インタビュー | 2025.7.3 Thu
『12年間のサッカー人生に、ここでひと区切りをつけよう』
そう決意して引退を選んだ、竹内未来乃さん。
スペイン女子3部リーグ(Segunda Federación)で戦い、2年間にわたって憧れの海外挑戦を果たしながら、プロ選手としてキャリアを積み重ねてきた。
幼い頃、サッカーアニメに夢中になり、さらに、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した姿に大きな感動を覚えたことが、彼女をサッカーの世界へと導いた。
そんな原点を胸に、国内外で挑戦を重ね、夢の舞台に立ち続けた彼女の裏側には、数々の葛藤と決断がありました。
今回は、引退を決意した今の思い、そしてこれまでのキャリアやスペイン挑戦の裏側について、お話を伺いました。

竹内 未来乃(たけうち みらの)
生年月日:2002/12/21
出身地:神奈川県藤沢市
経歴:日テレ・メニーナ・セリアス▶︎ノジマステラ神奈川相模原ユース▶︎町田ゼルビアレディース▶︎江の島FC▶︎CE Sant Gabriel(スペイン4部)▶︎Real Union Tenerife(スペイン3部)▶︎2025年5月31日に引退を表明
続けられたけど、違う景色を選んだ理由
ーまず最初に気になったのが、とても印象的なお名前 “未来乃(ミラノ)” についてです。ご両親はサッカークラブのACミランやインテル・ミラノがお好きだったのでしょうか?
竹内)よく言われるんですが、実は両親がサッカーにちなんで付けたわけではないんです(笑) 名前を決めるときに、男の子だったら「ローマ」、女の子だったら「ミラノ」にしようって決めていたらしくて。世界中どこに行っても覚えてもらいやすいように、という思いが込められていたそうです。結果的に、海外でもこの名前はすごく印象に残るみたいで、気に入っています。
ーそういった経緯があったのですね。しかし、結果的にサッカー選手として海外でもプレーされ、ご両親の想いが形になったのではないでしょうか。さて、2025年5月末に現役引退を表明されましたが、今の率直なお気持ちをお聞かせください。
竹内)今も、やろうと思えば続けられると思います。日本に帰国して、プロチームでのプレーを考えることもありました。ただ、まだ大学生である自分にとって、プロの練習時間との兼ね合いが難しくは感じていました。東京の大学に通いながら、午前練習がある地方のクラブで活動するのは現実的ではなかったんです。
それに、12年間ずっとサッカー中心の生活を送ってきたので、「一旦違うことをやってみたい」という気持ちも強くなりました。だから、引退という選択をしましたが、完全にサッカーから離れたわけではなくて。今も2週間に1回くらいは、友達とボールを蹴ったりしていますし、試合を観ればまたプレーしたくなります。
ー決断に至るまでは、きっと長い時間をかけて葛藤があったのではないでしょうか。そのあたりについてもぜひお聞かせください。
竹内)スペインにいたときから、監督には「来季も続けてほしい」とずっと言われていました。でも、大学をあと2年残していて、サッカーをもう一年続けるべきか、それとも戻るべきか、半年くらいずっと悩んでいました。
テネリフェ島というスペインの離島に住んでいたので、サッカー以外にあまりすることがなくて、逆に将来のことをよく考えるようになったんです。
このままサッカーだけで生活していけるのか、自分はどんな人生を送りたいのか…。そうやって考えているうちに、「今ここで一度区切りをつけよう」と決断しました。

ーご両親やチームメイトは、その決断をどう受け止めてくれましたか?
竹内)両親は昔から「自分の好きなようにやりなさい」というスタンスで、スペインに行く時も、引退を決めた時も、変わらず応援してくれました。お金の心配もしないでと言ってくれて、本当に感謝しています。
スペインのチームメイトや監督は「残ってほしい」と言ってくれました。1年しか所属していなかったけど、シェアハウスで一緒に生活していたので、すごく仲が良くて。別れるときは本当に寂しかったですね。
なでしこジャパンの歓喜が、
私をサッカーへ導いた
ー引き留められたというのは、選手としてとても嬉しいことですよね。最後はスペインでのプレーとなりましたが、ここで少し原点に戻って、サッカーとの出会いについて教えてください。きっかけはどのようなものだったのでしょうか?
