GLORY BEYOND DREAMS 鹿志村 仁之介選手インタビュー

インタビュー | 2023.02.08  Wed

『正直、プロは目指してなかったです』

彼は2023年1月に開催された北米グラップリングトーナメント「NAGA」エキスパート/ライト級で優勝した鹿志村仁之介。

『自分ができるのは、柔術だけだと思ってた』

高校時代の鹿志村選手は自分を客観的に見てプロを意識するレベルではないと思っていた。
しかし彼は現在ニューヨークで武者修行を続けDEEPのチャンピオンベルトを狙う人間へと変化した。

なぜプロになったのか?
なぜチャンピオンを目指すようになったのか?

鹿志村選手の言葉を一つずつ紡いでその理由を記しました。

鹿志村 仁之介

所属

IGLOO

経歴

2023年 NAGA ノーギ・エキスパート・ライト級 優勝

2019年JBJJF全日本柔術選手権・紫帯ライト級準優勝

2019年JJFJ全日本ブラジリアン柔術選手権・紫帯ライト級優勝

グラップリング大国、アメリカでの初タイトル

―まずは北米のグラップリングトーナメント「NAGA」エキスパート/ライト級の優勝おめでとうございます。大会は1月に行われましたがいつ頃から北米に行かれているんでしょうか?

鹿志村)ありがとうございます!ニューヨークにあるアルバニーで、今年の1月25日から開催された大会で優勝しました。実は、単身で昨年12月27日からニューヨークにおります。

―率直な感想として、優勝する自信はあったのでしょうか。

鹿志村)自信はありましたね。理由は、ニューヨークに来てグラップリング(寝技)の練習をしてきたのですが、グランド(床)だけは、そんなにレベルの差を感じなかったんです。

―ニューヨークはグラップリングの本場と言われますがその中でも差を感じなかったのは元々得意だったんですね。ちなみに海外は良く行かれるんですか?

鹿志村)ニューヨークにいくきっかけとなったのが、昨年の夏に開催されたRoad to UFC(優勝したら本選へ出れるチャレンジトーナメント、シンガポール開催)に緊急参戦したんです。そこで1回戦で負けてしまって、これは何とかしないといけないと思って、ニューヨークにやってきました。

新たな挑戦、ニューヨークでの武者修行

―ニューヨーク行きを決めた大きな要因は何だったのでしょうか。

鹿志村)日本での練習がマンネリ化してきたのも理由かもしれません。あと、格闘技だけでなく食べていくために仕事もしなければならない。そういう環境で練習不足も重なり、良い結果を出せなかったことに、悔しさを感じていました。自分に喝を入れようと思い、お金を貯めてニューヨークへ行きました。

―そういう背景から、今回優勝できたのは自信になったのでは。

鹿志村)そうですね、悔しい思いをして、その結果、優勝して結果を出せた。少し自信になりましたね。また私がこれからプロとして食っていくぞ、と決めているのがMMA。そのMMAで絶対に欠かせないグラップリングの大会で勝てたことはとても自信に繋がりました。

―もともと柔道家、グランド(床)を得意としていたのが大きいのでしょうか。

鹿志村)それもあります。グラップリングの技術が上がるとMMAが伸びる。MMAの技術が上がるとグラップリングが伸びる。最近でのトレーニングでは、この相乗効果を肌で実感できており、それが強くなってきた理由じゃないかと自己分析しています。自分の強みはやっぱりグランドなんだ、と再認識できましたね。

―それは、海外でトレーニングして気づいたことなのでしょうか。

鹿志村)そうですね。日本とは違って、ジムに人が沢山いてトレーニングしている。とても活気があるんです。日本の場合は、仕事が終わってから人が集まる。環境の違いは大きいですよね。とても楽しいです。

―今後は海外を拠点に考えているのでしょうか?

鹿志村)はい、将来的には海外で活動したいですね(笑)。

―海外での生活について聞かせて下さい。食事や言葉の問題は大丈夫ですか?

鹿志村)魚は苦手ですが、それ以外は嫌いなものもが無いので、全く苦にならないですね。英語は正直全く喋れません。みんながしゃべっているのを真似して、なんとか聞き取れるようになりましたね。練習ではジェスチャーとかで何とかなるんです。正直、言葉の壁は感じませんね。今はスマホの翻訳機もありますし(笑)

アマチュア時代から寝技には自信があった

―小学生の頃には柔道、中学1年生からは柔術を習い始めた。

鹿志村)はい。柔道は小学4年生の時。友だちに誘われて始めたのがきっかけです。柔術は、柔道が正直強くなかったので、父親のすすめで始めました。父親は格闘技が好きで、もっと強くなれ、という教えから始めたのを覚えています。

―高校3年生になって、MMAでプロデビューをされたんですよね。

鹿志村)はい、そうです。父親のすすめで出たMMAの大会で優勝しました。初めて出た大会だったのですが、その後2,3回試合を重ねたあとプロデビューした格好です。

―アマチュア時代のお話をもう少しお聞かせください。いきなりMMAのアマチュアトーナメントで優勝したんですよね。

鹿志村)そうなんです。正直優勝できるとは思ってなかったんです。出場するのも嫌々でした。お父さんが出ろ出ろと(笑)。けれども初めてのトーナメントで優勝しちゃったので「あれ?俺凄いじゃん」って思いましたね。

―やはりグランド、寝技の実力が発揮された感じですか?

