インタビュー | 2023.10.12 Thu
『自分が強いと思ったことは一度もないです』
彼は日本最高峰の格闘技団体『RIZIN』で戦う武田光司選手。
あらゆるタイトルを取ってきた彼が大学時代にぶつかった壁…
お金がなく寝る間を惜しんで格闘技とアルバイトに明け暮れた日々…
大学を留年して父から勘当されたあの日…
華やかな表舞台に立つまでの彼のバックグラウンドをここに記します。
武田 光司
所属:BRAVE
生年月日: 1995年8月13日
身長:170 cm
出身地: 埼玉県草加市
経歴:第9代DEEPライト級王座(2018年)
RIZIN LANDMARK 7 in Azerbaijanに向けて
ー11月4日に行われるRIZIN LANDMARK 7 in Azerbaijanにて、ムサエフ選手との試合が予定されています。試合に向けての準備はいかがですか。
武田:準備の一環として、先日までタイのプーケットにあるジムで練習を行っていました。今回の滞在期間は10日間で、短期間で急激に強くなるわけではないですが、一番重要視していた次の試合に向けての気持ちは作れたので、良い時間を過ごすことができました。自分自身と向き合う時間が凄く大切だと思っているのですが、日本ではどうしてもお付き合い等で練習以外に時間を割かれることもありますので、四六時中格闘技に専念でき良かったです。
―海外でもトレーニングをされるかと思いますが、その中でもタイにはよく行かれるのですか?
武田: 2022年の4月にRIZINで対戦したスパイク・カーライル選手と、試合を機に親交が深まり、今年の3月には一緒にタイで練習するようになりました。日本と比べ気温も高く、練習しやすい環境だと思います。
ー直近の試合が、2023年4月に行われたルイス・グスタボ選手との対戦でした。そこからのコンディションはいかがでしょうか。
武田:実は前回の試合中に足が折れてしまいました。痛み止めを直接足に打ってもらって何とかなっていたのですが、帰宅後自宅で倒れてしまい、救急車で運ばれるほどの状態でした。
1人でゆっくりする時間を設けリカバリーをし、既にトレーニング再開から4カ月経っているので、コンディションは通常通りです。
ー次回の試合はアゼルバイジャンで開催されますが、海外で試合をするに当たって、気をつけていることはありますか。
武田:まずは、時間に慣れることです。次の試合は10月の31日に出発、11月1日に現地着で調整期間はあまりありません。日本で調整をして、現地ですぐ試合なので、とにかく寝て時差ぼけの対策をします。そして、戦う場所は日本と海外で違えど、やることは変わらないので、気負わないよう意識しています。
いじめられてたから強くなりたいと思った
ー武田選手は元々レスリングの選手でしたが、レスリングとの出会いを教えてください。
武田:埼玉県の草加市で生まれ、6歳からレスリングを始めました。草加市の隣にある越谷市の市民祭で、格闘探偵団バトラーツというプロレス団体の人たちがプロレスショーをしていて、観劇後に行われたレスリングの無料体験に参加したことが最初のきっかけです。当時、いじめられていて強くなりたいと考えていたこと、父に勧められ体験会に参加したのですが、レスリングをすれば強くなれるかも、そして運動することの楽しさも感じ始めました。もともと気が弱かったのですが、だんだん心も体も強くなりいじめはなくなっていました。
ー学生時代には多くのタイトルを獲得しています。学生時代の成績を教えてください。
武田:小中高とも全国大会で優勝しています。小学校5-6年生の全国大会。中学校3年時の選抜大会と全国大会。高校1年時のJOC杯ジュニアオリンピック。そして高校3年時にはレスリングのインターハイ、国体、グレコローマンの全国大会、グレコローマンって競技もあるのですが、その競技の全国大会と、グレコローマンの選手権大会と国体の四つの大会で全国優勝しました。
―大会で優勝した時はどのように感じましたか。
武田:小学生の時初めて全国大会で優勝して、とても嬉しかったのを今でも覚えています。中学、高校時代は、実家があまり裕福ではないため推薦を取って進学するためにも、結果が残せたので安心していました。特に高校では全国大会で1個でも優勝タイトルが取れなかったら大学には進学しないと自分で決めて、自分自身にプレッシャーをかけていました。
ー様々なタイトルを取られた中で、一番嬉しかったタイトルは何でしょうか。その理由も教えてください。
武田:レスリング人生の中で、個人戦よりも団体戦の方が思い出に残っています。高校3年時の埼玉県予選会、ライバル校の花咲徳栄高校を破って6年ぶりに優勝したこと。全国大会で3位になったこと。団体戦は皆で一致団結して勝てず、喜怒哀楽が激しく、悔しくて、でも楽しくて今でも良い思い出です。
個人としては、高校時代にキャプテンを務めていました。キャプテンとして良い意味でも悪い意味でも嫌われる存在でいないといけないのが辛かった時もありました。僕が率先してチームメイトを引っ張らなければ、と思っていました。
ー多くのタイトルを取った学生時代ではありますが、その中で壁にぶつかったり、スランプに陥ったことはありますか。
武田:大学時代、候補選手にも選ばれてオリンピックを目指していたのですが、全日本合宿や国際大会を経験し、周囲との差を痛感しました。レスリングでは限界があると自分で勝手に決めつけて、レスリングを辞めてしまいました。
ーその当時の自分へ、今だったら何と伝えたいですか?
