インタビュー | 2026.6.10 Wed
「昔はメンタルが弱くて、それが弱点でした」
現在、女子フルコンタクト空手界のトップを走り、世界大会優勝や全国大会通算7度という驚異的な戦績を誇る酒井琉翔選手。
しかし、その輝かしい実績とは裏腹に、彼女の空手人生は自身の心の弱さや、教え子の前での大敗という深い挫折との戦いでもあった。
彼女はいかにして弱点を克服し、無類の安定感を誇る「負けない組手」を確立したのか。
今年9月の全日本選手権で「6回目の優勝」という絶対目標に挑む、23歳の絶対女王のブレない内面に迫る。

酒井 琉翔(さかい るか)
生年月日:2002年8月9日
出身地:愛知県
所属:全日本新武道連盟 桜塾
経歴:3歳から空手を始め、空手歴20年の実力派。これまでに極真手塚杯での優勝をはじめ、KWF極真ヨーロッパ大会や中国大連大会など、国際舞台でも輝かしい実績を残している。
国内においては、ジュニア時代からの実績も含めて全国大会で通算7度の優勝を誇り、一般女子の部では5度の優勝。軽量級と中量級の2階級制覇も成し遂げている。選手として第一線で活躍する傍ら、SBTメンタルコーチ3級の資格を取得。近年は自身の支部を持ち、指導者としても次世代の育成に情熱を注いでいる。
初戦での負傷、そして階級変更
逆境を冷静に変えた理由
ー改めて、昨年2月の極真手塚杯世界大会、そして9月のJKJO全日本選手権での優勝、おめでとうございます。少し時間は経ちましたが、この二つの大きな大会を振り返ってみて、当時の心境や内容はいかがでしたか?
酒井)ありがとうございます。まず極真手塚杯に関しては、初めて参加させていただいた大会でした。道場全体で大勢で遠征するという形ではなく、限られた選抜選手だけが出場する形だったんです。そのため、現地にいるチームの人数自体は少なかったのですが、その分「自分が絶対に負けられない」という責任感や緊張感がものすごく強かったのを覚えています。
最終的には、出場したメンバー全員で優勝を勝ち取ることができたので、これまでの準備や覚悟が正しかったのだと確認できましたし、チーム全員で大きな達成感を共有できて本当に嬉しかったです。
ーそして、9月のJKJO全日本選手権ですね。ジュニア時代からの実績も含めると、全国大会での優勝はこれで通算7度目、一般の部では2階級制覇を達成されました。
酒井)JKJOは毎年ずっと出場し続けている特別な大会ですが、やっぱり「連覇がかかっている」というプレッシャーは想像以上でした。毎年、ものすごい緊張感があります。ただ、ここ数年は自分自身が道場で指導者として子供たちを教える機会が増えてきて、生徒の数もだんだんと多くなってきたんです。それが大きな転換点になりました。「先生として、子供たちに良いところを見せたい」「かっこいい先生でいたい」という強い動機が、私の中で生まれたんです。
その気持ちが、プレッシャーに押しつぶされるのではなく、逆に自分をすごく落ち着かせてくれました。試合中はこれまでの格闘人生の中でも一番じゃないかと思えるくらい、心に余裕があり、冷静で落ち着きのある試合運びができたと感じています。

ー決勝戦の映像を拝見したのですが、実は大会中に右手を怪我されていたそうですね。
酒井)そうなんです。大会が終わった時には、もう右手の拳が完全に握れない状態になっていました。実は、1回戦(初戦)の段階で痛めてしまっていて……。
ー初戦で拳を握れなくなるというのは、相当なパニックになりかねないアクシデントだと思います。その状態からどのようにメンタルをコントロールし、決勝まで勝ち上がったのでしょうか。
酒井)もともと私は本当にメンタルが弱くて、昔だったら、試合の序盤でそんな大怪我をしたら「もうダメだ」って心が折れて、試合全体を崩していたと思います。でも、ここ数年は「Nプロ」というメンタルコントロールの指導をしてくださる臼井博文先生についていただいていて、実践的なトレーニングを重ねてきました。