竹内)幼少期はバレエを習っていたんです。母は「女の子らしく育ってほしい」って思っていたみたいで(笑) でも、自分の周りには男の子の友達が多くて、その子たちがサッカーをしていた影響が大きかったです。
さらに、小学3〜4年の頃にアニメ『イナズマイレブン』を観て、「サッカーってかっこいい!」って一気に夢中になりました。ちょうどその時期に、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した2011年の大会を観て、「私もサッカーがしたい!」と思ったのを覚えています。
ーちょうど、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した時期と重なっていたのですね。そう考えると、あの優勝が与えた影響は計り知れないものがありますね。最初に入ったクラブチームについても教えていただけますか?
竹内)「新林レディース」という女子チームに入りました。そこから「FC厚木ガールズ」に移籍しました。当時は、神奈川県選抜にも選ばれましたし、厚木ガールズでは本気で全国を目指す仲間と切磋琢磨していました。母が毎日車で片道1時間かけて送迎してくれて、本当に支えてもらっていました。今思うと、家族のサポートがなければここまで続けてこられなかったと思います。

ーご両親のサポートも、とても大きな力になったのですね。学生時代の印象に残っているエピソードなどはありますか?
竹内)中3のときに肩を脱臼してしまって、2〜3ヶ月ほどプレーできない期間がありました。ちょうど監督が変わったタイミングでもあって、復帰してからもしばらく試合に出られませんでした。でも、関東大会の大事な試合で、後半の残り10分だけ出してもらえたんです。そこでゴールを決めてチームを勝たせることができた。それが今でもすごく大きな成功体験になっています。「やっぱり努力って裏切らないんだな」って思えた試合でした。
ーゴールを決めたり、試合に勝つことは大きな成功体験となり、プレーがガラッと変わっていきますよね。スペインでは基本的にMFとしてプレーされていましたが、学生時代から現在に至るまで、ポジションはどのように変わっていったのでしょうか?
竹内)小さい頃、アニメ『イナズマイレブン』の遠藤守が大好きで、「キーパーってかっこいい!」と思って憧れてました。でも実際にやってみたら全然ボールが止められなくて(笑)「これは私の仕事じゃないな」と思って、すぐフィールドに戻りました(笑)
それからはとにかくゴールを決めるのが楽しくて、点を取って目立ちたいという気持ちもあったのでFWでプレーしてました。でも、ノジマステラ神奈川相模原のユースに入ってから、中盤でのプレーを求められるようになったんです。
当時は自分でも「点を取りたいのに、なんで下がるんだろう?」って思っていました。でも、試合を重ねていくうちに、パスや展開、ポジショニングでゲームをつくるのが楽しくなってきて。今では、自分のスタイルとして一番しっくりくるポジションだったんだなと思います。

ー海外では、GK(ゴールキーパー)はとても人気のあるポジションですよね。特にドイツやスペインからは、常に世界的なGKが何人も輩出されています。その点についてはどのように感じていますか?
竹内)そうなんです!特にスペインやドイツでは、GKを育てるアカデミーもあって、「キーパーからチームをつくる」っていう文化があるんですよ。小さい子どもたちの中でも、「あえてGKをやりたい!」って子が多い印象です。手も使えるし、ユニフォームもひとりだけ違って、特別感があるじゃないですか。日本ではまだそこまで人気のポジションではないので、文化の違いを感じました。
ーヨーロッパはサッカー先進国が多いだけに、育成環境もしっかり整っていますよね。話は少し戻りますが、大学時代はどのような形でサッカーに関わっていたのでしょうか?
