18日
身長:168 cm
出身地: 北海道浜益郡浜益村(現・石狩市)
経歴:日本ブラジリアン柔術連盟会長。武道/格闘技道場パラエストラ代表。元プロ修斗ウェルター級王者。伝説の「バーリトゥード・ジャパン・オープン1995」で、体格差のある相手を撃破し準優勝。その際の負傷により右目を失明するも、その後ブラジリアン柔術の普及に尽力し、日本柔術界の父と呼ばれる。
多様性という土壌が生んだ日本ブラジリアン柔術
ー中井さんは現在、日本ブラジリアン柔術連盟の会長を務められていますが、まずは連盟を設立しようと思った最初のきっかけからお伺いできますでしょうか。
中井)日本の競技としてのブラジリアン柔術を普及させるためにできた連盟で、1997年に発足しています。私は2代目の会長ということになりますが、先代の会長がいらした設立当初から、私自身もずっと関わっていました。
当時はまだ、国内にいくつかの道場しかないような状態でしたが、ブラジルにある国際ブラジリアン柔術連盟(IBJJF)の傘下団体として、日本ブラジリアン柔術連盟が立ち上がりました。国際連盟の本部がリオデジャネイロにありましたので、そこの直轄団体として、競技普及を目的にできたものですね。私は1999年から会長職を引き継いで、今に至るという形になります。
ー連盟が発足した1997年当時、日本国内におけるブラジリアン柔術の認知度や、世間からの見られ方はどのようなものだったのでしょうか。
中井)グレイシー柔術というか、ほとんどグレイシー一家の活躍によって(柔術が)世に出たという側面があります。1993年にUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)が始まって、ホイス・グレイシーが優勝しました。それに乗じてというか、国際的に「柔術って何だ?」と知られるようになっていったんです。
競技としての柔術は、バーリトゥード、今でいう総合格闘技(MMA)の普及に伴って広がっていったという経緯があるので、まず「格闘技としての柔術」が先に知られていたということがあります。
日本ではUFCが始まった後の93年、94年、95年。私が(連盟に)関わったのは97年ですが、その頃にはようやくいくつかのアカデミーが出来始めていました。日系ブラジル人の方が日本に入植されていた歴史もあって、コミュニティ内ではUFC以前から少しは存在していたと思われますが、一般的には徐々に徐々に広まっていき、ようやく競技団体として成り立つようになっていった、という感じでしたね。

ー連盟を立ち上げる際、その母体となった理念や、組織として最も大切にされていた目的はどのようなものだったのでしょうか。
中井)ブラジリアン柔術という競技を普及・発展させることが一番の目的です。うちは珍しい団体かもしれませんが、参加している各団体に対して、普段の指導方法は一切指定していません。護身術を主体にしている道場もあれば、競技としての柔術を突き詰めているところ、あるいはMMA(総合格闘技)を意識しているところや、柔道と融合させているところもある。そういったアプローチの仕方はどれでも問わないんですね。
そうした多様性を認めつつ、競技としての連盟に参加してもらうことで、黒帯、茶帯、紫帯、青帯、白帯といった帯の系譜をしっかりと管理する。競技普及のすべてを司る団体であるということになります。
柔術は道場ひとつから文化をつくれる競技
ー連盟を設立して、いざ認知を広めていこうと活動される中で、当時はどのようなことに苦労されましたか。
中井)そんなに苦労には感じなかったんですけど、どんな競技って聞かれると「寝技の多い柔道」とか、「組み技の何でもあり」みたいなことを言ったりしても、イメージとしては湧きにくいと思うんですね。
やったらハマって面白いものっていうのは、柔術をされている皆さんは知ってると思うんですけど、本当にやったらすごくハマるものなんです。今は色んな職業の人とかが楽しんでいることで分かってもらえていると思うんですけど、その当時はやっぱりまだまだイメージが湧きにくいものとして、なかなか覚えてもらえなかったというのはあると思います。
ー連盟を立ち上げるにあたって、当時、他の格闘技団体との兼ね合いであったり、周囲からの反対意見などはあったのでしょうか。
中井)それはなかったです。ブラジリアン柔術っていう競技は、全く競争したり競合するようなものがないわけです。
簡単に言うと、延々とサブミッションを取るまでやるような団体はないので、その意味では全く独占しているのに近いですね。なので皆さんにいろんな楽しみ方をしてもらえる競技かなと思っています。
ー今では街の至る所で柔術の道場を見かけるようになりましたし、「柔術」という言葉自体も当たり前に目にする時代になりました。この十数年の普及の広がりを、中井さんはどのように感じていらっしゃいますか。
中井)この十数年の経過を見ても、「劇的に」と言ってもいいくらい増えてきていると思います。ただ、全国的に見るとまだ少ない県とかもあるので、まだまだではあります。本当に「どこでやってもできる」という感じの謳い方をしていますし、これからも広がっていくと考えています。特に(道場以外に)何か特別な道具を使うとかっていうのも、ないですからね。道場一つで出来るのが柔術の良い所です。

寝技で勝敗を決めるという思想を生んだ日本
ー日本人の性格、資質とブラジリアン柔術の相性についてはどのようにお考えですか?
