GLORY BEYOND DREAMS 熊谷麻理奈選手インタビュー

GLORY BEYOND DREAMS 熊谷麻理奈選手インタビュー

インタビュー | 2023.12.20 Wed

目標達成が辞めるきっかけにはならない

彼女は2023年6月にRIZINに初出場したHOOSTCUP Sライト級王者、熊谷 麻理奈(くまがい まりな)選手。
ラウェイにも挑戦し、物怖じしない戦いで多くの格闘技ファンを魅了している。

ご飯を食べるのも大変だった幼少期。
ボクシングに無我夢中だった20代。

強くなることを今でも無我夢中で追いかけている熊谷選手の背景に迫りました。

熊谷 麻理奈(くまがい まりな)

所属:TRISTAR日本館
生年月日:1987年12月6日
身長:174 cm
出身地: 北海道札幌市
経歴:HOOSTCUP Sライト級王者

練習の成果が出た事で2年前のリベンジが果たせた

―2023年11月23日に行われたte-a選手との試合では、2年前に負けた雪辱を果たすことができました。改めて、この試合を振り返っていただけますでしょうか。

熊谷:2年前に負けていたこともありとても緊張したのですが、やるしかないという思いでリングに上がりました。試合までの数か月間に筋トレも精力的に取り組み、改めてボクシングの技術もトレーナーに教えていただき、練習の成果が出た良い試合だったと思います。

―試合までのコンディション調整はいかがでしたか。

熊谷:過去一番で上手くいきました。改めて栄養学の勉強を行い、食事面を気をつけた結果が出ました。通常だと試合後に7キロ程度一気に体重が増えるのですが、今回は2-3キロで落ち着いており、今でもコンディションは良いです。また次の試合に向けて、より筋力をつけて、しっかり体を絞り、前回よりも良い状態に持っていきたいです。

家は貧しかったですが、明るく、よく笑う幼少期と青春時代でした

―今回は熊谷選手のバックグラウンドについてお聞きしたいと思います。幼少期について教えていただけますか。 

熊谷:北海道札幌市の貧しい家庭で生まれ育ちました。当時は家に食べ物がお米しかない時もあり、調味料も塩もないので砂糖をかけてご飯を食べたこともあります。ただかけたのが砂糖だったのでとてもまずかった記憶が鮮明に残ってます(笑)人見知りな一面もありましたがそのような暮らしの中でも明るくよく笑う幼少期でした。

―熊谷選手は高身長ですが幼い頃から身長は高かったのでしょうか。

熊谷:小学生の時には身長は155センチ程度でしたが、足のサイズが26-27センチもあり、中学校でバレーボールを始めてから一気に173センチまで伸びました。幼い頃から運動が得意で、小学1年生から中学3年生まで剣道、中学3年間はバレーボール、高校では野球部のマネージャーをしていました。

―高校の部活動ではプレーヤーではなくマネージャーに転向されたのは何故ですか。

熊谷:もともとバレーボール推薦で高校に進学する予定だったのですが、膝を壊してしまいバレーボールができなくなったこと、進学先の高校で人数が足らず廃部になったことから野球部のマネージャーになりました。当時の経験から、人をサポートする楽しさを知り、今のトレーナーをする際に繋がっていると思います。

―その後、高校を卒業し就職されていますが、どんな仕事をされましたか。

熊谷:看護助手として病院に勤めました。勤務しながら免許が取れる制度があり、胃腸科病院の入院されている主に高齢の方への介護を行っていました。他にも高校時代にはバイトで飲食店、介護病棟の後にアパレルに勤めたこともありますが、介護の仕事は特に大変で体重の増減が激しかったです。

何よりも優先するぐらいボクシングにはまりました

ー20歳頃まで格闘技経験がないとのことですが、格闘技を始めたきっかけを教えてください。

熊谷:幼少期からアクション映画等で人が戦う姿をかっこ良いと思っていたのですが、20歳の頃に会社近くにボクシングジムができたことを機に、選手になりたいと入会しました。当時78キロあった体重を60キロまで落として、3か月後にはスパーリング、半年後にはアマチュアで試合に出ました。トレーナーの方からセンスがあると言われていたのですが、大会ではボコボコにされて負けてしまいました。その悔しさを糧に、絶対チャンピオンになると決めて、練習頻度を週7に増やしました。睡眠時間が短くなったり生活の変化もありましたが、何よりもジムに行って練習することを優先するくらいボクシングにハマっていました。