竹内)大学ではトップレベルの体育会ではなく、地域のクラブなどでプレーを続けていました。自分のペースでサッカーができる環境で、将来についてもじっくり考えながら過ごしていましたね。強豪校でバリバリやるというよりは、少し距離を置いて、サッカーと自分の関係を見つめ直す時間だったと思います。
スペインサッカーに魅せられて、海外の舞台へ
ーそこから、スペインに挑戦しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
竹内)昔からFCバルセロナが好きで、ポゼッションサッカーに憧れていました。加えて、小さい頃から英会話を習っていたこともあり、海外への興味はずっと持っていました。大学進学後も日本で社会人チームに所属していましたが、「一度は海外に挑戦したい」と強く思い、知人が関わっていたスペインの留学会社を通じて、現地でのプレーを目指しました。

ー実際に、スペインでのクラブ選びはどのように進められたのでしょうか?
竹内)最初に所属したのは、バルセロナ近郊にあるCE Sant Gabriel(スペイン4部)でした。1週間ずつ複数のチームのトライアウトを受けた中で、戦術的にも自分のスタイルに近く、パスを重視するチームだったので選びました。
1年間プレーした後、さらにレベルの高い環境を求めて、スペイン3部のReal Union Tenerifeに移籍しました。ここはカナリア諸島のテネリフェ島にあるクラブで、バルセロナとは全く異なる環境でしたが、「島での生活も経験として面白そう」と思って挑戦しました。
ーテネリフェ島といえば、鹿島アントラーズに所属している柴崎岳選手がプレーしていたクラブが有名ですよね。スペインではサイドバックも経験されたと伺いましたが、実際にプレーしてみていかがでしたか?
竹内)現代サッカーにおいて、サイドバックはかなり重要なポジションです。守備も攻撃も求められるし、時には中盤に絞ってプレーするなど、判断力や戦術理解が必要になります。
自分はフィジカルよりも技術やポジショニングに自信があったので、そういうタイプの選手を外側に置きたいと考える監督の方針にマッチしていたんだと思います。特にスペインでは、ボールをつなぐ意識が強いので、技術を評価してもらえたのはうれしかったです。
ー英語はもともと勉強されていたとのことですが、スペイン語でのコミュニケーションにはやはり大きな壁がありましたか?
竹内)めちゃくちゃ大きかったです(笑) 英語は問題なかったのですが、スペインでは英語が通じないことも多くて。最初の3ヶ月間は語学学校に通い、それ以降は独学で毎日勉強しました。ただサッカー用語はある程度決まっているので、試合中の指示などは慣れれば理解できました。最初は監督の大きな声の指示が飛んでも意味がわからず、とりあえずうなずいて分かったふりをしてました(笑) でも、途中からは試合中の会話も問題なく対応できるようになりました。
ー竹内選手ご自身が、現地で特に評価されたと感じるご自身の強みは、どのようなところだったと思いますか?
竹内)技術面、特にボールの受け方やパス、ポジショニングはよく褒められました。そして、日本人特有の「手を抜かない姿勢」も高く評価されました。スペイン人はプレーが大胆で派手な分、練習では手を抜く選手もいて、そういった部分で日本人の“真面目さ”が際立つようです。逆に、そういう環境にいると、自分も「もっと主張しなきゃ」と意識するようになって、人としても成長できました。
ースペインでの生活を通して、サッカー面だけでなく“人間的な変化”もあったのではないでしょうか。そのあたりについてもぜひお聞かせください。
竹内)「自分の意見をしっかり伝える力」です。スペインでは自己主張しないと埋もれてしまうので、黙っているだけではチャンスは来ません。チームの中でも生活の中でも、自分を発信する大切さを学びました。この経験は、今後どんな道に進んでも生きてくると思っています。
ースペインでの2年を経て、どのような思いで“引退”という決断を下したのでしょうか?