中井)まず、寝技で勝敗を決めるという概念を生み出したのは日本人なんですよ。結局、欧米のスポーツというのは、仰向けになって背中や肩を地面につけたら負けになりますよね。レスリングのピンフォールもそうですし、柔道も抑え込まれると一本負けになる。動物の戦いを見ても分かる通り、仰向けになるのは「負け」というのが世界の普通の概念なんです。
ところが日本人は、そこから攻めることを考え出した。投げられても戦い続ける、あるいは自分から下になった状態でも戦いたいという意志を、古くから「高専柔道」などの流れの中で、柔道家たちが技術として表明していったんです。その技術がブラジルへ渡り、グレイシー一族が他流試合などで実戦的に使っていく中で、今のような「何でもあり」の格闘技に対応できる形に発展していきました。
ですから、このブラジリアン柔術というのは、元を辿れば柔道の変形なんですね。古流武術というよりは、柔道の昔の形が色濃く残っていて、他流試合が盛んだった時代の「実戦に使える技術」が残っていた。それが地球の裏側のブラジルに保存されていたのを、我々が再発見して、現代に改めて提示しているというわけです。

ー中井さんが柔術を始められた当初は、まだ競技の存在自体があまり世間に知られていなかったと思います。当時の世間一般の目から見て、「柔術はちょっと怖いものだ」といった先入観や印象はあったのでしょうか。
中井)ブラジルだと「俺は柔術をやっている」と言うと「喧嘩をやるのか」と言われたりすることもありますけど、今は競技としてのイメージが広がっているので、そういった印象はだいぶ少なくなっていると思います。
今は顔を傷つけてはいけない芸能人の方なども公表してやっていたりしますよね。きっとそういう方々が取り組んでいるのを見て、世間の皆さんも「これは安全なんだな」と思っているということですよね。まあ、本当のことを言えば危ないところはありますよ。戦いなんて危なくないことは一切ないですから。
結局、絞め技や関節技といった危ない技術を(ルールや指導で)避けているわけです。でもそれを、どう使いこなしていくか、その「使い方」を考えていきましょうということなので。それを磨き上げていくアート(芸術)というか、そういう風に思っています。
負けたとしても挑戦した人を称えたい
ー格闘技としての危険性をコントロールしつつ、ソフトな側面も併せ持っているのが柔術の魅力だと思います。最近ではお子さんや初心者の方も多く参加されていますが、そういった未経験の方々と最初に接する際、中井さんはどのような部分を大切にされていますか。
中井)やっぱり徹底して楽しんでもらえばいいと思っているので。とは言え危ない技術ではあるので、外で使わないでくれとか、そういうことはよく言いますね。覚えれば覚えるほど、簡単に相手を制圧したりできるようになるので、その分、人間的にも磨かれていないとやっぱり大変なことになりますから。そういった精神面も含めた指導については、各道場でも工夫されているんじゃないかと思います。
ー柔術には、技術の習得と同じくらい「教育」としての側面も強くあると感じます。特に人格形成や教育という観点において、中井さんは柔術の役割をどのようにお考えでしょうか。
中井)ブラジリアン柔術は、結局のところ絞めたり関節を取ったりするものになってるんですけど、もともとは「護身術」なんですね。やっぱり、自分がやられないで、どうやってサバイブする、生き残れるかということに手段(の目的)があるので。
競技としては、どうしても勝負の決着がつくものなんですけど、それでも「取られない」ようになるとか。判定になる試合も多いっていうことは、やっぱり「決められないで終わる」ということができるようになるわけです。だから、格闘技を全然やったことがない人が、絞めも関節も食らわないで生き延びられるっていうことだけでも、僕は拍手だと思うんですよ。
そういったところで、最悪、最低限のところになっても自分の身を守れるというところから始まっているので。そうすると、強さとか優しさとか、色んなものが身に付いてくる土台になるんじゃないかなと思っています。
