GLORY BEYOND DREAMS 湯場 忠志さん インタビュー

インタビュー | 2024.4.12 Fri

父らしいことは出来なかったけど、家族がいたから僕はチャンピオンになれた

彼はかつて、日本5階級制覇を成し遂げたプロボクサー、湯場 忠志さん。

今は地元の宮崎県でジムの経営を行い、トレーナーとして活動をしている。

そして彼の息子、湯場 海樹 選手は現役のボクサーとして日本チャンピオンを目指している。

彼が口にする言葉は家族に対しての感謝、そして地元の宮崎県への想いだ。

引退をして10年弱が過ぎた今、過去を振り返って頂き、現在の状況をお伺いしました。

湯場 忠志 (ゆば ただし)

YUVAX boxing gym 代表
生年月日:1977年1月19日
身長:183 cm
出身地: 宮崎県 北諸県郡 三股町
経歴:
第47代日本ライト級王座
第28代日本スーパーライト級王座
第43代日本ウェルター級王座
第45代日本ウェルター級王座
第55代日本ミドル級王座
第34代日本スーパーウェルター級王座
その他、多数

田舎からでもチャレンジ出来ることを証明したい

―まずは2024年2月に宮崎市でジムをオープンされたということで、おめでとうございます。ジムの状況はオープンしてからいかがですか。

湯場)ありがとうございます。まだまだですが、ようやく希望者が何人か入ってきたって感じですね。

―ジムのメニューとしては、フィットネス要素が強いジムなのでしょうか。

湯場)そうですね。あと、今はパーソナルがメインですね。今後は選手も輩出していきたいと思っていますし、田舎からでもチャレンジ出来る所を見せたいと思ってます。

―他にもトレーナーの方は在籍されているのでしょうか。

湯場)週1で1人だけ土曜日に来てもらっています。基本的には僕がメインでやってますね。

―湯場さん主導で年1回は宮崎県でボクシングの興行を行いたいとお聞きしました。興行に関しても今後は動いていかれるのでしょうか。

湯場)興行をやるためにはジムをJBC(Japan Boxing Commission)に登録しないといけなくて、その登録はだいぶ前にしているのでそこは問題ない感じです。

宮崎で興行をすることで町が盛り上がってくれたら良いなと思ってます。

ボクシングが楽しすぎて徹底的に自分を管理した

―今回は湯場さんの過去についても触れていきたいのですが、生まれも育ちも宮崎県なんですよね。

湯場)そうですね、生まれも育ちも宮崎です。地元は三股町(みまたちょう)なんですが、のんびりしてるところでした。川が近くにあったので、川遊びをよくしていましたね。

―子供の頃に夢中になっているものとかありましたか。

湯場)僕たちの時代は野球が一番人気だったので小さい頃は、少年野球を友達同士でやってる感じでしたね。ポジションは外野をやってました。

―ボクシングや格闘技への興味はその当時はありましたか。

湯場)全くありませんでした。運動がすごく好きだったので、運動神経は結構良かったと思います。足は早かったですね。

―実際ボクシングを始めたのはいつ頃だったんですか。

湯場)高校2年の終わりぐらいですね。テレビで見て影響を受けたのと、ちょうど同級生に誘われたのがきっかけで始めた感じです。

―ボクシングを始めてみて、ボクシングに対してどう思いましたか?

湯場)すぐにハマりました。元々やっていた子たちよりもうまくできたので、「これはやらないと!」と思いました。

―今は湯場さんが指導する立場ですが、初心者がパッと入ってきて、「この子にはセンスがある」と思われることはありますか?

湯場)ありますね。指示したことがすぐにできる能力があれば、強くなれると思います。あとは聞く力がある子は伸びますね。

―湯場さん自身もそのタイミングで他の同級生よりも自分の方が理解が早いと感じたということでしょうか?