だから、初戦で怪我をした瞬間に、驚くほど冷静に「あ、全然大丈夫だ。右手が使えないなら、右手以外の武器で戦えばいい。別の戦い方に切り替えよう」と思えたんです。怪我という事実を素直に受け入れて、即座に戦術を組み立て直す柔軟性が持てた。メンタルトレーニングのおかげで考え方の枠組みが広がっていたからこそ、動揺せずに最後まで戦いきれたのだと思います。
ーそして去年の大会は階級を上げられての挑戦でしたよね。体にかかる負荷や、自分より大きな選手と対峙する難しさもあったのではないでしょうか。
酒井)はい、階級を上げました。そのため、9月の本番を迎える前に、調整を兼ねて意図的に一つ上の階級の試合に出場してみたんです。上の階級の組み手の感触や、試合の雰囲気を肌で確かめるために事前調整を重ねました。
スタイルの基礎をもう一度やり直すことに集中し、大きな戦術変更はあえてせず、新しい階級への「適応」を重視しました。実際に階級を上げたことで、初戦で怪我をするというリスクの高さは身をもって体感しましたが、試合中に焦ることはゼロでしたね。逆境のなかでも全く動揺せずに戦い抜けたことは、自分にとって非常に大きな収穫であり、自信になりました。

知らない知識との出会いが
メンタルを変えた
ー先ほどお話に出た「Nプロ」でのメンタルトレーニングですが、具体的にはどのようなアプローチをされているのですか?
酒井)定期的な面談というよりは、試合前に提出する専用のプリントのようなものがあります。そこに自分の状態や課題を書き込んで提出し、大会前日や本番に向けて、LINEなどを通じて具体的なアドバイスをいただきます。
ーそれを実践することで、以前との違いは明確に現れましたか?
酒井)本当にガラリと変わりました。先生方の助言を自分の中に素直に聞き入れることができたのも良かったですし、何よりそれまで自分が知らなかった「心の整え方」や、具体的な手法がたくさんあったので、あ、こうアプローチすれば感情をコントロールできるんだ、こういう考え方に転換できるんだ、と驚くことばかりで、ものすごく勉強になりましたね。自己調整力が確実に向上したと実感しています。
ー酒井選手は現在23歳ですが、高校2年生から3年生という、選手としても人としても大きく伸びる時期に、ちょうどコロナ禍が直撃しました。当時はどのような環境でしたか。
酒井)本当に難しい、辛い時期でしたね……。大会自体が中止になってしまったり、開催されても完全無観客、試合中もマスク着用が義務付けられていたり。本来であればたくさん経験できたはずの海外遠征や世界大会の機会が失われてしまったことは、今振り返っても本当に大きな痛手でした。「コロナ禍がなかったら、空手でもプライベートでも、もっと色々な経験ができたのかな」と考えたことは何度もあります。
だからこそ、いま目の前に観客の皆さんがいて、声を出して応援してくれる環境がいかにありがたいかを痛感しています。もちろん、応援がプレッシャーや緊張の要因になることもありますが、必死に名前を呼んで背中を押してくれる人がいることは、何にも代えがたい力になっています。
親子から「代表と生徒」への
切り替えの大切さ
ーここからは、酒井選手のこれまでの歩み、バックボーンについてお聞かせください。お父様が道場の代表・師範であり、お兄様も空手をされていて「空手一家」で育てられたそうですね。
酒井)はい、父が道場を開いて代表を務めており、兄も先に空手を始めていました。なので、私が3歳で空手を始めたのも、自分の意志で「やりたい!」と思ったからではなく、生まれた時から生活のすぐ隣に空手があるのが当たり前、という環境先行のスタートでした。完全に自然な流れで道場に通っていましたね。
ーお父様が指導者であるということは、家庭内での距離感や関係性の切り替えなど、難しい部分もあったのではないですか?