竹内)最初に渡航したときは、正直そこまで長くプレーするつもりはありませんでした。「これでサッカーは最後にしよう」と思ってスペインに行ったので。でも、現地のチームで仲間に恵まれて、監督にも評価してもらって、予想以上に充実した日々でした。「もう一年プレーしないか?」とオファーもいただいたんですけど、それでもやっぱり、「ここで一区切りをつけよう」と思いました。
人生を長い目で見たときに、サッカーだけに全振りするのではなく、次のステージに進むことも大事だと思ったんです。
次は、海外で活躍する日本人を支える番
ー選手としてのキャリアには一区切りをつけて、新たなキャリア形成を考えられたのですね。現在は、どのような形でサッカーと関わっていらっしゃるのでしょうか?
竹内)ジュニア世代のサッカーキャンプの運営に関わったり、留学支援のサポートなども行っています。自分が経験したことを少しでも若い世代に伝えたい、という気持ちが強いですね。
スペインでの経験を通して、「もっと多くの日本人選手が海外に挑戦できるようにしたい」という思いが芽生えたんです。自分自身、行く前はすごく不安だったので、その気持ちに寄り添える立場でありたいと思っています。
ー具体的には、どのようなサポートをされているのか教えていただけますか?
竹内)今はまだ小さな活動ですが、現地のクラブとのネットワークを活かして、スペインでの練習参加や体験の機会を提供したり、語学の準備についてアドバイスしたりしています。もちろん、本人とその家族が納得したうえで行くことが前提ですが、「最初の一歩を踏み出す勇気」を後押しする存在になれたらと思っています。
ー今後、具体的に挑戦したいことがあれば教えてください。
竹内)将来的には、自分で留学支援や育成を軸にした団体を立ち上げたいと思っています。女子サッカーはまだまだ環境整備が追いついていない部分も多くて、情報も少ない。だからこそ、「こういう道もあるんだよ」と具体的に示せる存在になりたい。私がスペインで感じたワクワクを、次の世代にも届けていきたいです。

ーこれからサッカーを始める子どもたちや、夢に挑戦する次の世代に向けて、伝えたいと思うメッセージはどのようなものでしょうか?
竹内)やってみたいことがあるなら、まずは「とりあえずやってみる」ことが大事だと思います。うまくいくかどうかを考えるより、まず一歩踏み出してみること。それが自分を変えてくれます。私はスペインに行くときも、引退を決めるときも、不安や迷いはたくさんありました。でも、行動したことで初めて見えた景色があるし、そこに後悔はありません。
だからこそ、皆さんにも勇気を持って一歩を踏み出してほしい。「やらずに後悔するより、やって後悔するほうがずっといい」それは、私自身が一番感じたことです。
ー最後にお伺いします。竹内選手にとって、「プロフェッショナル」とはどのようなものだとお考えですか?
竹内)私は、“プロフェッショナル”って、競技力だけでなく、姿勢や考え方、生き方全体に表れるものだと思っています。ピッチに立たなくても、自分の行動に責任を持つこと、誰かに良い影響を与えられるよう努力を続けること。それがプロフェッショナルだと考えています。
引退した今も、何かを学び続けること、次の挑戦を怖がらずに受け入れることを意識しています。プレーする立場ではなくなっても、「私はサッカー選手だった」と胸を張れるような生き方をしたいと思っています。
ー海外でのエピソードをはじめ、興味深いお話ばかりでした。これからのキャリアも楽しみにしています!
編集後記:年齢はまだ22歳ですが、話す内容や気持ちの整え方、考え方はとても22歳の女性とは思えないほど成熟していました。それゆえに、海外でのプレーや経験が、どれほど大きな財産となって彼女に返ってきているのかを改めて感じさせられました。これからもサッカーに携わっていきたいと語る竹内さん。今後、なでしこジャパンが再びワールドカップで優勝するその裏側には、彼女のような存在の力がきっと必要になる、そう強く思わされたインタビューでした。(RDX Japan編集部)
インタビュアー 上村隆介