インタビュー | 2025.6.11 Wed
『ビーチバレーで日本一を目指す、その道を、仕事とともに歩む。』
学生時代はバレーボールの強豪・淑徳SC中等部・高等部(現:小石川淑徳学園中学校・高等学校)、日本体育大学で全国の舞台で活躍。
大学卒業後にビーチバレーへ転向し、現在はハウスコム株式会社のアスリート社員として、競技と仕事を両立する“デュアルキャリア”に挑んでいる白幡亜美さん。
「辞めたい」と何度も思いながらも、勝利の喜びが心を引き戻してきた。
その積み重ねが、いまの彼女の芯の強さをつくっている。
ビーチバレーという競技の奥深さ、ペアとの関係性、そしてデュアルキャリアという選択に込めた想いについて話を聞いた。

白幡 亜美(しらはた あみ)
生年月日:1995年10月18日
出身地:東京都 板橋区
所属:ハウスコム株式会社
経歴:幼少期から母や姉の影響でバレーボールに親しみ、小学校入学と同時に地域チームに所属。中高では姉と同じ淑徳SC中等部・高等部(現:小石川淑徳学園中学校・高等学校)に進学し、都ベスト4や関東私学準優勝などを経験。日本体育大学進学後は、リーグ優勝・関東インカレ優勝・全日本インカレ優勝と日本一を達成。卒業後、ビーチバレーへ転向し、上越マリンブリーズでデュアルキャリアを開始。現在は関東を拠点に、ハウスコム所属のアスリート社員として活動中。
負けはしたけど『戦える』
という実感を得られた
ービーチバレーの選手にインタビューをするのは初めてなので今回はビーチバレーという競技に関しても色々とお聞かせください。まずは2025年6月6日〜8日に開催された「第26回ビーチバレー霧島酒造オープン」を振り返っていただけますか?
白幡)この大会に出場するのは初めてでした。予選では緊張もありましたが、良いスタートが切れました。その後、日本代表チームと対戦し、結果は負けてしまったんですけど、まだまだレベルの差はありましたが、通用することもありやってきたことは間違っていなかったと感じた大会でした。1セット目は差をつけられてしまいましたが、2セット目後半には自分たちの力を出せたので、そこは今後につながると思います。
ーこの大会を通じてどんな課題やビジョンが見えましたか?
白幡)自分たちは「日本一」を目標にしていますが、実際にトップの選手たちと対戦してみて、その上のレベルを見据えないと日本一には届かないと感じました。特に感じたのは、立ち上がりの重要性です。今回の試合もそうですが、1セット目で大差をつけられてしまうと、後から盛り返してもなかなか流れを引き戻せない。そこが今の自分たちの課題だと思っています。