酒井)物心がついた頃からは、その切り替えにすごく戸惑いました。家の中やみんなでいる時は普通の親子なので、普通の会話をします。でも、ひとたび空手の話になると、たとえそれが道場以外の場所であっても、完全に「代表と生徒」の関係になるんです。
会話のトーンが変わり、私からも自然と敬語に切り替える。その瞬間に、場の雰囲気がピンと張り詰めるほどではないですが、そういう感覚が子供ながらにありました。他の家庭とは絶対に違うんだろうな、と感じることもありましたね。ただ、今思えば、その環境があったからこそ、早くから人間関係のメリハリや礼儀を学ぶことができたのだと思います。
ーお父様からの指導に対して、反発したくなるようなことはありませんでしたか。
酒井)それが、不思議と一回もなかったんです。父の指導や指摘は、常にものすごく理路整然としていました。怒られるにしても、なぜ怒られているのかという理由が明確でしたし、逆に褒めてもらえる時も、私のどこが良かったのかを具体的に示してくれました。感情に任せて怒るようなことが一切なかったので、言われたことに対して自分の中で100%納得ができたんです。悔しいと思うことはあっても、反発する理由はどこにもありませんでした。納得して取り組める整った環境を作ってくれていた父には、今ではとても感謝しています。

ー幼少期から空手は楽しいと思って取り組んでいましたか?
酒井)もう、本当に最初は空手が楽しいなんて一ミリも思っていなくて、ずっと辞めたかったです(笑) シンプルに叩かれれば痛いし、向かってくる相手は怖い。それに、昔は本当に試合で勝てなかったんです。毎週のように試合には出させてもらえる環境だったのですが、結果が出ない日々が続くのは、子供心にただただしんどかったですね。「負けて悔しい」というよりは、「もう嫌だ、行きたくない」という弱気な気持ちが先に出てしまうタイプでした。
ーそんな状態から、なぜ競技を続け、ここまで強くなることができたのでしょうか。
酒井)年齢が上がっていくにつれて、周りの道場の子たちがどんどん大会で活躍し始めるんです。それを見ているうちに、だんだんと「惨めさ」や「悔しさ」を感じるようになりました。
フルコンタクト空手の大会では、試合が終わった後に表彰式があります。活躍した子たちが大きなトロフィーを持って集まり、「みんなで一緒に写真を撮ろう!」って笑顔で輪を作っているんです。でも、負けた私はその輪に絶対に入ることができない。その光景を遠くから見ているのが本当に悔しくて、その惨めな記憶がずっと心に焼き付いて離れませんでした。「試合に出るなら、もう絶対に負けたくない。私もあっち側(表彰台)に行きたい」という強い執念が、そこから芽生えました。
結局、大人になってから気づいたのですが、なんだかんだ言いながらも、根底では「空手という競技が本当に好きなんだな」ということ。その純粋な気持ちがベースにあったからこそ、辛い時期も踏ん張れたのだと思います。

ーご自身のファイトスタイルについて、お父様(代表)やお兄様からはどのように評価されていますか?また、ご自身が思う「強み」を教えてください。
酒井)父や兄からは、私の組手は「負けない組手」だと言われます。試合によって好不調のムラが激しかったり、対戦相手によって勝ち負けの差が大きく出てしまう選手もいますが、私の場合はそれがあまりないんです。突出した一撃必殺の技があるわけではないのですが、技術、パワー、スピード、すべての要素において平均して高いレベルを維持し、総合力で確実に勝っていく。このムラのない圧倒的な安定感が自分の強みだと思っています。
ーその安定したプレイスタイルは、どのようにして身につけたものなのですか?
