インタビュー | 2023.11.17 Fri
『勝負の世界にいることは誰しもできることじゃない』
彼女は「流血のマドンナ」と呼ばれ格闘技ファンから注目を浴びた鈴木万李弥選手。
かわいらしい顔立ちとは正反対な闘志むき出しな試合で観客を魅了している。
空手に夢中だった学生時代。
前十字靭帯断裂からの復帰。
笑顔の裏に隠された葛藤や秘めた思いを今回のインタビューで皆様にお伝えします。
鈴木 万李弥
所属:クロスポイント吉祥寺
生年月日:1994年10月5日
身長:158 cm
出身地: 愛知県名古屋市
経歴:2022年からK-1グループに主戦場を移す。
負けた事でもう一度、自分を見つめ直す機会が出来た
ー前回の女子フライ級王座決定戦、準決勝で惜しくも判定負けでした。改めて試合を振り返っていただけますでしょうか?
鈴木)150g減量に失敗して、2時間以内に再計量してクリアしたので良かったのですが、気持ちが落ち込んだまま試合を迎えてしまい、悔いが残る結果となりました。試合後に名古屋に帰省し、いろんな人に会って、励ましてもらい、まだやる気があるので、もう1度リベンジしたいなと思っています。
ー減量が上手くいかないと焦りや不安など、どのような感情になるのでしょうか。
鈴木)とても焦りました。トーナメントでは50gでもオーバーしたら試合は成立するけど失格なので。今回は初めて水抜きで汗が出なくなる経験をして、きつかったです。減量しながら泣きました。
ー試合までの準備で、今までの試合との変化はありますか。
鈴木)トレーニングもしっかりできていたし、スパーリングもこなしていたので、前の試合よりとても準備ができていました。しかし、試合の3週間前にインフルエンザに罹ってしまい、1週間ほど休養していたので最後の調整が大変でした。ただ、そういったトラブルを見越して対処するのがプロだと思っているので、言い訳はしません。
ー様々な大会に今まで参戦されていますが、改めてK1大会の印象はいかがですか。
鈴木)以前は地方の団体に所属していたので、華やかな世界だなと思います。知名度も変わりましたし、有名・王道という感じがします。
ー名古屋から上京されて、生活面や環境の変化はありますか。
鈴木)昼間にトレーニングがあるので、仕事を夜中心に変えたり、東京は物価も高いので大変です。でも練習環境としては選手も多いし、寄り添ってくれると感じているので、適応して成長できればいいなと思います。
ー次の試合は決まっていますか?
鈴木) 少なくとも年内はなく、少し先になると思っています。1から作り直すと会長が言っていたので。
ー次戦に向けて、トレーニングを変えるなど、自分なりに考えていますか。
鈴木)もう1回ボクシングに取り組んで、自分の得意なところをより伸ばして、フィジカルも作り直してもらう予定です。一からもう1度作ります。
兄の真似をしたくなって空手を始めた
ーでは改めてここからは鈴木選手の足跡を振り返らせて頂きます。格闘技、武道との出会いを教えてください。
鈴木)私は愛知県名古屋市に生まれ育ちました。兄がいるのですが、兄がとても派手な性格で、私はその影響を受けて暗く、大人しい性格に育ちました。母が礼儀を学ぶためにと兄に空手を習わせていて、兄を見ていたら真似したくなり、7歳の時に私も空手を始めました。
ー空手の印象はどうでしたか。
鈴木)私の道場は昭和な考えでとても厳しかったです。でも、礼儀はかなり学べました。学生時代は空手中心の生活で、高校生の時にも制服を着たまま空手道場に行って、練習して帰る生活を送っていました。
ー空手時代の思い出深い出来事があったら教えてください。
鈴木)すごく強くて勝てなかった相手がいて、未だにその子に勝てなくて悔しかったことをずっと覚えています。
ー空手時代の成績を教えてください。
鈴木)防具付の伝統派空手の全国大会で、3位が最高成績です。祖父がすごく応援してくれていて、喜んでくれていたことを覚えています。
ーキックボクシングにはいつ転向されたのですか。
鈴木)高校生の時に空手でどうしても勝てなくなった時期があり、新しいテクニックを覚えるためにキックのジムに入りました。また、空手にはプロがないので、空手からプロに転向される方も多いです。
親にも反対されず軽い気持ちでプロに入った
ープロを目指そうと思ったタイミングはいつですか。
鈴木)空手で強くなるために入ったジムで、女子が足りないからとアマチュアの試合に出されて、KO勝ちしたのを受けて、プロに上がってみないかと誘われました。プロになる時に親に相談しましたが、親からも反対はされず軽い気持ちで始めました。
ーデビュー戦について教えてください。
鈴木)所属していた名古屋のジムが自分の団体をもっていたので、試合はすぐ決まりました。デビュー戦の時点では、階級のことも知らなかったので、重い階級で出てしまい、私は2キロアンダーでした。今考えたら絶対やらないような体重契約でしたが、KO勝ちできたので怖いもの知らずでした。
ー「流血のマドンナ」というキャッチフレーズがつけられていますね。
どのような経緯でこのキャッチフレーズが生まれたのでしょうか?