鹿志村)はい、そうですね。寝技は勝てると思ってましたので。それしかなかったですね。

高校3年生でプロデビュー。しかしすぐに壁にぶつかった。

―高校3年生で華やかなMMAプロデビュー。しかし順風満帆ではなかった。

鹿志村)アマチュアパンクラスのプロデビュー戦は勝ったのですが、2戦目に負けてしまいました。その時、MMAはやっぱりやりたくないなって、思ったんです。19歳になって柔道整復師の専門学校に通っていたんですが、その専門学校も1年で辞めてしまいました。すこし気持ちが離れてしまってましたね。けれど、グランド、柔術は本当に好きだったので、寝技の練習だけは続けていたんです。

―プロになってからも練習の合間に仕事をしていたとのことですが何をされてましたか?

鹿志村)Uber Eatsをしていました。自分の都合に合わせられるしニューヨークでもUber Eatsがあるのでいざとなればニューヨークでも働けると思ってます(笑)

―高校生の頃から大会で優勝などしていましたがその時はプロは目指していなかった?

鹿志村)正直、プロは目指してなかったです。自分ができるのは、柔術だけだと思ってましたし。打撃、パンチ力も無い。プロのレベルに達してないと思っていました。

―もともとプロは目指してなかった。プロになってからはMMAから気持ちが少し離れてしまった。けれどもう一度チャレンジしようと思ったのはいつですか?

鹿志村)ここ1年くらい前でしょうか。MMAでも寝技が流行りだして、グランドが得意な僕でも行けるんじゃないかって思い直すようになったんです。世界に行ったらカッコいい。活躍したいって。そこから毎日練習するようになりましたね。普段は茨城でトレーニングをしてましたが、仕事もあり大変でしたが週3回、世田谷の柔術IGLOO(イグルー)というジムに通いました。

3月25日にはDEEP2戦目を迎える

―3月25日にDEEP2戦目に出るんですよね。

鹿志村)そうなんです。今ニューヨークにいますが、3月15日に帰国して茨城や世田谷でトレーニングを重ね、25日の本番に備えたいと思います。

―自信のほどはいかがでしょうか。

鹿志村)ニューヨークに来て、日に日に強くなっている実感があります。最近はRDXの協力もあり、打撃の練習でも成果が上がってきたと思います。

RDXはもともと使っていた好きなブランド

―グローブの協賛で、お父様から直接問い合わせを頂きました(笑)

鹿志村)そうなんです。SNSを見つけて、父が連絡してくれました。私の父はマネージャーのように色々してくれます。超お節介ですが、自分はグイグイいくタイプじゃないので、とても助かっています(笑)

―RDXを使ってみていかがでしょうか

鹿志村)今、グローブとレガースを使っています。無茶苦茶良いですね。フィット感があって、通気性も良く臭くなりにくいですし、すごく軽い。ソックス型のレガードはやわらかいので寝技がやりやすい。MMAでは欠かせなくなりました。

―ありがとうございます。今後も練習で使い続けて頂けると嬉しいです。

What is a professional?

―最後に鹿志村選手にお聞きします。
鹿志村選手にとって「プロ」とは何でしょうか?

鹿志村)今、ファイトマネーで食えていない。プロである以上は、それで食えるようにならないといけないと思っています。まずは自分を磨いて、1人前になりたい。お父さんにも恩返ししたいですね。

―ありがとうございます。3月25日、DEEPの試合、ぜひ頑張ってください。

鹿志村)はい、ありがとうございました。

編集後記:
「プロデビュー後、一時はMMAから冷めてしまった鹿志村選手。
自分の強み“グランド術”を再認識して、MMAの舞台へ舞い戻ってきました。
ニューヨークで結果を出し、3月にDEEP2戦目を迎えます。
MMAがとても楽しい。
デビューしたての頃と比べて正反対の鹿志村選手は、自分の強みである“寝技”によってMMAも上手くなってきたと語っていました。
自分の強みは一体何なのか。その問いを確かめるために、単身ニューヨークへ行った行動力。プロに必要なのは、問いを確かめるために世界へ飛び出す勇気、そして環境への順応力なのでは、と感じた取材でした。」(RDX Japan編集部)

インタビュアー 冨永潤一、上村隆介

鹿志村 仁之介

RDX sports japanは
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