湯場)はい、そうですね。トレーナーから言われていることを最初から理解できたし、それを実践できましたね。

―ボクシングを始めた当初からプロを目指したいと思われたのでしょうか。

湯場)始めたばかりの頃はそうではなかったですが、すぐにプロになりたいと思うようになりました。楽しかったし、このまま続けてプロになれたら最高だと思いました。

―ボクシングを始めてから、精神的な強さや自己管理能力にどんな影響がありましたか。

湯場)最初は炭酸飲料を飲まないなど、かなり徹底していました。食べる物も大きく変わりましたし、あまり不摂生をしなくなりました。夜遊びとかもしなかったですね。

―学生時代には色んな誘惑も多かったはずですが、遊びに行くこともあまりなかったですか。

湯場)そうですね。ボクシングに完全に集中していました。

―最初に出場したアマチュアでの試合は今でも覚えていますか。

湯場)しっかり覚えてますね。高校卒業してすぐにアマチュア大会に出場して、その試合は一ラウンドで相手を倒しました。本当に楽しくてしょうがなかった印象が強いです。ほぼ無傷で勝てたので、何十秒かで勝利しました。

―その後、すぐにプロデビュー戦を行いましたが階級はライト級ではなかったんですね。

湯場)本当、その後すぐですね。19歳の時の4月にプロデビューしました。デビュー戦は、相手が見つからず、ウェルター級で試合を行いました。

初めてのライト級の試合では10㎏以上の減量を行った(写真左:湯場さん)
(本人Instagramより引用)

―2000年に初めてのベルトを獲得されてます。初めてベルトを巻いた時の気持ちはいかがでしたか。

湯場)対戦相手の地元での試合だったんですけど、応援団が何人も来てくれたりもしたし、減量もすごいきつかったので、やっぱり取れて嬉しかったですね。勝たなきゃというのが1番強かったんですけど、なるようになると思ってやってたと思います。

―自信があったのは、トレーニングも減量もうまくいって、試合前から「これは行けるぞ」という実感があったからでしょうか。

湯場)そうですね、まず僕の場合は体重がネックだったので、減量がクリアになった瞬間にもう8割勝てるかなと思っていました。

―これまで様々なタイトルを獲得していますが、誇りに思ってる試合、一番嬉しかった瞬間はどんな時でしたか。

湯場)5階級とった時が1番ですね。地方のジムだったので、世界へ行くのはなかなか厳しいなというのを感じていて。それだったら、階級制覇というのをやりたいなというのを、最初から思ってた気がしますね。

―世界にチャレンジ出来る機会もあったかと思うのですが、今振り返ってみて世界でも戦ってみたかったと思いますか。

湯場)やっぱり1度はやってみたかったですね。チャンスはなくはなかったんですけど、大事な試合とかも落としたこともありましたし。ただ地方のジムに所属していたので金銭的な問題だったりで世界戦をするためには大きな壁もありました。

―プロ生活で一番しんどかった時はどんな時でしたか。

湯場)あごを骨折して負けた時があったんですけど、その時は怪我もあって8か月ぐらい試合できなかったんです。もうただただ引きこもりましたね。あごは何回か骨折してボルトも入ってるのでボロボロですね(笑)

―様々な階級で試合をされているので減量も過酷だったと思います。減量で特に辛かった経験があれば教えてください。

湯場)減量してる時は食べれないし、減量が終わってようやく美味しいものが食べれると思っても、胃がびっくりして食べれないこともあるんです。一度、計量後に食事をしていた時に体が食事を受け付けなくて倒れちゃったんです。そのまま翌日に試合をしたのでその時は相当しんどかったです。

家族がいたからこそチャンピオンになれた

―ボクシング以外の出来事で、ボクシング人生のキャリアに影響を与えたことはありましたか。

湯場)息子(湯場海樹選手)がボクシングやってくれてることが、よかったかなと思います。家族がいたからこそ、チャンピオンになれたと思うし、それは大きかったかなと。

―息子さんにとって、湯場さんはお父さんでもあるし、プロボクサーの先輩でもあります。息子さんに、ボクサーとして今後どのようなことを期待していますか。

湯場)やっぱり最低、日本チャンピオンにはならなきゃいけないと思っています。あとは、僕自身が20年ぐらいキャリアを続けたので、息子も20年ぐらい戦えるような選手になってほしいなというのはあります。

息子の海樹選手は父の影響からプロボクサーとなった(写真右:学生時代の海樹選手)
(本人Instagramから引用)

―人生のキャリアの中で、重要な転機となった瞬間を教えてください。

湯場)結婚が1番ですかね。嫁さんと結婚しようと思ったのも「この人とだったら一緒にチャンピオンになれるかも」って思ったんですよね。

―ボクサーの奥様って大変ですよね。忍耐強さ、我慢強さが必要ですよね。

湯場)大変だと思います。自由があまりないし、僕は家族らしいことができなかったです。一緒に戦うみたいな感じなので、結構大変だと思いますね。食事面にしてもそうですけど、僕の場合は試合1か月前になったら試合に集中するために別々に住んでたんで。

