インタビュー | 2023.05.08 Mon
『格闘技を通して愛を伝えたい』
彼は2023年2月に世界最高峰の格闘技団体、UFCと契約が決まった『中村倫也』。
『UFCを日本で開催して地元にベルトを持って帰りたい』
オリンピックを諦め25歳での総合格闘技への転向。
そしてRoad toUFCでの優勝。
中村選手の言葉から総合格闘技への思い、そして愛についての言葉を記しました。
中村 倫也
所属:UFC
生年月日: 1995年3月23日
身長: 170cm
体重:62kg
出身地: 埼玉県東大宮市
経歴:
レスリングU-23世界選手権優勝
2016年・2017年全日本選抜選手権優勝
Road to UFC 1 バンダム級 優勝
幼い頃のコンプレックスを磨き、武器に。
ー東京オリンピックの選考会後にMMAに転向しています。転向するタイミングは考えていましたか。
中村)MMAに転向することは決めていましたが、高校卒業時、リオの選考会後、東京オリンピック等どこかのタイミングで、とは決めていました。東京の次のオリンピックまで追うと年齢的にMMAは厳しくなるので、25歳で転向しました。
―25歳の転向は業界では遅い方なのですか。
中村)遅いのかなと思っていました。当時はUFCも若い選手ばかり取っていたので、年齢的に埋もれてしまうかもと思っていました。脱臼した肩の怪我もひどかったので、転向した直後にUFCと口に出しにくかったです。Road toなんてあるわけないと思っていたところ、LDHの方がプッシュして売り込んでくれたことには本当に感謝しています。Road toUFCの枠の中では僕より年齢が上の方もちらほらいたので、本当にタイミング的にもよかったです。
―転向後のコーチは?
中村)高谷さん、石田さん、岡見さん、白須さん、門脇さん等、数々のレジェンドにお世話になりました。
―デビュー戦はいつですか。
中村)2021年4月にLDHのオーディションに合格し所属選手になってから、7月がプロデビュー戦でした。最初の1-2戦は修斗に、3戦目に両国国技館でメインを任せていただきました。そこからRoadtoUFCに出て、3試合消化した感じですね。3戦目で相手に勝つとUFC契約が大きく近づくみたいなので、ブラジルのチャンピオンを選んで、両国で試合を行いました。4戦目が終わったタイミングで、Road toUFCの1試合目終わって、タイミング的に、急ですがそれ以降は個人になりました。
―個人での活動となりどのようなことを感じましたか。
中村)これまであった支援が無くなり、練習環境、食生活、居住地も全部1人で作っていくので慣れるまでは苦戦しましたが、父親のおかげもあり、いざ自分の番が回ってきた時に協力してくれる方が大勢いました。まだ確定はしてないですが、夏頃アメリカか他の海外で試合予定なので、次の試合に向けて協力してくださる方と活動中です。
―客観的にどのような評価をされていますか。
中村)瞬発力、爆発力、スピード、身体能力が凄いと言ってもらえますが、僕が小さい時にコンプレックスだったものを磨いていった結果なので、天性のものではないと思っています。黒人やバネ感のあるレスラー、トレーナーから身体の使い方を学んで、作り上げてきたものなので。
―ご自身ではどこが強みだと思いますか。
中村)今も展開の多さで勝負しているつもりです。試合もただ観るだけでなく、この動きはどうしたらできるのかと観察して、常にデータを蓄積しています。でも、体で表現するのは難しいとMMAをやっていると感じます。選択肢があると迷って判断が遅れるので。結局、どのジャンルでも表現の方法が違うだけでその人のライフスタイルがそのまま作品として出るという意味でビジネスと同じだと思います。
―7試合全勝ですが、ご自身の思うベストゲームは?
中村)一番印象に残っている試合は一番怖かった試合だと思います。なので、3戦目のカエタノ戦です。試合前に体調を崩してぶっつけ本番で、かつ対戦相手がブラジルのチャンピオンなので、すごく怖かったです。それでも制して、会場のファンと一緒に越えられた感じがありました。
―逆に、いまいちだった試合は?
中村)Roadtoの1試合目です。ケージの広さや、レフェリーの試合開始の方法までも日本と異なり、身体が硬かったですね。
格闘技を通して愛を伝えたい
―RDXのグローブを使っていただいた感想をお聞かせください。
中村)12オンスのRDXは対人で使わせてもらっています。ウイニングの物と比べると硬いので最初は人を叩く時に遠慮してしまいます。でも反対に柔らかいと感触が変わってきてしまうし、グローブって本当に難しいなと思います。
―練習の時もグローブは使いますか。
中村)使います。RDXさんの商品は、オープンフィンガーのパウンドグローブを個人的に購入して使わせていただいていますが、MMAで使いやすいです。
―今後の目標をお聞かせください。
中村)UFC大会を日本に持ってきたいです。メジャーになってからは日本で3-4回ほどしか開催されていなくて、2016年が最後です。なので、勝ってアピールして、発言力を持てるようになったら日本で実現したいです。
―日本で開催する場合、開催地はどちらがいいですか。
中村)さいたまスーパーアリーナです。地元で開催して、地元にベルトを持って帰りたいですね。
―ぜひ、チャンピオンになってUFCの日本の広告塔になって欲しいのですが、UFCが今後日本で盛り上がるためにはどうしたらいいと思いますか。
中村)難しいですよね。コンテンツが増えて格闘技を見る層が広がっているので、その中の数%は、「最強って何だろう」ってUFCにたどり着いてくれると思います。そこでUFCの大会があって、「本物って違うね」と、UFCファイターは思わせることができます。そこから広がるんじゃないかなと思います。
ー本当の格闘技のルーツをたどった時に、中村選手のルーツをたどれることになると思います。そこでまた修斗も盛り上がるといいですよね。
中村)その時に、応援したい選手がいるっていうのが大事だと思います。
ー日本で開催する以外に、何か目標はありますか。
中村)抽象的ですが、格闘技を通して愛を伝えたいです。人を叩いて、蹴落として順位上がっていく競技なので、それだけでは現代では駄目だと思っています。原始的な争いで勝った人の言葉に力も宿ってくると思うし、その言葉で、皆が日本人であることを誇りに思うきっかけを作ったり、周りを大切にしようというメッセージになればと思っています。今の戦いのモチベーションは9割以上愛を伝えることです。僕が幼い頃憧れたお兄ちゃん達のように、愛のある優しい強くて優しい人であり続けたいです。
ーこのように考えるようになったのには、お父さんの影響もあるのでしょうか。
中村)ファイターを縁の下で支えて、支えを受けた人が、「お父さんにお世話になったんだよ」と言ってくれたりもする人も多くいます。受け取ったバトンを次へ渡すだけです。今後は誰かの支えになるような立場に自分自身もなっていくと思います。
ー中村選手にとって、プロとは。
中村)究極は、愛を伝えるのがプロだと思います。受け取ったものを、戦いを通して返していくことです。
ーありがとうございました。
編集後記:
総合格闘技に転向してから驚異的なスピードでUFCとの契約を勝ち取った中村選手。2歳弱の記憶がしっかり残っており、その他の過去の話しも事細かに説明してくれる様子から人よりも状況や環境に対しての記憶力が凄まじいと感じました。近い将来、中村選手がベルトを巻いてさいたまスーパーアリーナのリング上で仲間と喜ぶ姿を楽しみにしております!
(RDX Japan編集部)
インタビュアー 冨永潤一、上村隆介