酒井)実は、私自身は自分のことをものすごく「不器用な人間」だと思っているんです。元から運動神経が抜群で、何でもすぐに器用にこなせてしまう天才肌の子っていますよね。一瞬で技を覚えたり、最初から誰も追いつけないスピードを持っていたり、ものすごいパンチ力があるパンチャーだったり。私には、そういう天性の才能が何一つありませんでした。
「じゃあ、この才能がない自分がトップで勝ち上がっていくにはどうすればいいか」と考えた時、行き着いたのが、無難で、隙がなく、極限までムラを排除した「安定したスタイル」を意識的に構築することでした。幼少期に「自分にはセンスがない」と自覚し、泥臭く積み上げる方に100%振り切ったからこそ、今のスタイルが完成したんだと思います。
ー他のスポーツへの適性などはいかがでしたか?
酒井)他のスポーツはそんなに出来ないと思います(笑) 幼少期の頃、走ることは周りの子より速くて目立つ時期もありましたが他のスポーツは体育の授業ぐらいでしかやってきてないです。多分個人競技への親和性が高かったのだと思います。
ー日々の食事管理やルーティンにおいて、特にこだわっている部分はありますか?
酒井)減量期に関しては、もう完全に「母のご飯」ですね。これが私のすべてです。母は、兄の現役時代から長年にわたって蓄積されたノウハウを持っているので、食事管理に関してはまさにプロフェッショナルです。「いかに必要な栄養をしっかり摂り、いかに満腹感のあるボリュームを維持しながら、体重だけを確実に落としていくか」を徹底的に計算した献立を、毎日作ってくれていました。減量中を乗り切れたのは、間違いなく母の食事のおかげです。
逆に、試合が終わって減量が必要ないオフの期間は、ストレスを溜めないために、あえて食事制限を一切しない「何を食べてもOK」というルールにしています。好きなものを好きな時間に食べる。ただ、試合の1ヶ月前からはスイッチを切り替えて、減量の有無に関わらず、体を絞るために揚げ物や生ものを一切控えるようにして、体調を万全に整えています。
学生時代の孤独感と日常の制約
ー中学・高校時代は、周囲の友人が放課後に遊んだり部活動に励んだりする中で、酒井選手はひたすら道場へ通う毎日だったと思います。周囲との環境のギャップに悩むことはありませんでしたか。
酒井)それはもう、めちゃくちゃ感じていましたし、当時はそれが嫌で仕方がありませんでした。中学校の時は、周りの友達が全員何かしらの部活に入っていて、放課後はみんなで同じ部活に行って楽しそうに過ごしている。でも、私だけは授業が終わったらすぐに一人で家に帰り、そこから道場へ練習に行くのが当たり前。部活そのものがやりたいというよりは、「友達ともっと長い時間一緒にいたい、同じ思い出を共有したい」という気持ちが強くて、強い孤独感やギャップを感じていました。
高校生になると、今度はみんなで学校帰りにマクドナルドに行ったり、スターバックスやタピオカを飲みに行ったりするじゃないですか。でも、私には減量期があったので、誘われても行けなかったり、一緒に行ったとしても「私は減量中だから何も食べないでおくね」って我慢しなければならなかった。あの日常の制限は、当時の自分にとっては本当にしんどくて、辛い思い出ですね。
ーそうした過酷な日々を乗り越え、現在は23歳。今のオフの日はどのように過ごされていますか?