可能性は無限大なので継続が大事、諦めない心を持つことが必要だと伝えたいです。
大学2年時に留年したことが人生を大きく変えた
ー大学時代にレスリングを辞めたことが総合格闘技への転向の理由でしょうか。
武田:レスリングをやめたもう一つの理由が、大学2年時に留年したことでした。自分の今後に悩んでいる時に同じ大学の中村倫也選手を見て、彼と同じ総合格闘技の道を目指してみようと思いました。中村選手の年齢は僕より1歳上ですが、高校時代から一緒に海外の遠征に行く等交流があり、良くしてもらっていました。大学も寮生活で毎日一緒に過ごしていました。中村選手は現在UFCファイターですし、まさに有言実行の人なので、良くも悪くも全部真似したいと思っています。ただ、僕も自分自身でつかみ取りたいと思っているので、中村選手に詳細なことはあえて情報を聞きすぎないようにしています。
(写真 左から2番目 中村倫也選手)(本人提供)
ー学生時代は特にご家族のサポートがあったかと思います。ご家族との思い出深いエピソードはありますか。
武田:今となっては感謝をしていますが、父親がとても厳しかったことです。例えば中学時代には父が学校に迎えに来て、練習に直行していたこともありました。そういうことがあったからこそ、レスリングでも結果を残すことができたけれど、学生らしく普通の遊びをもっとしたかったなという苦い思い出もあります。
ープロになってからもご家族の方々は試合の応援に来られているのですか。
武田:大学を留年し辞めたことを機に、1回父親に縁を切られたことがあります。結果が出るまでは連絡も一切取らなかったので、父親が試合会場に見に来てくれたこともありません。RIZINに出るようになってからは見に来て欲しいと思い実家にチケットを置いたりしていましたが、父親の体調の関係もありコロナ渦で会場には来られないので、家でペーパービューで見てくれているみたいです。母親から、父親も今では十分認めてくれていると言われ、陰ながら応援してもらっています。
お金がなく、睡眠時間を削って毎日練習に取り組んでいた下積み時代
ー格闘家としてプロデビューするまでについて教えてください。
武田:2018年の2月か3月にアマチュアで実戦デビューし、2018年の8月にプロデビューしました。大学中退後、2年間BRAVEジムに住み込んで暮らしました。今の子達は代表が借りた一軒家で暮らしているのですが、僕の時はジムの更衣室で寝泊まりをしていたので、プライベートが全くありませんでした。毎日格闘技だけの生活で、収入も厳しく、強くなって結果を出すことが一番の近道だと思って毎日辛いことも率先して行っていました。
―収入が厳しかったとのことですが、どのように生活していたのでしょうか。
武田:週三、四回、夜勤として六本木のクラブの警備員として働いていました。ジムのインストラクターとして働きつつ、自分の練習も毎日行い、深夜から朝方まで警備員として働く生活を2年弱続けていました。睡眠時間も少なく厳しい日々でした。警備の仕事は、トラブルを最小限に抑えるためにはどうすれば良いかを考えて働いていたので、体も頭も大変でした。出来高制で、仕事を真面目に取り組めば給与が上がる中で、夜の街で誘惑に負ける人、まじめに上がってく人、様々見てきました。そこで、僕もこういうふうに上がらなきゃ駄目だなと思いました。
ーお金や生活に苦労した下積み時代があり、その中でプロデビュー戦を迎えました。今でも印象に残っていることがあれば教えてください。
武田:プロのデビュー戦は勝ったのですが、レスリングでは殴り合いの経験がなかったので怖かったです。レフリーストップで勝ったのですが、バンテージを巻かずグローブだけつけて試合に臨み、レフリーストップで勝つまで100発以上殴ったのですが、試合後の拳の腫れ方に驚き、格闘技の残酷さ、激しい競技だと痛感しました。その後はバンテージを巻くようになりました。