―2012年のアマチュアボクシング大会で準優勝されています。この頃からプロを目指していたのでしょうか。

熊谷:アマチュアでオリンピックを目指していました。しかし当時は環境的にも周囲の人が皆プロに転向していた状況でした。自分もプロになることを考えたのですが、北海道ではプロ加盟しているチームが1個しかなく試合数も多くないので、キックボクシングに転向し、プロになりました。

―ボクシングからキックボクシングへの転向はスムーズにいきましたか。

熊谷:ボクサーだった人がキックに転向するとキックに固執してしまうことがよくあるのですが、もれなく自分も苦労しました。練習を繰り返し、ある程度技術を融合できるようになりデビュー戦では小柄な選手に掴まれながらも、なんとかパンチを当てて判定で勝つことができました。

―自分よりも身長がはるかに小さい選手と試合をすることのやりにくさはありますか。

熊谷:自分は手が長いので、中に入ってこられるとくっつかれるのですごくやりにくいです。

上手に戦えるようになるまでは、中に入られるとクリンチをして止めたり、クリンチをすることでイエローカードを貰ったこともありました。

―プロデビューしたことで心境、周りの変化はありましたか。

熊谷:もともと自分のファンや知り合いではない方から応援してもらうことが増えました。違う選手の応援のために会場に来ていた方からも、試合の感想をSNSで送ってくれたりして、アマチュア時代とは違う嬉しさがありました。

―2018年に総合格闘技に転向されましたが、きっかけを教えてください。

熊谷:実は2015年にROAD FCというMMAの大きな大会に出たんですが惨敗したんです。その時に、もう絶対MMAはしないと心に誓っていました。しかし、MMA団体のDEEPに所属するKINGレイナ選手との試合、プロモーターの方とのご縁を機に、RIZINに出たいと意思表示をしました。その際にキックではなくMMAでならと言っていただけたので、お世話になっているジムの会長さんをRIZINに連れて行きたいと思い、MMAに転向しました。様々な種目に挑戦しましたが、MMAは寝技もあり一番難しく感じています。

ーラウェイにも挑戦されていたことに驚きました。

熊谷: Road FCでお世話になっていたプロモーターの方からオファーを受けて、1回だけ挑戦しました。グローブ無しで、バンテージを巻いただけで試合をすることに恐怖心はなかったのですが、2ラウンド目あたりで痛くて後悔しました。試合後半から痛くて右手が使えなくなってしまったので、肘ばかり使っていました。しかし、ラウェイを経験したからこそ、今では恐怖心を感じることもなくなりました。

―RIZINの大会でも試合を行いましたが、印象はいかがでしたか。

熊谷:すごく豪華でした。RIZINに出たことで、旧知の方からも連絡を頂く機会も増え、影響の大きさを感じました。地元北海道の開催で、自分のお客さんも100名以上が来てくれて、とても緊張したのが思い出です。

健康でいられる限り格闘技は一生続けたい

―格闘技をずっとやってきて壁にぶち当たることもあるかと思います。格闘技をすることにモチベーションが保てない時はありましたか。

熊谷:15年間やってきて、格闘技を諦めようって思ったことは1回もありません。負けても、次は絶対勝ってやると燃えるタイプなので。ただ、自分は今36歳で、若い時よりもコンディションの調整が難しくなってきているとは感じます。今年減量が上手くいかなかった時は、初めて落ち込みました。同年代の格闘家仲間と励ましあいながら、自分が健康でいられる限り一生続けたいと思っています。