ービーチバレーは室内バレーよりも駆け引きが重要な競技なんですよね。
白幡)そうなんです、駆け引きの競技であるビーチバレーでは、相手の「見せ方」によって自分たちのいつものプレーができなくなることもあります。今回もまさにそうで、相手のタイミングやプレッシャーに飲み込まれてしまった部分がありました。自分たちのリズムを保てるようなメンタル面や、試合運びの戦略力をもっと高めていかないと、安定して上位に食い込むのは難しいなと痛感しました。
ただ、負けはしたけど自分たち次第では「戦える」という実感を得られたのは大きかったですし、「日本一」を掲げるなら、その一歩先、つまり世界を視野に入れて動かないと届かないということにも気づかされました。目指す地点が明確になったという意味では、すごく価値のある大会だったと思います。
ービーチバレーには騙しあい的な要素も多くあるんですね。ビーチバレーのランキング制度や大会の仕組みについても教えていただけますか。
白幡)ビーチバレーはリーグ戦ではなく、一大会ごとに完結する方式です。分かりやすく例えるとテニスのように個人にポイントが割り振られるポイント制が採用されています。つまり、ペア単位ではなく個人のポイントによってランキングが決まっていくんです。年間の成績でランキングは変動していきますが、1年間でポイントはリセットされるので、継続的に結果を出し続けなければいけないんです。
特に「グランドスラムオープン」のような大会は、優勝すると得られるポイントが非常に高いので、シーズン全体のランキングに大きく影響します。ただし、若手向けのアンダー大会や小規模大会も同じくポイント対象になっているので、そういう大会にも出てしっかり勝つことが必要になります。
ー毎週のように大会が続くと思いますが、スケジュールや体調の調整は大変じゃないですか?
白幡)毎週のように試合に出てるのでその生活が普通になりました(笑) 私たちペアは今年から結果が出始めたペアになります。なので出れる大会も少ないです。その分、一戦一戦でより高い結果を求められるわけです。出場数が少ないだけでランキングが下がるのは、悔しさもあります。でも、それが今の制度であり、その中で結果を残すには、出る大会で確実に勝ち切る強さが必要だと感じています。
ペアに求めるのは自然体でいられるか
ー現在ペアを組んでいる福田 鈴菜選手とはどのような経緯でペアを組みましたか?
白幡)福田は若手選手で、大学時代からずっと気になる存在で、いつか一緒に組みたいなと思っていたんですが、最初はそれぞれ別のペアと活動していたんです。昨年の夏、お互いのペアがちょうど解消されたタイミングが重なって、改めて声をかけたら「私も組みたかった」と言ってくれて、そこから一緒にやることになりました。
ー相思相愛だったんですね。ペアを組む際に、どのような基準で相手を選んでいるのでしょうか?
白幡)人間性を一番重視しています。ポイントや実力ももちろん大事ですが、どれだけ信頼できるか、一緒に頑張りたいと思えるかが私にとっては大きいです。試合中って、どうしても相手の失敗にイライラしたり、自分のプレーに集中できなくなったりすることがあるんですよ。でも福田選手とだと、自然と役割分担ができていて、お互いが自分のプレーに集中できる。だからこそ、二人で相手に向かっていけるんです。
ー実際、試合中ではどのような声掛けやコミュニケーションを取っていますか?
白幡)私たちはありがとうって言葉が自然と出ています。「ごめん」よりも笑顔で「ありがとう」と伝えてます。それだけでもチームの雰囲気って全然違うと思います。見ている人からも「良いチームだね」と言ってもらえることが多くて、それが私たちの強みになっていると思っています。

(写真右:福田鈴菜 選手)
ービーチバレーでは、ペアの関係性がプレーに大きく影響すると言われます。戦術や目標設定も含め、どのようなやり取りを意識されていますか?
白幡)影響はめちゃくちゃ大きいですね。ビーチバレーは監督やコーチがベンチに入れないので、すべての判断をペアの二人でやらなきゃいけない。だからこそ信頼関係がものすごく重要です。なんでも共有することを意識しています。
ーペアとのオフの時間やプライベートでの関わり方についてはどうですか?
白幡)家族のようにベッタリというわけではないですが、私たちは一緒に過ごす時間も多くて、お互いに自然体でいられる関係ですね。
“辞めたい”を繰り返した学生時代、
でも、勝利の喜びが私をつなぎとめた
ー元々はバレーボール選手として活動していたわけですが、始めたきっかけについて教えてください。
白幡)母がママさんバレーをやっていて、物心つく前からボールには触れていました。姉も先に始めていて、私も自然と小学校に上がるタイミングで地域のバレーボールチームに入りました。小学3年生からはクラブチームとの掛け持ちも始めて、当時から週末は練習漬けの日々でした。
ー幼少期からバレーボールに取り組まれていたんですね。最初から楽しさを感じていましたか?
白幡)実はずっと辞めたかったんです(笑) 練習は厳しいし、休みもないしで、小中高と進学のたびに辞めたいと言っていました(笑) 恩師たちからは口を揃えて「お前がまだ続けているなんてな!(笑)」と言われます!
ー嫌々続けていたんですね。それでも続けられたのは、どんな理由からだったのでしょうか?
白幡)試合に勝つと嬉しいんですよね。やっぱり「勝った!」っていう瞬間が好きで、結果が出るとまた頑張れちゃう。その繰り返しだったと思います。そして大学に入って初めて、「自分たちで考えてやる」バレーに出会えました。仲間と試行錯誤して、練習を組み立てて、戦術を話し合って。そのプロセスが面白くて、やっと主体的に競技に向き合えるようになった気がします。

(写真:淑徳学園バレーボール部)
ー大学卒業後にビーチバレーに転向されたとのことですがどのような経緯から転向されたのでしょうか?
白幡)実は大学を卒業したら競技は辞めるつもりでした。そういう考えもあって大学3年の終わりに一度プレイヤーを辞めて、4年生のときは女子バレー部のトレーナーとして活動していました。そのとき、バレー部の顧問の先生から「社会人ではバレーを続けなさい」と声をかけてもらって。その言葉がすごく心に残っていて、「やっぱりバレー続けたい!もう一度、チャレンジしたい!」と思うようになったんです。そして競技を続けるための環境を探す中で、出会ったのがビーチバレーでした。
ー実際にビーチバレーを経験してみてバレーボールとはどのような違いを感じましたか?
白幡)正直、最初は全くの未知の世界でした。ジャンプの感覚も違えば、風の影響や空間の捉え方も全然違う。でも実際に体験してみたら、面白いと感じたし、自分に合っているかもしれないと直感しました。いくつかの選択肢があった中で、新潟の「上越マリンブリーズ」の雰囲気や監督の考え方に共感して、そこに入団しました。