鈴木)ブラジル人との試合で殴り合いになり鼻が折れたのですが、その時に血まみれになりながらも勝ったことでつけられました。その時のアナウンサーの方が、解説の時に「流血のマドンナ」と言っていて、それが広がりましたね。今では流血することも少なくなりましたが、最初は周囲の人に「お前が流血するんかい」と突っ込まれました。
心が折れなければ大怪我をしても、もう一度リングに立てる
ー前十字靭帯断裂から見事に復帰されています。怪我をしたときの状況をお聞かせください。
鈴木)総合格闘技のパンクラスという団体に出た時に、プロレスラーと対戦したのですが、寝技がどうしても私は下手くそで、ヒールホールドを決められている時に、逃げるときに自分でねじ切っちゃいました。バチンと音が聞こえたのですが、その時に切れていました。試合中はアドレナリンが出ているので痛くはなかったのですが、足を引きずっていることに気づき、試合後痛みがきました。
ー全治どれぐらいだったのですか。
鈴木)全治1年強かかりました。リハビリも含めると1年半ぐらい試合から離れていました。リハビリは、理学療法士の方に教わり機械を使いながら徐々に負荷を上げていくのですが、大変でした。最初は車椅子、次に松葉杖とだんだん足を地面に着けられるようになり、その次は膝の曲げ伸ばしの機械を使って、痛みに耐えながら30分ぐらい強制的に動かすことから始めました。
ーご自身の経験を踏まえ、もし怪我で悩まれている方が居たらどのような声をかけますか。
鈴木)しっかりリハビリすれば前十字靭帯であれば復帰できます。心が折れない限りはちゃんと復帰できるので、頑張ってほしいと思います。
K1に参戦してから多くの人に私を知ってもらえた
ーK1に参戦してから、女性格闘家のレベルが上がってきたなと感じることはありますか。
鈴木)K1の団体のレベルが高いのか、今まで対戦した人たちよりも、ワンランク上な気がします。小さい頃から空手をしていて上手な人が多いという印象もあります。
ー外国人選手と戦う機会があると思いますが、日本人選手と外国人選手の違いはありますか。
鈴木)外国の方はフィジカル勝負でガツガツきたりしますが少し雑な部分があります。日本人は研究して戦ってくる印象で、巧妙な感じがありますね。
ー女性の格闘家ということで、男性の格闘家とは違った目で見られることもあると思います。今SNSが普及している中、SNSとどのように向き合っていますか。
鈴木)最初の頃はエゴサして落ち込んだ時もありました。批判的なコメントを糧に頑張るというよりも、真に受けてしまい落ち込むタイプです。女子の試合は面白くないとか、女子特有のポンコツパンチとか言われることもあるので、基本的に見ないようにしています。
ーもし格闘技と出会ってなかったら、自分の未来がどうなっていたか、考えたことはありますか。
鈴木)来年30歳になりますが、結婚して子供を産む普通の生活を送っていただろうなと思います。
ー今後の目標を聞かせてください。
鈴木)ベルトは絶対獲りたいですが、まずは来年の試合で一勝すること。前回の試合は自分にとって大きなチャンスだったので、また必ずチャンスを掴み、リベンジしてベルトを獲ることが目標です。
―最後にお聞きします。鈴木選手にとって、プロとは何でしょう。
鈴木)夢を与える人です。応援してくれている人達に、私に夢を見させてほしいとよく言われます。勝負の世界にいることは誰しもができるわけではないので、諦めない気持ちや、自分も頑張ろうという気持ちになると言ってもらえることが多いです。
―貴重なお話ありがとうございました。今後の活躍にも期待しております。
編集後記:
お会いした時の第一印象は「本当に格闘技をやっている方!?」と思うくらい笑顔が絶えない朗らかな女性でした。しかし大怪我をしても、どんなに落ち込んでもリングに戻ってくる彼女の不屈の精神には感服いたしました。そう遠くない将来、リング上でベルトを巻き、ステキな笑顔をみんなに見せてくれる日を楽しみにしております!
(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介