それだったら、柔術をベースにして何でも使ってくれというような。別にMMAに使ってもいいし、空手と合体してもいいし。結局、色んな世の中のものと親和性が高いと思うので。だからこそどこにでも入っていけるし、どこに行ってもお役に立つことができるんじゃないかなと思っています。

ー強い選手を育てるということももちろん大事なことだと思うんですけど、それ以上に中井さんの中で重視されていることがあれば、ぜひお聞かせいただきたいです。
中井)スポーツはチャンピオンが出るものなので、チャンピオン以外は全部負けるということになります。だから強い人たちを育成していくということにはなります。ただ、それで負けて、だから「間違っている」ということではなくて、また考え方、練習を考えて日々を生きていけばいいということになります。
例えば(相手に)取られないにしても、打ちのめされないにしても、自分を守って生きていけるということを知ることが、何よりも大事だと思います。
強くなくても、相手の攻撃を凌ぐことだけでもやり方があり、技術がある。そういったこと一つに喜びを見出すことができるんじゃないかと思います。勝ち負けだけじゃなくて、技術を覚えていくこととか、それに対する精神を学んでいくことが、楽しいと思えるようにやっていけることが大事なんじゃないかなと思っていて、各道場ともその道場なりの色を出して工夫していると思います。
ーこれまで指導者として歩まれてきた中で、門下生の方とのやり取りや、特に印象に残っているエピソードが何か一つあれば、ぜひお聞かせいただけますでしょうか。
中井)何回か「負けました」ということでご報告をいただいたりすることがあります。でも、とりあえず挑戦したということが素晴らしいことじゃないかということで、極力そう言うんですね。試合に出ようとしたこととか、この技、こういう動きを試そうとしたとか。それで、とりあえず生きて帰ってくるのが、まず一番大事なんじゃないかと思いますね。
試合に出るっていうのは、大げさに言うと戦場に行くようなものなんですよね。特に子供であったり、女性であったり、未経験者であったり経験したことがない人にとっては、本当に戦いに行くというのはすごいことで、非日常だと思うんですよ。
そういう状況の中でも、なんとかやられないで帰ってきました、となれば、たとえ負けたとしても僕は「よくやった」って言うと思うんですよ。そういったことがやっぱり日常的によくあります。そしてそれをきっかけに、本当にいわゆる弱かった人が世界レベルになったりするのをよく見るわけですよね。そういうのは非常に面白いな、と感じる瞬間ですね。
柔術はとてもピースフルなスポーツ
ー今、日本のブラジリアン柔術界というのは、世界から見てどのような評価をされていたり、どういった見られ方をされていたりするのでしょうか。
中井)全世界の人と話しているわけじゃないから分からない部分もありますが、国の連盟がちゃんと機能しているという意味では、日本はトップクラスだと言われています。私が今ちょうど連盟の会長をさせてもらっていますけど、非常に良い運営をされているという風に言っていただくことは多いです。やっぱりそれは、もちろん参加してくださっている皆さんや先生方の尽力のおかげなんです。
冒頭にも言ったように、ブラジリアン柔術としての競技(のルール)というのはあるんですけど、それでも「何を取り入れてもいい」みたいなところがあるんですよね。柔道だろうと、何だろうと。確かに今の競技ルールに打撃は入っていないですけど、それをかわして攻めていくことを考えたら、MMA(総合格闘技)の考え方の端緒になりますよね。そういったことで色んな活用方法ができるので。