ービーチバレー転向当初は苦労もあったんじゃないですか?
白幡)ありました。社会人1年目で、環境も新潟に移って、知り合いもいない土地で、仕事も選手としても不安ばかり。試合でも結果が出なくて、応援してくれる職場の人たちにも申し訳ない気持ちが強かったです。でも、転向初年度の国体で4位になって、少し自信が持てた。その時に少し気持ちが楽になりました。
デュアルキャリアを持ちながら
頂点を取ることの意味
ービーチバレーと仕事の両立という選択肢をとった理由を教えてください。
白幡)ビーチバレーは、それだけで生活していくには厳しい競技です。だからこそ、現実的に生きていくためには“デュアルキャリア”を持って競技を続けることが必要でした。もちろん、競技だけに専念して結果を追う選手もいるけれど、私は「働きながらでも日本一を目指す」ことに意味を感じていますし、それを体現したいと思っています。
ー実際に社会人アスリートとして活動する中で、企業のサポートはどうでしたか?
白幡)これまでに3社経験していますが、アスリートとして在籍した2社はどちらもすごく理解をしてくださる企業で、出場や遠征に関しても快く送り出してくれる環境があり、それがなければ競技を続けられなかったと思います。逆に、一般就職で働きながら選手をやっていた時期は本当に大変でした。練習時間も限られるし、体力的にも精神的にもきつくて「もうやめようかな」と思ったこともありました。
ーメンタル的にも厳しい時期もあったかと思いますが、そういった壁をどう乗り越えましたか?
白幡)新潟時代の最後の年には、同じチームの仲間が生活の変化や引退で次々といなくなって、気づけば自分ひとりでの練習も多くありました。正直、寂しさや不安もありました。でもその中でも、一人でサーブ打ちに行ったり、段取りをして一人だからこそ黙々と練習を続けていました。あの時間が、結果的に自分を少しずつメンタル的にも強くしてくれた気がしています。

ー選手として、これからどんなビジョンを持って競技に向き合っていきたいと考えていますか?
白幡)一番の目標は、やっぱり「日本一」になること。オリンピックを目指す選手もたくさんいるけど、私はまず“デュアルキャリアを持ちながら頂点を取る”というモデルを実現したいと思っています。そうすることで、「ビーチバレーだけでは生活できない」と言われる競技でも、夢を持って取り組める選手が増えてくれたら嬉しいですね。そして、コーチングやメンタルトレーニングなど、後輩育成にも関わっていけたらと考えています。
ー最後にお伺いします。白幡選手にとって「プロフェッショナル」とは何でしょうか?
白幡)うーん難しいですね(笑) 結果を出すことはもちろん大切だと思います。でもそれだけじゃなくて、見ている人たちが「応援して良かった」と思えるようなプレーをすること、自分のプレーで感動や楽しさを届けることも、プロフェッショナルのひとつのあり方だと思っています。
結果だけを求めるのではなく、そこに行き着くまでの過程や、支えてくれている人たちへの感謝を忘れずに、自分らしく、自分の信じるスタイルでコートに立ち続けることだと思います。
ービーチバレーへの想いや日々の取り組み、とても刺激的でした。
これからの活躍、応援しています!
編集後記:ビーチバレーの選手にインタビューするのは今回が初めてでしたが、競技の特徴や年間スケジュールについても詳しくお話を伺い、とてもタフな環境で試合をこなしていることに驚かされました。
インタビューの中では「何度もバレーを辞めようと思った」という言葉が何度か出てきましたが、それでもなお続けているのは、辞めたい気持ちを超える情熱や支えがあるからこそだと感じました。また、デュアルキャリアとして仕事と競技の両立に挑む姿勢には、強い覚悟と意志を感じます。
「オリンピックよりもまずは日本一を目指したい」という地に足のついた目標設定にも共感しつつ、その先にこそ、オリンピックが見えてくるのかもしれない――そんな希望も感じさせる時間でした。(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介