息子と遊んだ記憶もあんまりなく、子供の頃は野球をやっていたので、野球の大会を見に行ったり運動会に合わせて帰ってきたりとかぐらいでした。あとは試合やトレーニングで僕は東京やタイにいることも多かったので会えないことも多かったですからね。

―日本チャンピオンのボクサーの息子(海樹選手)ということで最初は比べられる事も多かったと思います。もちろんネガティブな部分だけではなくポジティブな要素もあったかと思いますが。

湯場)最近はもう慣れてはきてると思うんですけど、最初のころは僕と比べられて辛い時期もあったと思います。でもボクシングの世界は勝てばそういうのを黙らせることが出来るので分かりやすい世界ですよ。

それに海樹はデビュー戦から結構メディアも来てくれましたし、チケットも200人はいかないですけど、みんな応援に来てくれてた。それはすごいありがたいですね。海樹は恵まれた環境でデビュー戦やれて羨ましいぐらいですよ(笑)

強くなるためには聞く耳を持つことが必要

―今はジムのトレーナーとして湯場さんはご活躍されていますが、指導するにあたって大切にしていることはありますか。

湯場)僕は基本が1番だと思ってるので、基本を徹底してやらせますね。応用を教えるよりは基本を教えた方がいいと思ってるし、あとは色々な選手の動画とかを見るのはすごい勉強になると思っています。

YouTubeを見て学んだりとか、今はたくさん練習方法があるじゃないですか。そういうのを見ることが1番いいんじゃないかなと思いますね。

―プレイヤーからトレーナーになると見える景色が180度変わると思いますが、トレーナーって難しいなと思う場面はありましたか。

湯場)たくさんありました。僕はこれが正しいと思ってても、本人が思ってなかったらやっぱり意味がないというか。いかにこれが当たり前でしっかりとしたことだよって伝えるのというのが、今すごく難しいなって思いますね。

強い選手って聞く耳を持っていると僕は思っていて、勝てない選手は言い訳が多いというか、他のトレーナーはこうやって言ってましたみたいなこと言うんですね。やっぱり勝てる選手はみんな聞く耳を持っている。すごく真剣に聞くというか、それを実行しようとする姿勢が共通しています。本人の性格もあると思いますが、学習したいという想いが強いのかなと思いますね。

―現役時代の頃は、トレーナーとのコミュニケーションはどうでしたか。

湯場)僕は本当に運が良かったというか、いいトレーナーに恵まれてました。トレーナーのことをとても信頼してましたし、コミュニケーションも取れてましたね。トレーナーを信じきってないと、連携も難しいと思います。

―ボクシングは集中力がとても大切な競技だと思いますが、トレーニングによって集中力が継続できるようになってくるものですか。

湯場)僕は長い時間だらだら練習をやっても意味がないと思ってるんですよ。試合の時間って30分とか40分、長くてもそれくらい。その期間だけ集中しとけばいいって話をしてて、だからその集中力の練習を今は結構してますね。1時間ぐらいみっちりやるという練習をしています。

―RDXの商品をジムでもお使いいただいてると思いますが、グローブはどうですか。

湯場)使いやすく、しっくり来てるみたいで、みんな良いって言ってます。

叩いた時の感触は、他のブランドと比べると形が壊れないというか。他のブランドのグローブは、使っていて握りにくいなっていうのもあります。遊びができちゃうと結構やりにくいので、RDXのグローブはぐっと握りしめられるのがいいですね。

―最後にお聞きしますが、現役時代を振り返っていただいて、改めてプロとは何だと思われますか。

湯場)僕はもう職業だと思っていたので、もうボクシングは仕事という感じでした。

職業、プロボクサー、それがプロとしての証かなと思います。

―ありがとうございました。今後もジムの運営と共に宮崎を盛り上げるために頑張ってください!

編集後記:無我夢中で走り続けた現役時代の裏側には、家族の存在が大きくありました。そしてその背中を見て育った子供が今は日本チャンピオンを目指している。将来、息子の海樹選手がベルトを巻いて親子で喜ぶ姿を楽しみに待っています!(RDX Japan編集部)
インタビュアー  上村隆介

湯場 忠志

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