それを社会まで広げていくと、結局は護身といったことにもなったりするし、そういったところで役に立てるんじゃないかなと思っているんです。日本にはそういった考えがあるので、どこの競技団体とも喧嘩しようがないわけです。「共存」できるんですよ。なので、今のような活動ができ、そしてそういう評価になっているんじゃないかと思います。簡単に言うと、ぶつかり合うようなものじゃないんで。それは私にしてみれば当たり前のことなんですけど、そういう大きな(哲学的な)ことだと思いますね。
ー色々な業界の方とお話しされていると、他の武道やスポーツでは派閥だったり、団体が分かれていたりもしますが、そのあたりはいかがでしょうか。
中井)僕はね、分かれている(派閥がある)ことはそんなに悪いことだと思わないんですよね。空手にしろ何にしろ、分かれているかもしれないけど、結局レベルはすごく上がっているわけなんで、そんなに悪いことだとは思わないんです。
それでもブラジリアン柔術は、たとえ道場が分かれていたとしても、マットに乗ればみんな練習仲間だったり、試合相手として敬意を持てる人が多い。道場が違うところに所属していても、同じ競技会に出たりもしますしね。その意味では、すごくピースフルなスポーツじゃないかという風に思います。
パラエストラは日本だと40カ所以上ありますが、一個一個は全部別々の運営をしているんで、ただ名前を共有しているだけなんですよ。ある道場はMMAであり、あるところは柔術であり、という感じのことを許容している段階なんですね。なかなか珍しいかもしれないですけど、だからこそ「総合格闘技」という気はします。総合的に格闘技を楽しんでいるという。

選手ファーストのスポーツだから柔術はなくならない
ーこれから新しく柔術を始めたいと考えている人たちに対して、この柔術界として、あるいは道場としてどのように受け入れていこうと思われていますか。
中井)私の道場はどんなレベルの人でも受け入れているので、全く運動ができなくても、やったことがなくても、なんなら得意なことが何もなくても全然問題ないですね。それに近い場所(道場)はきっと各地にあると思うので、まずは行かれるといいんじゃないかと思います。
とにかく「通いやすい」とか「見るだけ」と言ってもいいですし、まずは触れることから始めればいい。ただ、技術自体は結構危ないものも含まれているので、やっぱり先生がいて、ちゃんと見てくれるところがいいと思います。そうすると常設の道場を構えているところが安心だとは思いますけど、指導者がいれば体育館でも何でもできる面はあるので。まずは通いやすいところから着手してみたらいいんじゃないかな、という風に思います。
ーRDXアンバサダーを務められているあきぴさんも、以前インタビューさせていただいた際に「実は私、すごい運動音痴だったんです」とおっしゃっていました。それでも「ブラジリアン柔術はすごく楽しめたし、のめり込めた」とお話しされていたので、ご自身で運動音痴だと思っているような方でも、全然気軽にチャレンジできるものなんだなと感じたのですが。
中井)そう思います。理想の柔術の未来としては、今やっていることを続けていければと思っていますけど、より一般の人にもっと知ってもらえるようになるといいなとは思います。ただ、試合自体はやっぱり、見てくれるように、すごく地味なところがありますよね。派手さを求めているわけじゃないんで。
スポーツって普通は、見る人のためにルールが変わるんですよね。見る人が面白く見えるように変わるんですけど、ブラジリアン柔術は、とにかく「やる人に100%貢献している(専心している)」っていうのが珍しいんですよ。
例えば世界選手権の決勝を見ていたら、地味すぎて寝ちゃったっていう人がいる。なのに「知ってるおっさん」の試合は見れる、みたいなことがあるんですよ。やっぱり技術レベルが高いからといって、必ずしも一般の人の注目を引くわけでもない面があるんです。超リアルファイトですから。
でも、やってる人たちは、やってる人の満足だけなんですよ。だから正直言うと、多くの人に脚光を浴びるようなやり方をしてないわけですよ。それでも残っていって、これからこれだけ増えているっていうことは、やっぱり「やる人たちの満足」があるからなんです。やる人たちが楽しくできるように、やりがいがあるようにしているっていう、世にも珍しいスポーツなんですよ。