ーもう20試合ほど興行として試合を行っていますが、いつ頃から、プロでやっていけると自信が湧きましたか。
武田:今も、ずっとないです。常に自分との戦いです。天狗にならず、謙虚な気持ちで試合をすると決めています。次で21試合目ですし経験も積んでいますので自信は勝手についていると思いますけど、内に秘め、表に出すことはないです。
ー今までで特に印象に残っている試合はありますか。
武田:プロになって8戦目の、初めてチャンピオンになった試合です。北岡悟選手とのタイトルマッチで、レスリングをやめたときに離れていった人達を見返したいし、違った形で結果を得るにはベルトだと思っていたので、その試合に懸ける思いは大きかったです。また、僕は考えることや向上心がないと、人は停滞すると思っています。常に上を考え取り組まないと成長が止まると思っているので、チャンピオンになることや、何かしらの結果を残したいと気持ちを込めて取り組んでいたので、ベルトという目標にたどり着くことができ、結果が形として残ったことに安心しました。
ファンも一緒に僕と戦ってくれている
ー武田選手はファンクラブもあり、試合のたびにファンがどんどん増えているという印象を受けています。
武田:最初は男性ファンしかいませんでしたが、最近は女性ファンも増えてきたなと感じます。ファイターとしてだけではなく、人としてもファンの方に見てもらえる場所がRIZINを通して増えました。ファンの方には感謝しかないです。格闘技を通じて出会ってくれて、僕のことを応援してくれて、それだけで僕は感謝がすごく大きいです。僕はファンとは見ていなくて、ファンも一緒に戦おうというスタンスでいます。
ーファンから頂いた贈り物で印象に残っているものはありますか?
お菓子や手紙、何をもらっても嬉しいですが、ファイターとして消耗品でもあるのでテーピングを頂くと特に嬉しいです(笑)
ーテーピングの部分はしっかり記事に載せますね(笑)では今後の目標をお聞かせください。
武田:RIZINで戦って次で11戦目になりますが、正直ベルトが欲しいとはそこまで思っていません。強い人と試合をして、自分自身が強くなっていけば自然とベルトにたどり着けると思っています。最終的には海外に挑戦したいので、まずはRIZINの舞台、団体で結果を残したいです。まだ発展途上の選手なので、RIZINでしっかり結果を出して、RIZINにも恩返しをしたいと思っているので、今は結果が欲しいです。
ー最後にお聞きします。武田選手にとって、プロとは何でしょうか。
武田:難しい質問ですね。今探しているところです。誰のためでもない、自分のためにやっているけれども、プロはお金がかかる興行です。お金を払って見に来てくれている方々に対して、かっこいい姿を見せなきゃいけない、勝たなきゃいけない、とは思っています。僕は自分のためにやっているけれども、結果を残したら周りの人達もついてきてくれる、喜怒哀楽で表現してくれるので、プロという興行に関して言えば、見せる、ことも大事だと思っています。ただ、どの競技でも、プロ、アマチュアに限らず、練習等苦しいことをしないといけません。そういうところを見せるのもプロであり、見せないのもプロであり、プロの定義は難しいです。
ー面白いお話ありがとうございます。今後も期待しております!
編集後記:
武田選手はパッと見、強面に見えますが受け答えは丁寧でこのギャップにみんなはグッと来るのだろうなと感じました。自分はまだまだ強くないと語るように、目指す場所に行くために何をすべきなのかとずっと自分に問いかけ答えを探しているようでした。ファンと共に武田選手はこれからも強くなっていくだろうと思わされるインタビューでした。
(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介