酒井)学生時代は常に試合が詰まっていて「年中ずっと試合前」という感覚だったので、それに比べると今は精神的にも時間的にも、かなり余裕を持ってオフを過ごせています。友達と遊びに行ったり、買い物をしたり、自宅でのんびりリラックスして過ごす時間がとても大切です。

「勝って当たり前」のプレッシャーを
凌駕する練習量
ーこれまでの空手人生において、最も心が折れかけた、辛かったエピソードを教えてください。
酒井)一番心が折れたのは、全国大会で2連覇を達成した後の、3連覇がかかっていた年の大会です。なんと、1回戦で負けてしまったんです。
それまでは、高校生の時から一般のクラスに交じって年上の強い選手たちと戦うことが多かったので、失うものは何もないというか、「負けて元々」という気楽な精神状態で挑めていました。でも、自分が年齢を重ねて実績もついてくると、今度は「絶対に負けたくない同世代」や、下から勢いよく這い上がってくる「年下の若手選手」と対峙することになります。
その時、相手の技術やパワーに負けたのではなく、完全に自分自身の「メンタル」にやられてしまったんです。「勝たなければいけない」「負けたらどうしよう」という恐怖に心が支配されて、初戦で敗退しました。
さらに辛かったのは、その大会には、私が初めて持った「自分の教え子(生徒)」が応援に来てくれていたんです。初めての舞台で、無様な姿を見せてしまった。教え子の前での敗北、そして自分の精神的な弱さに、この時は本当に心の底から挫折を味わいました。
ー連覇を重ねるほど、周囲からも「優勝して当たり前、決勝に行くのが当然」という目で見られるようになり、プレッシャーは肥大化していくと思います。その凄まじい重圧を跳ね返すために、どのようなマインドセットを確立されたのですか。
酒井)プレッシャーを跳ね返すために必要なのは、最後は圧倒的な「練習量」の自信、これに尽きます。「私はこれだけの練習を積み上げてきたんだ」という絶対的な事実だけが、恐怖を打ち消してくれます。
そしてもう一つ、緊張やプレッシャーといったネガティブになりがちな感情を、拒絶するのではなく「素直に受け入れる」というマインドセットを確立しました。昔は「緊張しちゃダメだ、プレッシャーに負けるな」と自分に言い聞かせて余計に苦しくなっていたのですが、今は「これほど震えるような緊張感を味わえる舞台に立てるなんて、私はそれだけ努力をして、素晴らしい環境にいさせてもらえているんだ」と、すべてプラスの意味に捉え直すようにしています。
試合前、今でも普通に緊張します。その時も「あ、いま自分はめちゃくちゃ緊張しているな」と、その状態をありのまま認めて、心の中で楽しむ余裕を持てるようになりました。
「辛い時に一歩前へ出られるか」
未来へ繋ぐ空手哲学
ー酒井選手の今後の目標、そして直近の予定についてお聞かせください。
酒井)直近では6月末に試合が控えていて、そこに向けて今ちょうど体を動かし始めているところです。ただ、自分の中で活動の大きな軸として見据えているのは、やはり9月に開催される「JKJO全日本選手権」です。あまり直近の試合で急激に気持ちを上げすぎず、心のピークをしっかりと9月に合わせられるよう、長期的な視点で調整を続けています。
ー9月の全日本選手権に向けて、今どのような意気込みを抱いていますか?