ー100%選手ファーストのスポーツは今の時代とても珍しいですよね。
中井)だからこそ、柔術はなくならないと思うんですよ。「自分がやりたいことをとことん追求できる場所」というのは、実は世の中にそうそうあるものではないんです。
普通のスポーツなら、観客が集まらないから「寝技だけじゃなく立たせよう」といった風に、見る側に歩み寄ったルール変更が行われます。ところが、柔術はそっちを全く向いていない。そういう意味では、やる人の深い感情にまで響いてくるものが絶対にあると思うんです。
普通は「見ても面白いもの」を作ろうとしますが、僕たちは観客のことはあまり気にしない。だからこそ「普及するのが難しいもの」にあえて取り組んできたし、これまでの僕たちの動きはすべてそこに基づいています。
これを続けていくと、一見「分かりづらいこと」の中にこそ真実があったりするということに、気づく人が現れるかもしれない。人間の持っているかなりコア(核心)な部分に期待をかけるような、何らかの価値がそこにはあると思っています。
これは一種のチャレンジですよね。そういった意味でも、ようやく普及の端緒に立ったな、という手応えを感じています。

世界標準の安全な交流ツールとしての柔術
ー次の世代の指導者であったり、運営者の方に伝えていきたいことってありますか?
中井)これまで先人が積み上げてきたことを大切にしてもらうのはもちろんですが、それだけでなく、全然新しいことに挑戦してもらってもいいと思っています。
柔術はどこにでも入っていけるし、これを活かせばどんな分野にも応用できるものです。どういう組み合わせも可能なので、極端に言えば「格闘技志向」の人じゃなくてもいい。そういった意味で、これから皆さんには、色んな広がり方を自由に模索してもらいたいなと思っています。お互いへの「敬意」さえ欠かさなければ、本当に色々なことができるはずですから。
僕たちはこれまで、普及のための「橋」を架けることにかなりの時間を費やしてきました。その甲斐あって、今では気づけばあちこちに道場がある、という状態にまでなりました。土台は整ったので、これからはもっともっと、想像もつかないような広がり方が生まれてくるんじゃないかと期待しています。
ー最後になりますが、中井さんにとって改めてブラジリアン柔術とは何でしょうか。
中井)結局、ブラジリアン柔術というのは「世界標準の安全な交流ツール」のようなものだと思っています。「ツール」と言うと軽く聞こえるかもしれませんが、これをベースにすれば、人種も国境も超えて誰とでも繋がることができる。
柔術という共通言語があれば、あらゆる格闘技とも繋がれますし、世界中の誰とでも一緒に練習ができる。そうなれば、あらゆる敷居が下がりますし、色々な垣根も取っ払っていけるんじゃないかと思うんです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、私は本気で、これが世界平和に貢献できるんじゃないかと考えています。マットの上で肌を合わせ、敬意を持って交流する。その積み重ねが生む価値を、これからも色んな人に感じてもらいたいですね。
ーご丁寧にお答え頂きありがとうございました。今後の日本ブラジリアン柔術の発展を願っております。
編集後記:中井さんについては以前から、「とても真摯な方」と多くの方から伺っており、いつか直接お話を伺いたいと思っていました。実際にお会いし、その佇まいに触れたとき、「日本ブラジリアン柔術界の父」と呼ばれる理由が自然と腑に落ちました。勝敗や実績だけでは語れない、人を受け入れる度量と静かな優しさ。短い時間ではありましたが、その空気に触れられたことは大きな学びでした。(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介