―今後のキャリアを考えた時に将来どのようにしていきたいと考えていますか。

熊谷:私は格闘技しかしてこなかったので趣味もなく、引退した後の生活が描けていません。そういった事情もあり、結婚や出産等のきっかけがない限り現役を続けたいけれど、40歳頃までできるかと言われれば、体がもたないとも思うので、区切りをつけるのが難しいです。もともと33歳までにキックボクシングのチャンピオンになることを目標にしていて、34歳で実際に叶いました。その後33歳でMMAに転向することも決まり、会長をRIZINに連れて行くために3年間はMMAを頑張ると決めて、その目標も達成しています。だから、目標達成が辞めるきっかけにはならないんだなと思いました。

―多くの試合を行ってきた中で海外選手との対戦も多かったと思います。日本人選手との違いはありますか。

熊谷:筋肉の質が違うので、パンチ、蹴りの重さをより感じます。一番痛かったのは、タイ人の選手と戦った時に、ローキックをくらったことです。試合には勝ったのですが、終わった後に真っ青になっていて、次の試合まで間隔がなかったのでしんどかったです。

―今までの対戦相手で見た瞬間に「この人は強いかも」と感じた選手はいますか。

熊谷:大勢います。第一印象でこの人には勝てるかも、と感じた相手でも、挨拶の際にグローブでタッチをする時に、この人強いかもと感じることがよくあります。

―怪我が付き物のスポーツですが年間どのぐらいの試合数行えるものなんでしょうか。

熊谷:既に対戦している選手も多いのですが、年4回程度は試合を組んでもらっています。その中で試合に勝っていくと、ベルトに挑戦できるので、1試合の価値が非常に大きい競技だと思います。実はMMA転向後1年間勝てなかった時があって、諦めようとは思わなかったのですが、自分は向いてないのかなと悩んだ時もありました。

ジムの代表がすごく教え方が上手で、タックルの切り方だけを教わったのですが、試合で勝てるようになり、気付けば3連勝していました。勝てるようになってから、少しずつ目標にも変化が出てきて、RIZINへの出場、ベルトも狙えるんじゃないかと思えるようになりました。ジムの代表には本当に感謝しています。

―ボクサーなどは筋トレを極力行わない方もいらっしゃいますが、熊谷選手はトレーニングで筋トレを行っていますか。

熊谷:スクワットに特化したパンダジムという所に通わせて頂いていて、山田崇太郎さんという方に週1でご指導頂いています。キックボクサーやボクシングの人は、パンチの速度が遅くなるから筋トレをしない人もいるのですが、自分は筋トレをしてすごく変わったので続けています。怪我防止のためにストレッチも念入りに取り組んでいます。

全く関係ない人が喜んでくれる事がとても嬉しい

―今はDEEPJEWELをメインに活動されていますが、大会の印象はいかがですか。

熊谷:女の子だけの試合が今までなかったので、女子選手の多さに驚きました。また女子だけの試合はあまり盛り上がらないのかなと思いきや、個人のキャラがすごく立っているので、格闘技がわからなくても楽しんでもらいやすく、意外と盛り上がるんです。男性ファンも多く、アイドルを見に来る感覚の方もいると思います。

―今後自身のキャリアにおいて達成したいことはありますか。

熊谷:DEEPJEWELSでベルトを獲ることです。キックでベルトを取ること、RIZINに出場すること、これらの目標は達成しているのですが、自分は目標がないと頑張れないタイプなので、次の目標として定めました。戦歴も少しずつ良くなっているので、この団体の、私の階級でベルトを獲ることに向けて頑張りたいです。

―最後にお聞きします、熊谷選手にとってプロとは何でしょうか。

熊谷:皆を楽しませてあげるようなプレーができることです。アマチュアも経験していますが、アマチュアの場合は試合に勝っても喜んでくれるのは身内がほとんどです。でも、プロになって、自分とは全く関係ない人も喜んでくれる、良い世界だなと感じました。より多くの人を楽しませられるのが、本当のプロかなと思います。

―ありがとうございます。今後も応援させて頂きます!

編集後記:
熊谷選手は、誰とでも仲良くなれる魅力的な人柄で、取材中には感情豊かな一面を見せてもらいました。特に、ベルトを身につけながら泣いている写真は印象的で、彼女の嬉し涙をまた見せて欲しいなと思わせてくれるインタビューでした!
(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

熊谷麻理奈

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