酒井)実は、今年の全日本選手権に関しては、自分の中で「本当に出場するべきかどうか」をものすごく迷っていた時期があったんです。プレッシャーもありましたし、自分の中で葛藤がありました。
でも、普段から一緒に過酷な練習を重ねてくださっている大好きな先輩が、ずっと同じように全日本選手権で優勝を重ねていて、「今年も一緒に頑張ろう!」って熱く背中を押してくださったんです。さらに、道場で私の背中を追いかけてくれている子供たち(教え子)に、戦う強い先生の姿をまだまだ見せ続けたい、という思いがフツフツと湧き上がってきました。
出るからには、目標はただ一つ。絶対に優勝して「6回目の優勝」を達成することです。これは私の中で、今年何が何でも絶対に叶えなければいけない絶対目標です。

ー選手として頂点を極めたその先、将来的にはどのような空手家になりたいと考えていますか。
酒井)現役の選手を引退した後は、本格的に指導者の道に進みたいと考えています。現在は大人になって自分の支部を持たせていただき、指導にもすごく力を入れ始めているのですが、教えれば教えるほど、子供たちの可能性の塊に感動します。
私はこれまでの競技人生で、勝てなくて苦しかった時期の「負ける人の痛み」も、連覇の重圧に押しつぶされそうになった「勝っている人なりのしんどさ」も、両方の味を誰よりも泥臭く経験してきました。だからこそ、これから育っていく子供たちには、勝つだけの喜びではなく、負ける悔しさも含めて両方を経験し、それを糧に人として大きく成長してほしい。指導者として、自分の道場の子供たちに、空手を通じた人間的成長の素晴らしさを、人生をかけて伝えていきたいと思っています。
ー酒井選手にとって、「プロフェッショナル」とはどのような存在、あるいはどのような姿勢のことだと思いますか。
酒井)空手を通じて、技術を磨くことや体を鍛えることはもちろん大切ですが、私はそれ以上に「人として成長できる場」こそが空手だと思っています。
それを踏まえた上で、私にとってのプロフェッショナルとは、ただ勝ち続ける人のことではなく、「辛い時に、もう一歩頑張れるかどうか」だと思っています。私たちの道場(桜塾)には、「苦しい時に苦しい顔をせず一歩前へ」という素晴らしい理念の言葉があります。何かがしんどい、苦しいと感じた時に、そこで諦めて辞めてしまうことは、正直誰にでもできる簡単なことです。でも、そこをぐっと堪えて、もう一歩だけ前に踏ん張れるかどうかで、その後の人生の結果も、物事の楽しさも全く変わってくると思うんです。
私自身、幼少期に「空手を辞めたい、嫌いだ」と思いながらも、あの表彰式の悔しさを糧にもう一歩踏ん張ったからこそ、勝つ喜びを知り、今こうして「私は空手が好きなんだ、楽しいんだ」という最高の景色に気づくことができました。あの時諦めていたら、私の人生において空手はただの「嫌な思い出」で終わっていたはずです。苦しい瞬間に、道場の理念通りに一歩前へ出る勇気を持てる人こそが、真のプロフェッショナルだと信じています。
ー素晴らしい哲学ですね。では、酒井選手にとって「フルコンタクト空手」という競技そのものは、どのような存在ですか。
酒井)今のお話と重なりますが、やはり「人として一番成長させてくれるもの」です。
子供たちの保護者の方には「集中力、継続力、礼儀礼節が身に付く」とお伝えしていますが、それらを包括した上で、生きるために大切な「諦めない心」「一歩前に踏み出す勇気」「本物の自信」を授けてくれるのが最大の魅力です。
また、空手は個人競技ですが、過酷な練習を共にする仲間や家族、応援がある意味では究極の「チーム戦」だとも思っています。周囲への感謝があるからこそ、試合のラスト数秒のしんどい局面でもう一歩踏み込める。心技体が短い試合時間にギュッと凝縮されて爆発する、これほど魅力的な競技はありません。
現在は競技人口が増えて盛り上がっていますが、他の一流スポーツに比べると、まだマイナーな部分もあります。もっと多くの人にフルコンタクト空手の魅力を知ってもらい、「自分もやってみたい」と思えるきっかけを、私が発信していきたいですね。
編集後記:インタビュー中、23歳とは思えない落ち着きで、終始理路整然と言葉を紡いでくれた酒井選手。現役のトップ選手でありながら、同時に子供たちを指導する立場でもある彼女の口から出る言葉には、どれも軽々しさのない、強い責任感が伴っていました。
こうした実直な姿勢は、ご家族や所属団体(桜塾)と幼少期から真摯に向き合い、積み重ねてきた教育の賜物なのだと強く感じさせられます。一つの道を極めるプロセスにおいて、子供の頃からの環境や教育がいかに大切であるかを、改めて深く考えさせられるインタビューでした。(RDX Japan 編集部)
インタビュアー 上村隆介


